第4話:彼女が彼に近づいた訳

 朝、ざー……っという雨の音でメグは目を覚ました。目を擦りながら窓の外を見やると、昨日の晴天が嘘のような曇天どんてんだった。

 昨日、あの後、マツリとはまともに言葉を交わさずに別れた。六限目が始まる鐘がなるやいなや、「行かなきゃ」と呟いたマツリが屋上を去ったからだ。

 メグは顔を洗い、鏡ごしに濡れた自分の顔を見つめた。かと思うと、グシャリと顔を歪め、押し殺した声を吐き出した。

「……るせぇよ……ッ」

 左手でバンッと鏡を打つ。そしてゆっくりとうなだれて、あご筋から落ちていった雫を睨んだ。

「てめぇに喰わすもんはねぇんだよ……ッ」


 ***


 雨音が響く学校の廊下にて。係の仕事でノートを職員室まで運んでいたマツリは軽薄に呼び止められた。

「マーツリ」

「……椎名先生」

 振り向くとその声の主は椎名で、マツリは小さく会釈をした。

「や。どう? 調子は」

「普通です」

「メグは?」

「……普通です」

「ふーん」

 椎名は何かを察したようにそう言うと、にこっと笑った。椎名がゆっくり歩き始め、マツリも彼について歩き出す。

「気まずくなっちゃたんじゃない?」

「はい……」

「メグの過去を聞いて、どうしたの? 君は」

「謝って……言いたいこと、言ってしまいました」

 椎名は少し複雑な顔で笑った。

「メグはなんて?」

「……なんで、俺の前に現われたんだよって」

 マツリは小さく俯くと、自嘲気味にへらっと笑ってみせた。

「いい加減しつこくて嫌われちゃったみたいです。私」

「…………それ、本当に『うっとおしい』って意味の言葉かな?」

「違いますか?」

「はは、本人に訊いてみなよ」

 彼は保健室の前で足を止めてマツリと向き合った。

「……でも」

「きっと、嬉しくて言ったんだと思うよ。俺」

「え?」

 それ以上を語らぬ椎名は手を振って、「じゃ」と保健室へ入っていった。

 ――嬉しい?

 あれは、近づきすぎた私への『突き放す言葉』ではなかったのだろうか。

 マツリは椎名の言った言葉を反芻はんすうしながら、再び教室へと歩き出した。もう一度昨日のメグを思い出す。


 メグは優しい。だから独りで立っていた。

 故意に母親を殺してしまったのではなかったし、深く傷ついていた。

 ほら、それは、想像のとおりだったでしょう。

 ――あの化け物も、彼の優しさが生んだ全て。


 なのに。


「どうして私は、苦しいんだ……」

 マツリはポツリと、消えそうな声で呟いた。

 けれどそれは、マツリ自身が一番分かっていることだった。

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