「はー……」

 椎名がため息をついた。メグの広い部屋を見渡しながら。

「……つまんねぇ家だな」

 酒もなければ、エロ本ひとつ置いていない。あるのは必要最低限の物だけだった。

「金には困ってないだろうに……」

 椎名がそうこぼすと、突然携帯が鳴った。彼はディスプレイを見やり、嫌そうな顔をして応答した。

「はい」

 立ち上がってタバコを携帯灰皿にねじ込む。

「いいえ。……えぇ」

 何気なく窓の方へ寄った。窓からは住宅街が見えた。しけた町だ。

「今ですか。……家ですよ。えぇ、ちょっと」

 平然と嘘をつき、椎名はくしゃりと髪をかき上げた。

「……大蕗オオフキ……マツリですか? いえ……。いえ……知りません」

 嘘を繰り返しながら、椎名はどんどん眉間にしわを寄せ集めていった。

「えぇ。もちろん。調べることはできますが、彼女が何か……?」


 曇天。午前の空にしちゃあ、暗すぎる。


 ***


 同刻。廃工場の空気はシンと固まっていた。三人が三人息を飲んでいた。

「………なっなんで!」

 楓が顔を歪めて、納得のいかない現象の理由を問う。

 ついさっき、大きく開かれた化け物の口は確かにメグに噛みついた。だけどそこに血の花は咲かなかった。それどころか、メグは無傷だった。

「……はッ。賭けた甲斐があったぜ……ッ」

 メグは少し歪んだ表情で化け物を見上げて笑った。そして左手をググッと押し上げる。楓の化け物が噛みついた、メグの左手の化け物ごと。

 化け物たちはユラユラ揺れ続け、膠着こうちゃくし、沈黙を保っていた。

「どういうことよそれ……ッ」

 楓が叫ぶ。化け物と化け物がまるで物理的に接触できるなど、聞いていない。これじゃあメグの化け物は、メグの左手を守るために楓の化け物に噛みつかれているみたいじゃないか。

 しかし、メグとてこうなることに確信があったわけではない。

「知らねぇよ! こいつらに聞け!」

 メグが叫んだ。その瞬間だった。

「ブオオオオオオオオオオォォォォォォォオォォオオオォオオォオォオオォォ!」

「……!?」

 突然、メグの化け物が凄まじい声で叫びだした。この世のものとは思えないようなみにくい声が工場内にこだまする。

「……っ」

 マツリはとっさに左手で肩を抱いた。全身が悪寒おかんに襲われる。

「オぉぉォぉおおオお………――!」

 叫びは空気を揺らし、左手の化け物は真っ赤な口をさらに大きく開いた。あごがめくれてしまいそうなほど。

「うっお!」

 ボッ!

 突然、破裂音とともに今度はメグの化け物が勢いよく飛び出し、楓の化け物の腕を噛み切った。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ……!」

 同時にソイツの醜い叫びが響く。

 いよいよマツリは耳をふさいだ。この音は、耳障みみざわりすぎる。

「なっ……! なんで!?」

 楓が狼狽うろたえる。

「知らねぇッつってんだろ!」

 メグは左手を乱暴に自分の胸の前に戻し、楓の化け物を押し返すと、体制を整えた。

「俺への嫌がらせだかなんだか知らねぇけどなぁ……! マツリに手ぇ出すんじゃねぇよ!!」

「……!」

 マツリはズクンと心臓が唸ったのを感じた。知らないはずの男の子が、自分のために怒っている。自分のために血を流している。その姿に、思うところがないはずがなかった。


 ――本当に、知らない男の子なのだろうか? いな。本当は……ちゃんと知っているはずだ。彼のこと。


 マツリは眼を見開いた。一瞬、ぐわっと心をえぐる記憶がフラッシュバックする変な錯覚に陥って、その脳裏のうりに白い影を見た。

 そしてその瞬間、ストンとその結論が、マツリの心の奥に落ちてきた。


 ――そうだ、これは『』だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る