「うああああああああああああああああああああああっ!…うああっ!」

「ギャハハハハハハハハハハアアアアアアアアアアアアアア!!」


 それは、一生忘れられそうにないような、おぞましい高笑いだった。まるで、壊れた喋る人形のように、不規則にピッチが狂う。

「なん……! だよこれ……っくそ!!」

 驚いて咄嗟に左手を掴もうとした。しかし。

「っめた!」

 自分の左手なのに、酷い冷気が噴き出していて思わず手を引っ込めた。理解不能だ。何も考えられなかった。

「……っ! 母さんっ!」

 瞬間、走り出していた。振り切ろうとしたのかもしれない。思いっきり走った。人とすれ違うと、何か異様なものを見るような眼を向けられた。それが、あいつが幻覚ではないことを告げていた。

 左手から生えて揺れるあいつを振り切ることなんてできるはずもなかった。それでも逃げるように走った。そして俺は、生きてきた中で最も間違った選択をする。

 ――俺が向かった先は。母親の病室だった。


「母さんっ……!!」

「ひっ……!?」

 部屋に飛び込むと母親は眠っていたが、付き添っていたナースが俺を見て小さく悲鳴を上げた。

 俺はそんなことには目もくれず、ただ母親に駆け寄った。

「お母さん助けて……っ! お母さんっ!」

 馬鹿な行為だった。発作と痛みに耐え、疲れきって寝ていた母親を無理やり起そうとしたんだから。さっきまでは自分が母親を助けたい、なんて思ってたのに。助けてもらいたいたくて、弱った母親にすがるなんて、本当に、馬鹿だと思う。

「誰かぁ……っ」

 看護婦が部屋を飛び出た。

 俺は起きない母親に絶望し、涙を流しながら目を吊り上げた。

「……ひっこめ……っ! ひっこめ!!」

 あいつを睨み、ブツブツ唱えるように何度もそう言った。

 けれどあいつは嘲笑あざわらうかのように潰れた目を向けて俺を見下ろしていた。

「ひっこめよ! お前なんか……っ!! 消えちまええぇぇぇぇぇッ!!」

 絶叫した瞬間、ゆらっとあいつは揺れた。そして、すうっと手の中にひっこんだんだ。

「……はっ、はぁ……はぁ……」

 息が切れた。涙がポロリと落ちた。


 ――消えた。

 消えた……!


 その時の安堵あんども、きっと一生分。

 しかし、今度は母親が目覚めないことに恐怖を覚えて取り乱した。

「母さんっ……お母さんっ! 起きて!」

「……っん」

 俺が大声で叫ぶと、母親は声を零した。

「母さんっ」

 ああ、起きてくれた。死んでいない。良かった。体の緊張がどっとほどけた。

「……メグ?」

「母さん……! 俺っ」

「メグ、どうし……っ!? そ……っ」

 突然、母親の顔が歪んだ。

「それ……っ! なんなの……?」

「え?」

 震える指で、俺を指す。

「え……」

 俺は彼女が指す自分の左手を、恐る恐る見た。

「あ……」

 すると、白い光が手かられるように揺れていた。また、アイツだ。アイツの、光だ。

「これは……っ」

 母は絶句してた。


 そして次の瞬間。

 ボッ……!!

 ぜる音がして、アイツが膨らみ、叫んだ。


「ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィ……っ!」


 せきを切ったように母親が叫ぶ。

「っ……っきゃあああああああああああああああああああああああっ!!」

「うああああああああっ!」

 俺も絶叫した。その瞬間だった。あいつが体から飛び出した。


 ブシュ……!!


 耳元で、聞いたことのない音が聞こえた。目を閉じてしまったが、何が起こっていたかなんて、俺にはもう分かっていた。

 この音は母親が喰いちぎられた音だ。俺が、母さんを切り裂いた音だ。

 温かい赤い血が、俺の体を染め上げる。

「うわあああああああああああああああああああああああああああああッ!!」

 目を見開いて、叫んだ。

 その時。赤く染まる世界も。そして倒れる母親も。声を上げもしない彼女も。そして、白く揺れ続けながら満足げに笑うあいつも。


 全部消えて無くなりやがれって思ったんだ。

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