「あっ……」

 マツリが昇降口まで勢いよく駆け降りると、想像した通りメグが立っていた。

 けれど明らかに空気が凍りついていて、マツリは階段の脇から一歩も近づけなかった。

 マツリが固まっていると、前方から足音と共にスーツの男達が歩いて来た。ひとりを先頭に多くのSPエスピーがついている。明らかに国光のお偉いさんだ。男前で背が高く、きちっとした印象を受ける。歳は四十代前半くらいだろうか。

「……何しに来たんだよ」

 その先頭の男にメグが言葉を発したので、マツリはドキッとした。メグはまっすぐに男を睨んでいる。

「お前に用はない」

 そんなメグに対して、男は温度のない言葉を吐きつけた。メグが顔を小さく歪めるが、その傍らを彼らはなんのことなしに通り過ぎてしまった。


「…………」


 男たちが通り過ぎた昇降口には、しばらくの間気まずい沈黙がこだましていた。マツリは迷いぬいたあげく、意を決してメグに近寄った。

「メグ……」

「マツリ」

 メグは振り向かず低い声でマツリの名前を呼んだ。マツリはドキリとして足を止める。

「もう、学校では俺に会いに来んな」

「……え?」

 突然、何を言い出すのだろう。マツリは思いもよらぬ言葉に混乱した。

「メ……」

「今後、俺に関わんな」

「メグ……? どうしたの……」

「俺に構うな」

「どうして……? メ……――」

 ――言いたいことがあるのに。

 思わず手を伸ばして、メグに触れようとした。その時だった。


 バシィッ!!


「気安く俺に触んな! いいから俺に構うなよ!」


 メグはすごい剣幕でそう叫ぶと、マツリの手を叩き落とした。そして、勢いよく背を向けて走り去ってしまったのだった。

 伸ばした手を無慈悲むじひに叩き落とされたマツリは、右手に残る熱い余韻よいんを感じながらその場に立ち尽くしてしまった。

 白くたなびく、腐る世界。目に映るその世界が急速に色を失うのを、マツリはどうすることもできなかった。


 ***


「……これはこれは」

 国光の男たちの姿を見つけた保健医は、手をかけていた保健室のドアから手を離し、彼らと向き合った。

「……梓君か」

 先頭の男がその姿に気づき、呟いた。

「お久しぶりです」

 そして立ち止まり、椎名と握手を交わす。

「どうかしたんですか?」

「大したことではない。特にアポもないからな」

「どうりで。お出迎えもないわけですねぇ」

 椎名は、ははっと笑った。

「メグに?」

「いや、今日は転入手続きだ」

「……誰のですか?」

「聞くのか?」

「……いいえぇ」

 椎名はため息交じりに笑う。瞬時に何かを察して、諦めるところまで終わった笑顔だった。

「梓君には悪いが。ひとつ仕事を増やすことになる」

「はは……っ。おかまいなく。仕事ですから」

 椎名はへらっと笑い、すぐに真面目な顔に戻した。

「また、ブラックカルテですか……」

「あぁ。今度は女子だ」

「……本当に」

 椎名は寂しく笑った。

「本当に、人間は随分神に嫌われたものですね」


 ***


「れ、マツリ……?」

 授業中だというのに外から校舎に戻ってきたリョウが昇降口あたりで立ち尽くすマツリを見つけて驚いた。

「マツリっ、どうしたのー? HRホームルームは?」

 それはそっくりそのままリョウにも言えたのだが、マツリはただ小さく「サボリ」と答えた。

「ははっ! メグの悪い影響だなぁ。ねぇ、体育館裏行かなーい? パン買って来たのっ」

「うん」

 マツリは頷くと、リョウについて歩き出した。リョウは長い髪をキラキラと揺らして微笑みながら歩くが、内心マツリの様子に違和感を覚えていた。


 平均台に腰を掛け、手渡された菓子パンを受け取ると、マツリは袋を引きちぎった。

「……マツリ、昇降口でなんかあった?」

「ないよ」

「……いやいやいや……。うーん……」

 リョウが言葉を探した。が、全く見つからなかった。

「あー……。なんでもない」

 そして諦めて空を見上げ、別の話題を探した。

「あ、ねー。知ってる? さっき国光の連中が来てたの」

「うん。見たから」

「なんか転入生入るらしいよー」

「……国光……から?」

 マツリは首を傾げた。意味が分からない。企業から、転入生?

「うーん。詳しいことはわかんないなー。校長室の窓の外で日向ぼっこしてたら聞こえただけだから」

「そう……」

 マツリはぼんやりとしながら菓子パンを頬張った。


 ――ああ、美味しくない。


 味なんてしない。匂いなんてしない。色もない。だってもう一度、灰色の世界に落っこちてしまったんだから。

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