3
普通じゃないよ。
独りぼっち。雨を裂きながら歩く帰路。
河川敷を見下ろしながら、作りかけのビルをかすめ、古びた町を歩く。マツリは雨で霞んだ工場跡地の前まで来ると、ぴたりと足を止めた。じんわりと雨が脚に染み込む。傘から大粒の滴がぽたぽたと落ちる中、マツリはじっとその工場を見つめ、呟いた。
「聞くんじゃ……なかった」
メグの、過去なんか。
メグの、気持ちなんか。
けれど、私は知りたいという欲を抑えられなかった。
メグを知れば知るほど。
私がどうしてメグに近づいたか、分かった気がした。
私がメグの何を知りたかったのか、分かった気がした。
私がどれほど罪深いか、分かった気がした。
それを認めてしまったら、そんなの孤独しか残らないのに。化け物がどうして生まれたのかを聞いて、そのことに気づいてしまった。
「マツリ!」
マツリはビクリと肩を震わせた。だってその声はメグの声で、振り向くとやはりその人はメグで、傘を持って息を切らしていたのだ。
「……メグ。なんで……」
「なんなんだよお前」
彼は少し怒ったような顔をして近づいてきた。
「変だぞ……お前」
「そうだよ」
マツリは肯定し、まっすぐメグを見つめ返す。貫くような眼で。
「普通じゃないんだよ。私は」
「……んだそれ」
メグは脚を止め、一メートルの距離で二人は見つめあった。
「お前な……」
「本当はね、私、同じだと思ってたの」
「……は?」
「同じだって、思いたかったの」
「何言ってんだ……」
メグは困っているようだった。要領を得ないのだ。
「きっとそれだけで、メグに近づいたんだよ。そんなの勘違いでしかなかったのに」
「マツリ……?」
メグはマツリに近づいた。一歩の距離だけ。
「今更そんなことに気づいたんだ。だから、謝ったの。私」
けれどマツリはその距離を許さず、後ずさった。
「待てよ……っ」
「来ないで」
「!」
はっきりとした拒否だった。
「ごめん……。でも、こっち側に。絶対来ないで」
「どっち側だよ……」
マツリは答えなかった。
こっちを見ないマツリが、折れそうなほど脆い。そのことが無性に悲しくなった。傘が揺れ、水が落ちた。長い沈黙が続いた。
「……お前。家どこだよ」
メグが問いかけるとマツリはメグを上目使いで見た。メグはギクッとした。一瞬、単純に怖いと思ってしまった。
「送るから」
「いらない」
「この辺も物騒なんだぞ」
「……いいよ」
「つか、お前……」
椎名の時も、夜遅くに一人で墓地まで行ってたよな……――と言いかけて、やめた。
「いいよ。誰かに襲われて死んでしまうなら、それもいいんだと思う」
全身がザワッとした。それが鳥肌だと気づいて、メグは息を飲んだ。
「何……言ってんだよ。お前な……ッ」
「メグ」
マツリのまっすぐな眼がメグを突き刺す。今日一の鋭さだった。
「拒絶したくないの。お願い」
「……ッ」
言葉を返せない。それは金縛りような一瞬だった。マツリはふっと俯くとメグに背を向けて歩き去る。
「マツリ!」
またしても取り残されたメグは追うこともできず、ただ呆然とした。告白めいたこの独白を理解することなどできなかった。
***
「あー。明日は、嵐だなこりゃ」
カラン……――
薄暗い保健室、椎名は外の雨を見ながらグラスを揺らして机に置いた。
「……で。君が客とは珍しいね」
椎名はうっすらと微笑み、さらりと髪を揺らして客人を見つめた。
「メグ」
そこにはメグが眉を寄せて立っていた。肩が濡れている。走って学校に戻ってきたのだ。椎名は苦い表情のメグを見て、何かを察したのかにっこりと笑って反対側のソファを指さした。
「かけなよ」
メグは静かに指示に従い、椎名と向かい合う形でソファに座った。
「で、なに? あ、悪いけど未成年にお酒はあげれないから」
「いらねぇよ」
「そ」
椎名はまたグラスを持ち上げてそのお酒を飲みこんだ。バーボンだ。
「お前……」
メグが
「マツリになんか言ったか」
「なんかって。君の過去の事とか?」
「……ちげぇよ。もっと他に」
「マツリになにか言われたか?」
椎名は息をつきながらソファにもたれかけなおした。その金の髪がいちいち揺れる。
「……自分のほうが化け物だって。こっちへ来るなと言った」
「ふーん?」
カランと氷が鳴る。
「心当たり、ねぇのか」
「……ないねぇ」
そっけない顔で笑った。
「そうか。邪魔したな」
メグが立ち上がると同時に、保健医が呟いた。
「あのさ。あの子の家。南町だったよねぇ」
「それがどうしたよ」
メグの動きが止まる。
「や。学校の生徒情報ファイルでもさ。あの子の家のこと、ひとっつも分かんないんだよね」
「は?」
「家族構成はおろか、きちんとした住所も、なにもかも。……ま、そんな深く調べてないからかもしれないけど」
メグは眉をひそめた。何を言いたいのか推し量っているようだつた。
「……やめときなよ?」
「なにをだよ」
「お前はあの子の過去、詮索するような真似、やめとけよ……?」
人の過去をべらべらしゃべっておいて、よく言うな。と思ったが、メグは口には出さなかった。
「大切なら。尚更な」
「……邪魔したな」
保健室を去るメグの姿を目で追いながら、椎名はふうとため息をついた。
「荒れるなぁ……」
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