ドッ……ガシャァァアアン!


「っ!」

 またしても、屋上が砕かれる。足元を執拗しつように狙う化け物のこぶしがゆらゆらと残像を残しながらうごめいた。

「あははっ」

「こ、の……!」

 思わず左手を伸ばす。

「無駄よ。私はあんたなんか怖くない」

 楓は笑顔を崩さずに、ぴしゃりと言ってのけた。確かに、左手はピクリとも反応しない。

「あんたが私を傷つけたいと思えば思うほど、この子があんたを喰べたくなるの」

 ふふっと可愛く笑う彼女は、もうどう見ても、壊れてた。

「てめぇ……っ!」

「殺しちゃえ」

 楓がばっと手を伸ばした、時だった。


「ストーップ」


「!」

「!」

 二人がびくりと体を揺らし、動きを止めた。まるで時間が止まったように。

「……な」

 さっきまでの恐ろしい笑顔を掻き消して、彼女はあからさまに動揺した。

「はいはい、お二方、ストップ。ストップね」

「……椎……――」

アズサ……っ!」

 楓がメグの声をさえぎって叫ぶ。屋上に突然現れた椎名は無表情に楓を見つめた。

「学校には馴染なじめてるのか? 楓。こんなサボリと付き合ってちゃだめだろ」

「……なっ。なんで梓が来るのっ?!」

「聞くのか? 楓」

「……っ」

 楓が言葉を詰まらせた。その瞬間、あの化け物も消えた。

 メグはいつの間にか血が噴き出していた足をちらりと見て顔をしかめ、二人の様子をじっとうかがった。椎名に目線を寄せると、椎名はメグを呼んだ。

「メグ」

「……あ? あ、おぅ」

 話がこっちに来るとは思わず、メグはたじろいだ。

「後で話がある」

「あぁ……。分かった」

 素直に頷いた。すると椎名はさっとメグから目を逸らし、楓を見つめる。

「楓は教室に戻って、今日は早く帰れ」

「あ、梓……!」

「お父様には、何も言わないよ」

「っ……絶対! 絶対よっ」

「あぁ」

 楓は一瞬メグを睨み、走って屋上を去って行った。

 彼女が居なくなった後、椎名とメグの間に沈黙が流れたが、メグが沈黙を破る。

「……珍しいな、てめぇがこんなところに来るなんて」

「俺の役目だ。気にすんな」

 椎名は飄々ひょうひょうと言ってのけた。

「……あいつは、にいたのかよ」

「あの子だけじゃないよ」

 椎名がフェンスに手をかける。

「お前以外のブラックカルテなんて、たいていあそこ送りだ」

 メグはぎゅうっと眉間にしわを寄せ、吐き気に耐えるような顔をした。

「あそこ自体、今はそんな、えげつないもんじゃねぇよ」

「……」

「十二番目の楓なんかより、お前が最も辛い体験を強いられた」

「……るせぇ」

 椎名はタバコに火を付けた。そしてゆっくりと煙を吐いた。

「……あいつが此処に来たのは、俺を殺すためだったのか……?」

「まさか」

 椎名は可笑しそうに笑った。

「お前と、おんなじだよ」


 ブラックカルテの、運命だ。



 ――ブラックカルテに関わった人間は、皆、壊れちゃうのよ。


 あの日。俺が壊した人間は二人だった。

 そして、あそこに送られた。

 罰だと思った。

 これは、俺が母さんを殺した罪に対する罰だと思った。

 いっそ打ちのめされたかった俺にとって、納得のいく仕打ちでもあった。

 だから、あれだけの痛みに、こらえられた。多少の苦しみには、立ち向かえた。


 あそこは、だった。



 第8話 終

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