はっと気づくと、いつの間にかマツリは繁華街を歩いていた。どうやってここまで来たのかは思い出せない。足元のコンクリートが恨めしいくらい灰色で、空すら汚い曇天だった。

 マツリはじわりと嫌な汗が額に滲むのを感じ、ぎゅっと奥歯を噛み締めて不快感に抗った。

「……ッ」

 しかし、堪らず、走り出す。走って、走って、走って。


 ガシャーン!


「はっ……はぁ……っは……っ」

 ふらふらしながら、扉をぶち破るがごとく、あの場所へ飛び込んだ。工場跡――世界の端っこへ。冷たいその場所に、息を切らせたマツリは雪崩なだれるように座りこんだ。

 ――なんだこれは。

「……ぅ……っ」

 なんだ、これは。

「……うぅ……ッ」

 吐きそうなほど、気持ちが悪い。頭がぐらぐらする。

「……っ」

 右手で左の手首を掴んだ。爪が突き刺さるほど、握りしめる。握りしめる。握りしめる。



 ――そういえば、昔もこんな風に此処でうずくまっていた。

 一度じゃない。そうだ。あの、時だ。

 叫んで、お母さんを刺した時だ。


 あの後、人が来るまで。きつく握りすぎたナイフの感触が消えなくて、消したくて、消せなくて、この工場跡の隅に座り込んで、ひたすら手首を握り殺していた。あの人の死んだ体が硬くなって、白くなっていくのを見ながら。


 ――どれくらい?

 どれくらい此処にいた?

 どれくらい、私の手は血まみれだった?


 一度じゃない。その時だけじゃない。

 祖父が私の世話のために家に住むようになってからも、私は一人でよく此処に来ていた。そして決まって此処に座り、虚脱感きょだつかんと戦いながら、涙も出ない目を見開いていた。

 けれど

 何もなかったから。死んだ女も、血まみれの手も。


 ――ああきっと。私はそうやって、安心したかったんだ。


 殺したのは私じゃない。あの拒絶だって、もう無いのだと。此処に座って、自分に言い聞かせていたのだ。

 でも。私を拒絶する人間もいなかったけれど、愛してくれる人間もいなかった。

 もとから。


 ――ねぇメグ。

 メグが此処で言ってくれた言葉は、きっと忘れないけど。自分を許すって、案外簡単なことだと思ったけど。

 でも、やっぱり忘れちゃいけないんだよね。私が忘れても、分かってしまう人間がいるんだよね。

 メグが言った言葉は、本当に嬉しかった。

 だけど、メグにすら拒絶されてしまった今、こんなにも簡単にその言葉を信じられなくなった。

 そんな些細ささいなことで見失うような安寧あんねい。結論を人に依存した結果だ。そもそもメグに話したのだって、本当はメグならきっと否定してくれると思って甘えたからだ。

 なんて都合のいい考えだったんだろう。

 そんな弱さごと、いとも簡単に彼女に暴かれて、恥ずかしさで消滅してしまいたくなった。


 知られたくなかった。

 知らせなければ良かった。

 やっぱり、私は、私を許せない。

 呪われてるのは私の心だ。


 ――ああ、もう、

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