どのくらい泣いたか分からない。

 夜が来て暗闇が空を包んだ時、二人は抱きあった腕を解いて、顔を見せ合うことなく立ち上がった。血液はすっかり凝固ぎょうこし、バリバリとした感覚が肌にあったが、彼らはそれをぬぐい取ろうとはしなかった。

 そして闇を縫うように、手を繋いでゆっくり工場を出た。雨が降るその夜の町は嘘みたいに静かで、メグの家に着くまで、ついぞ誰ともすれ違うことはなかった。


「お……おい!」

 椎名は驚いて声を上げた。扉を開けるなり血まみれの少年と少女が目の前にいたからだ。椎名は急いで無気力な彼らを部屋に引き入れて戸を閉めた。

「何があった!? 楓は……っ」

 椎名は問う。だけど、手を繋いだ彼らはますます俯き、ぴくりとも顔を上げなかった。

「……とりあえずマツリ、すごい体が冷えてるぞ! シャワーあびろ!」

 椎名はマツリの肩を抱いて洗面所に彼女を押し込んだ。

「着替えは適当にそこらへんの着とけっ。……メグ!」

 そして振り向いてメグを見る。

「今までどこ……――」

「四丁目の廃工場」

 メグはポツリと言った。

「あそこで楓が……待ってる。あいつに……連絡してやってくれ」

 その言葉で椎名は全てを察した。そして息を一飲みしてから、「分かった」と呟き、携帯で電話をかけだした。メグはそんな椎名の様子を目を細めて見つめ、ずるりと滑り落ちるように座りこんだ。雨で流しきれなかった血がべチャべチャする。気持ち悪さに深いため息をつき、項垂うなだれながら髪の毛をクシャッとかきあげた。もう涙は落ちない。冷静さも戻ってきた。罪悪感と恐怖だけが、あの頃と同じように身体にのしかかっていた。

 携帯を切った椎名は、小さく息をついてメグの前に腰をおろした。

「国光はすぐに動くとさ……」

 メグは小さく頷いて、俯いたまま問いかける。

「国光がマツリを探してるんだってな……」

「知ってたのか」

 椎名は驚いた。なんせ彼自身、そのことを知ったのは今日の昼間だったからだ。

「楓がそう言ってた」

「……そうか。だから楓はマツリにあそこまで執着したんだな……」

 メグは沈黙した。寂しげに聞こえてくる雨音と水道の音。それだけが部屋に響く。

「……怪我してるじゃねぇか。メグ」

 椎名はメグの右肩の傷を見て、眉根を寄せた。あまりに血まみれでよく見ないと気づけなかったが、化け物にえぐられた傷からはいまだに血がにじんでいたのだ。

「あぁ……」

「シャワー入る時、傷口をゆっくり洗ってこい。手当してやるから」

 メグは顔を伏せるように頷いた。そして意を決したように、口を開いた。

「……なんで国光はマツリを探してるんだ?」

「それは……」

 ギッ。

 水道が止まる音に反応し、椎名は言葉を止めた。

「……その話は、後で」

 そして声量をかなり落とし、そう言った。

「おぉ」

「俺は明日からマツリにはなるべく関わらない。お前も……――」

 ガチャ。

 ノブの回る音と共に、完全に会話は止まった。マツリが部屋に戻ってきたのだ。

「……ありがとう」

 小さい声でお礼を言うマツリに椎名は頷き、メグをゆっくり起こした。

「よし、じゃあ、お前の番だ。しっかり傷口流せよ。俺は近くの薬局で傷薬と包帯買ってくる。マツリも安静にしてろよ」

 二人は同時に頷いて、扉の外へと飛び出していく椎名を見送った。



 後から聞いた話。

 あの女の子の話。


 その日の夜に国光の連中があの廃工場に押しって、楓の死体を回収したらしい。誰に知られることもなく、誰に見られることもなく。

 血の跡は綺麗に流され、何事もなかったかのよう洗われた。

 事実の消去。

 真実の隠蔽いんぺい


 ――朝比奈 楓アサヒナ カエデという少女の話。



「ただいまー」

 椎名が部屋に戻ってきた。そして二人を見て、呆れ顔でため息をついた。

「……ったく」

 少年と少女はしっかりと手を握って眠りに落ちていた。

 髪は濡れっぱなしで、メグの体に無造作むぞうさにまかれた布切れには痛々しい血が滲んでいる。すやすやと眠っている二人の頬は涙で濡れていたが、その表情は穏やかなものだった。

「……はー」

 椎名はもう一度ため息をついてその場に座りこんだ。

 子どもたちの穏やかな寝顔。そこにはもう、苦しそうな表情も、消し去られたような無表情もなかった。



 ――眠る事でしか苦しみから逃れられない。

 眠る事でやっとやっと苦しみを忘れられる。

 それは今も昔も変わってない。あの頃から、変わってない。

 眼が覚めるまでは穏やかに。眼が覚めるまでは眠らせて。


 温かいを握らせて。



 第10話 終

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る