普通じゃないよ。


 独りぼっち。雨を裂きながら歩く帰路。

 河川敷を見下ろしながら、作りかけのビルをかすめ、古びた町を歩く。マツリは雨で霞んだ工場跡地の前まで来ると、ぴたりと足を止めた。じんわりと雨が脚に染み込む。傘から大粒の滴がぽたぽたと落ちる中、マツリはじっとその工場を見つめ、呟いた。

「聞くんじゃ……なかった」


 メグの、過去なんか。

 メグの、気持ちなんか。

 けれど、私は知りたいという欲を抑えられなかった。

 メグを知れば知るほど。

 私がどうしてメグに近づいたか、分かった気がした。

 私がメグの何を知りたかったのか、分かった気がした。

 私がどれほど罪深いか、分かった気がした。

 それを認めてしまったら、そんなの孤独しか残らないのに。化け物がどうして生まれたのかを聞いて、そのことに気づいてしまった。


「マツリ!」

 マツリはビクリと肩を震わせた。だってその声はメグの声で、振り向くとやはりその人はメグで、傘を持って息を切らしていたのだ。

「……メグ。なんで……」

「なんなんだよお前」

 彼は少し怒ったような顔をして近づいてきた。

「変だぞ……お前」

「そうだよ」

 マツリは肯定し、まっすぐメグを見つめ返す。貫くような眼で。

「普通じゃないんだよ。私は」

「……んだそれ」

 メグは脚を止め、一メートルの距離で二人は見つめあった。

「お前な……」

「本当はね、私、同じだと思ってたの」

「……は?」

「同じだって、思いたかったの」

「何言ってんだ……」

 メグは困っているようだった。要領を得ないのだ。

「きっとそれだけで、メグに近づいたんだよ。そんなの勘違いでしかなかったのに」

「マツリ……?」

 メグはマツリに近づいた。一歩の距離だけ。

「今更そんなことに気づいたんだ。だから、謝ったの。私」

 けれどマツリはその距離を許さず、後ずさった。

「待てよ……っ」

「来ないで」

「!」

 はっきりとした拒否だった。

「ごめん……。でも、こっち側に。絶対来ないで」

「どっち側だよ……」

 マツリは答えなかった。

 こっちを見ないマツリが、折れそうなほど脆い。そのことが無性に悲しくなった。傘が揺れ、水が落ちた。長い沈黙が続いた。

「……お前。家どこだよ」

 メグが問いかけるとマツリはメグを上目使いで見た。メグはギクッとした。一瞬、単純に怖いと思ってしまった。

「送るから」

「いらない」

「この辺も物騒なんだぞ」

「……いいよ」

「つか、お前……」

 椎名の時も、夜遅くに一人で墓地まで行ってたよな……――と言いかけて、やめた。

「いいよ。誰かに襲われて死んでしまうなら、それもいいんだと思う」

 全身がザワッとした。それが鳥肌だと気づいて、メグは息を飲んだ。

「何……言ってんだよ。お前な……ッ」

「メグ」

 マツリのまっすぐな眼がメグを突き刺す。今日一の鋭さだった。

「拒絶したくないの。お願い」

「……ッ」

 言葉を返せない。それは金縛りような一瞬だった。マツリはふっと俯くとメグに背を向けて歩き去る。

「マツリ!」

 またしても取り残されたメグは追うこともできず、ただ呆然とした。告白めいたこの独白を理解することなどできなかった。


 ***


「あー。明日は、嵐だなこりゃ」

 カラン……――

 薄暗い保健室、椎名は外の雨を見ながらグラスを揺らして机に置いた。

「……で。君が客とは珍しいね」

 椎名はうっすらと微笑み、さらりと髪を揺らして客人を見つめた。

「メグ」

 そこにはメグが眉を寄せて立っていた。肩が濡れている。走って学校に戻ってきたのだ。椎名は苦い表情のメグを見て、何かを察したのかにっこりと笑って反対側のソファを指さした。

「かけなよ」

 メグは静かに指示に従い、椎名と向かい合う形でソファに座った。

「で、なに? あ、悪いけど未成年にお酒はあげれないから」

「いらねぇよ」

「そ」

 椎名はまたグラスを持ち上げてそのお酒を飲みこんだ。バーボンだ。

「お前……」

 メグが躊躇ためらうように口を開いた。

「マツリになんか言ったか」

「なんかって。君の過去の事とか?」

「……ちげぇよ。もっと他に」

「マツリになにか言われたか?」

 椎名は息をつきながらソファにもたれかけなおした。その金の髪がいちいち揺れる。

「……自分のほうが化け物だって。こっちへ来るなと言った」

「ふーん?」

 カランと氷が鳴る。

「心当たり、ねぇのか」

「……ないねぇ」

 そっけない顔で笑った。

「そうか。邪魔したな」

 メグが立ち上がると同時に、保健医が呟いた。

「あのさ。あの子の家。南町だったよねぇ」

「それがどうしたよ」

 メグの動きが止まる。

「や。学校の生徒情報ファイルでもさ。あの子の家のこと、ひとっつも分かんないんだよね」

「は?」

「家族構成はおろか、きちんとした住所も、なにもかも。……ま、そんな深く調べてないからかもしれないけど」

 メグは眉をひそめた。何を言いたいのか推し量っているようだつた。

「……やめときなよ?」

「なにをだよ」

「お前はあの子の過去、詮索するような真似、やめとけよ……?」

 人の過去をべらべらしゃべっておいて、よく言うな。と思ったが、メグは口には出さなかった。

「大切なら。尚更な」

「……邪魔したな」


 保健室を去るメグの姿を目で追いながら、椎名はふうとため息をついた。

「荒れるなぁ……」

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