第8話:十二番目の突然変異

「時々。私なんか、いてもいなくても、同じなんじゃないかなって思うんだよね」

 いつか、そんなむなしさをぽろりとこぼした。

 思春期に抱えがちな悩みだ。自分が特別などではないと気づく。誰とでも差し替え可能な自分を認めるのが怖い。そんな風になりたくないと強く思うのに、時間と事態が襲い来る。

 いづみはそんなどうしようもない愚痴ぐちを無意識に零したことをすぐに後悔し、顔を赤くした。

「……なんてね」

 そしてへらっと笑って見せる。

 マツリはそんないづみをじっと見つめ、それから平然と口を開いた。

「でも。いづみじゃないと、私は多分、友達になれなかったよ」

 その日、いづみは二人だけの非常階段で少しだけ泣いてしまった。


 そして今、そのいづみの大きな瞳がメグを睨む。同じ、この非常階段で。


 メグは言葉を失い、ただその刺さる視線に耐えていた。

「あんたがやるべきことなんて、分かってると思うけど」

 いづみは顔をしかめて吐き捨てる。

「マツリときちんと向き合って」

 そう言ったいづみに、一切『恐怖』なんかなかった。ぴたっと疼きを止めたままの左手はそのことを静かに物語っていた。


 ***


 その日の放課後、メグは躊躇ためらった挙句マツリの家を訪ねることにした。顔をしかめながら弱々しくインターホンを押す。

 しかし、返答はない。

「……いないのかよ」

 メグは少しその場で待つことにして、あたりを見渡した。普通の住宅通りは先ほど上がった雨のせいで薄暗い。ほどなくしてあたりは本格的に暗くなり、周囲の家から光が漏れ始めた。

「んだよ……」

 呟く。三十分は待ったがマツリは戻らない。彼女の家にも光は灯らない。

 ――……何処に行った?

 自問。心当たりの場所に思いを巡らせた、その時だった。


「メグ?」


 背後から気配もなく呼びかけられ、メグはびくりと体を震わせて俊敏しゅんびんに振り返った。そこにいたのはマツリではなく、いづみでもなく、もちろんギャング連中でもなかった。それは、非常に愛らしい少女だった。

「あなた、メグでしょ」

 彼女は微笑み、再度確認するようにそう言った。

「……んだよ、てめぇ」

 メグはわずかに警戒し、相手を睨む。

「ははっ」

 少女が笑うと、髪に結われたリボンがふわっと揺れた。

「……ッ」

 ――なんだこの感じ。

 悪寒がした。彼女の高い声は、まるで背中を舐めるようだ。

「何してるのー? メグ。誰の家? これ」

「……誰だお前」

「…………」

 彼女は心外そうに目を丸めた。

「ひっどいわねぇ。知らないんだー」

「知らねぇよ」

 心当たりがない。

「探してたでしょ。今日」

「……お前……まさか」

「楓。朝日奈 楓アサヒナ カエデだよ。私が」

 彼女は可愛い顔でにこっと笑った。しかし、負けじと可愛らしい顔をしたメグはその笑顔を訝しむように睨んだ。

「……あははっ」

 こらえきれず笑い出した。そんな笑い方で楓は声を上げた。

「なんだよ」

「全然似てないのねっ。メグッ」

「……ッ! てめぇ……」

 メグがその眼に嫌悪の色を滲ませる。その言葉が、メグにとって侮蔑ぶべつの言葉だったからだ。

「だけど、嫌いよ」

「なにがだよ!」

「私、あなた、嫌いだわ」

 急に笑顔を消し、メグを見つめる彼女の顔は、静かに殺気を放っていた。

「……ッ!」

 思わずひるんだメグは左手を握りしめた。

アカネには関わるなって言われたけど」

 その名にメグの眼球が揺れる。汗が流れる。

「そんなの。知らない」

「お前……」

「嫌いなさいよ」

「……は?」

 突然の命令に、理解が及ばない。

「私のこと、嫌いなさいよ。メグ」

「……なに言ってんだ、お前……」

「私は、あんたを喰らいに来たんだから」

 にっと笑ったその彼女は、どう見ても普通ではなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る