――高校、入学。

 春の桜と世界の青さ。そんなものを噛みしめながら、大体の新入生は、新しい制服を着る。

 私の中学からこの高校に入ったのは、私とたった一人の男子で、入学当初はだいたい一人で行動していた。そんな春先、しわくちゃな再生紙のプリントを握りながら美術室を目指して歩いていたら、校内で迷ってしまった。

「あれ……、どこ、此処」

 そこは理科棟で目的地とは完全に違っていた。人気ひとけもなく、薄暗くて少し気味が悪い。

「……やべ」

 後ずさって来た道を戻ろうとした時、ドスッと誰かにぶつかった。

「わっ」

 驚いて一歩離れると、女の子がじっとこちらを見ていた。

 第一印象は、『目の強い子』。それが、マツリ。

「ご、ごめんなさい、美術室って何処だか分かります?」

「……分からない」

 マツリは首を振った。

「あっ……ていうか、同じクラス、だよね……?」

 失礼にもそのことに気が付くのに少し時間をゆうした。実は真正面から彼女を見たのは、それが初めてだったんだ。

「うん」

「えっと……」

大蕗オオフキ

「あ、大蕗さん……っ。え、大蕗さんも、美術専攻?」

 持っている教科書が美術のものだと気づく。

「うん。けど、此処じゃないみたいだね」

 私と話してるのに、私とは話してないような、変な感覚だった。じいっとこっちを見てくるのに、私を一切見てない気もする。『掴めない』……言い方としては、それが一番しっくりきた。

「……あ、あっちかな」

 そんな不思議な彼女が大きな窓から見える別の棟を指さす。

「あっ、そうかも。あっちは家庭科室とかあった気がするけど……。行ってみよっ、とりあえず!」

 私が歩きだすとマツリは頷いて付いてきた。

 緊張した。

 人見知りするほうではない。けれど、あの時確かにひどく緊張していた。彼女をまとう空気は洗練せんれんされていたし、目を見ていると吸い込まれそうになったからだ。

 まるで誰にも興味がない、何にも興味がない。自分にも、他人にも。境界線すらない。無。その異質さにぞっとした。


 しかしその後少しずつ言葉を交わすたび、彼女の纏う暗幕のような空気は薄れていき、この日感じた違和感は、私の呼び名が「高橋さん」から「いづみ」に変わる頃にはすっかり消えてしまった。

 けれど今でも思い出す。初めて言葉を交わしたあの日のひどく暗い瞳の色を。

 だってあれは、私が出会った人の中で最もすさんだ眼だったのだ。


 ***


「……なんか、その出会い聞いても。あんたたちがどんな風にして仲良くなったのか、想像つかないんですけど」

 話し終えたいづみにリョウが笑いながらそう言うと、いづみも短く笑った。

「うーん。それ、言われると思った」

「はは」

「なんだろうねー。うーん……。きっとさー」

 いづみは鉛筆をくるりと回し、スケッチブックに柔らかく突き立てた。

「特別な出来事なんてなかったよ。だけど、いつのまにか一緒にいて。多分、居心地がよかったんだよね。マツリは何も言わなくても、分かってくれてることがほとんどで。それに……何回も救われた気がする」

 そう言ったいづみの表情は柔らかく、愛しそうに微笑んでいた。その優しい顔に、リョウもつられて笑った。

「それ、きっとマツリも同じだよ」

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