「椎名ァ!」


 ガターン!


「なっ、なになになに!」

 突然容赦なしに開けられた戸が、放課後の静寂を破ってひどい音をたてたので、椎名は跳ねあがった。

「ブラックカルテだな!」

 メグは保健室にずかずかと踏み入ると、狼狽うろたえる椎名に掴みかかる勢いで近づいた。

「あの女! ブラックカルテなんだな!」

 額に大量の汗を滲ませながら問い質す。血相を変え、肩で息をするメグを見て、どこかから走って此処まで来たのだと椎名はすぐに理解した。

「だからか……! だからアイツも来たんだろ……ッ!」

「……会ったのか?」

「会った!」

「…………。とりあえず落ち着けよ」

 椎名が襟元えりもとから優しくメグの手を引き剥がす。メグは興奮したままその場に立ちすくんだ。

 柄にもなくコーヒーを飲みながら書類をしていたらしく、机の上に白い紙が散らばっている。椎名はそれらをため息と共に束ね、メグの息が整うのを待った。どうしようもない沈黙がしばらく続いたが、ほどなくして椎名の二度目のため息がその沈黙に終止符しゅうしふを打った。

「今、全部でいくつ。お前と同類のブラックカルテが存在するか知ってっか。メグ」

 その問いかけにメグは答えない。かいを知らないからだ。

「十三だよ」

 メグは椎名から目を逸らした。自分の左手を見つめ、小さく睨む。

「神様は、そうとう人間が嫌いらしい」

 椎名はそんなメグを観察するように眺めると、笑いながら言った。

「生物の進化の過程で、『突然変異』なんてのはよく起こるもんだ。人間にも多種多様な突然変異が二十世紀初頭から多く見られるようになった。その中で、科学的理解を超える変異を体に宿した看者と、そのカルテをブラックカルテと呼ぶ」

 まるで授業のおさらいをするかのような話し方だった。椎名は白衣のポケットに手を突っ込んだ。

「人体が発する感情の信号『ノイズ』が関係していることまでは分かっているが、どの分野からも発生原因の仮説すら立てることができない新種の変異。それ身体に宿したのが、お前たちブラックカルテの十三人」

「あいつは……。あいつも、特定の感情に対して暴食運動を起こすんだな」

「……そうだねぇ」

 椎名が苦笑いした。

「『嫌悪』か」

「ご名答」

「左手に……?」

「……」

 椎名は黙りこみ、コーヒーを一口飲んだ。

「なぁ。メグ」

 そして再び切り出す。

「変異のエスカレートが起こってんのを、知ってるか?」

「……エスカレート?」

「お前の『恐怖』を喰らう化け物は一番目のブラックカルテだ」

 メグは右手でぐっと左腕を掴む。

「そして彼女は、十二番目の変異者」

 それの意味するところは。


「彼女の変異は、そんなもんじゃねぇよ」

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