「嫌い……!」

 楓が涙を浮かべながら、言葉をこぼす。

「嫌い嫌い嫌い!!」

 叫んだ。次第に大きくなる声は、感情をぶちまけたそれだった。

「アンタも! マツリも!」

 楓が髪を振り乱す。赤いリボンが震えた。

「お前が嫌ってんのはあの場所だろ!」

 メグも叫ぶ。

「俺が死んだってあの場所は無くならねぇんだよ!」

 叫ぶ。

「俺を殺したってお前はミュータントなんだよ!」

 叫ぶ。

「俺を殺したって! あいつはどうも思わねぇんだよ!」

 メグのその叫びは、どこか必死だった。

「違う!!」

 楓も、それは同じだった。

「違う! お父さんはっ……! あんたが死んだら私だけのものになるもの!」

「くれてやるよ! あんなやつ!」

「あんたが死んだらお父さんも喜ぶもの!」

「……っ!」

 一瞬メグの表情が歪む。

「あんたが死んだら……っ! あんたが!!!」

 楓はもう、ほとんど泣いていた。彼女が取り乱し叫ぶたびに、彼女の化け物が揺れた。

「俺はそうでも、マツリは関係ねぇだろ!」

「違う!」

 楓の声がひっくり返る。マツリはびくっとして楓を見た。

アズサが……っ、マツリじゃなくて私だけに絵を描いてくれるもの……っ!」

「あぁ!?」

 保健医が、絵? 何の話だ? メグは理解に苦しんだ。

「お父さんだって! お父さんだってマツリを探してるもの!」

「……んだと……?」

 メグの顔色が変わった。焦燥しょうそうと疑念に歪む。

「マツリが死んだら私だけを見てくれるの! 皆が私だけを見てくれるのよ!」

 うすら笑って楓が叫ぶ。その顔に、ついに涙が零れた。


「でも……」


 綺麗な声が静かに、けれど、激情を切り裂いて響いた。

 ゆっくりと、メグも楓もその声の主――マツリのほうに振り返る。

「でも、楓は自分が好きなの?」

 マツリが眼を丸く開いたまま、じっと彼女を見て、訊いた。

 絶望的な沈黙が広がる。乾いた隙間風と、じめじめした床。落ちたままの血。そのすべてが、時を止めていた。

「どうして楓は、自分を……好きでいられるの?」

 マツリがもう一度、ゆっくりと訊いた。その顔に表情はない。

「……マ」

 メグが何か言いかけた時。

「……ッ……ちが……」

 不意に楓の声がひっくり返る。メグは驚いて楓を見た。その様子は尋常じんじょうではなく、がたがた震えながら右手で口を抑えていた。

「うぅ……うる……、うるさ……い、ぃ―――」

 唸るような声。それに呼応するように、楓の化け物もぶるぶる震えて、もがきだした。メグはこの異様な空気に声を失う。

「だってあなたは」

 マツリはその様子に気づかない様子で続けた。

「やめろ……っ!」

 声を絞り出す楓の首筋に大粒の汗が滲む。それでもマツリは止まらなかった。

「誰かに嫌われてその化け物を出すんでしょう?」

「うるさい……っ!」

 楓が耳を塞いだ。それでも、マツリはまっすぐに楓を見る。

「誰かに嫌われてる自分をどうして好きでいられるの?」


 ――だって、私は私を憎んだもの。


 マツリの瞳は一切ぶれない。それは純粋な疑問だったのだ。楓はついに頭を抱えるようにして目を伏せた。そんな彼女の後ろで、禍々しい化け物が異常に揺れている。ソイツが放つ気持ちの悪い光が、楓の髪を透かす。

 すると、口元を歪めた楓が突然、耳をつんざくような声で叫んだ。


「――ッうわあああああああああああああああああああああ!」


 楓の絶叫にマツリはびくりと肩を揺らした。叫んだ彼女の目から涙が散り落ちる。

「嫌だ、嫌いっ……嫌われるの……、イヤ……っ……お、とおさ……―――」

 言葉がまとまらず、取り乱す。彼女はもはや正気を失っていた。メグも楓の急変にどうしたらいいのか分からず、動揺を隠せなかった。

「嫌い……!!」

 彼女の感情が、爆発する。


「私なんか嫌い……! もう、嫌い!!!」


 凄い声だった。

 そう、叫んだ瞬間だった。


「…………え?」

 ぐらり、ぐらりと楓の化け物が大きく左右に揺れだした。メグはとっさに構えたが、ソレは彼の方へは来なかった。

 ぐらり、ぐらり。揺れ動く。

「待て、そっちは……」

 ぐらり。

「やめろッ!」

 メグが、叫んだ。

 マツリは、眼を見開いた。



 ――走り出したのが見えた。

 だけど、白い影で、赤い血で、何も見えなくなっちゃったんだ。

 高い絶叫しか、もう思い出せない。

 鈍い音が、体に突き刺さったような感覚しか残ってない。

 また、血をかぶってしまった。


 今度もまた。私のものではない血を、此処で。

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