7
「全部あんたが悪いんだからね!!! マツリィ……!」
暗い工場の中、悲痛な声で叫んだ母は恨めしそうな目で私を睨み、乱暴に髪の毛を掴んだ。
「本当はお母さんだなんて思ってないくせにさァ……」
「……っ」
掴まれた髪の毛が千切れそうだった。
「
「……」
違うよ。――言えなった。
「死ぬのよ」
「……っ!?」
ギクッとした。その瞬間、もう抵抗を諦めていた正体不明の金縛りが解けた。
「死ぬの、マツリ」
「ぉ……」
「此処で」
涙が流れてるのが見えていた。同時に、その赤い右手が刃物を握っているのが見えていた。
「……ぅ……」
声が漏れた。
呪いを解いた正体は、恐怖だった。
――死にたくない。
そう思った。
これは、私の記憶上、そう願った最後の日だ。
「うわあああああああああああああああ!!!!」
叫んだ。 何とかこの女の手を振りほどき、逃げようとした。けれど
「殺してやる!!」
「うわああ!」
「殺してやるからァ!! マツリ!!」
ガッ……と、首根っこを掴まれた。たった十歳の子供の力では、そこから逃れるこなどが叶うわけもない。ぐんっと身体ごとひっぱられて、そして。
ガシャ――ン!!
浮き上がった身体は、いつのまにか鉄材やドラム缶が詰まれたあたりの床に叩き付けられていた。衝撃で息ができなかった。けれど目を離せなかった。その凶刃から。
「……ッ」
刃が光る。あの男の血を吸って
――ああ、もう、だめだ。
そう思った。その時。
「……ごめんね……お母さんのこと……嫌わないでね……」
ボタ……と、熱い液体が降ってきた。頬を伝うそれは、彼女の、
「っ……いやああああああああああああっ!!!」
思いっきりもがいた。母も私を力づくで押さえてきた。
コロシテヤル?
コロシテヤル。
殺してやる……!!!
心音が鳴った。深い所で。私は目を硬くつむった。
「ああああああああああっ!!」
ドッ
鈍い音がした。
「…………っ」
熱い。熱い。熱い。降り注ぐ涙が熱い。
私はゆっくりと目を開いた。
「……お……か……」
けれど降ってきたのは、涙じゃなかった。
血だ。
熱くて
目に映るのはぐったりして動かなくなった――もう、裂くような言葉を吐きかけてこない、母親だった。お腹のあたりに何かが押し付けられている。そこが熱い。痛い。どんどんなにかが、どろどろと出てくるのが分かった。私はそのなにかを両手でつかんだ。
「……っお……おかあ……さ……」
なんとか体勢ずらして身を起こし、立ち上がって初めて、どういう訳か両手で握りしめている赤の刃のに気がついて。紅く染まってる自分自身に気がついて。もう動かない彼女が命を失くしてるのに気がついて、私は立ちつくした。まるで、ありがちなドラマのようだった。
ありがち、だけど、こんなもの、ありえない。こんなの、実際なってみたら、無い。あってたまるか。
涙が出そうになった。でも、もう枯れていた。ずっしりとなにかが重くのしかかって来ていて、うまく動けなかった。ズルリと死に物狂いで脚を引きずって、赤い液体引きずって、後ずさった。さっきとは違う恐怖で身体が震える。灰色だった世界に赤が一色入り込んできた。鮮明だった。
「……ぁあ……」
私はついぞ壁にぶつかって、ずるっとすべるように座りこんでしまった。
両手にはまだしっかりとあの刃が握られていた。ひどく気持ち悪かった。さっきのあの鈍い音と、一瞬の母のうめき声。それから、溢れた液体の熱さ。その何もかもの感覚が脳裏に渦巻いて、どうしようもなかった。その一瞬の過去が何度も何度も頭の中で繰り返し再生された。
うずくまるその場所――工場の端っこが、最後の逃げ場所、世界の端っこに思えた。
次に工場の扉が開いた時、私は衰弱しきった状態で発見された。意識を失っているようだったのに、しっかりと眼だけは大きく開いていて、その工場の隅でピクリとも動かなかった、と後で聞かされた。
母親の死体と、私の手のあたりにあった刃を見た警察に私は保護された。
もう喋る気力すらなかった。私は警察に何も伝えなかった。私が殺したのだと判断する声が上がったが、私を無理矢理引きずる母親や、普段からネグレクト気味の母親の姿を見ていた人がいた。
『正当防衛』
そうして、私はまた社会に放り出されてしまった。
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