「まままマツリぃ!!」

 一限目が終わってから教室に戻るといづみが叫びながら駆け寄ってきた。

「いづ……」

 苦しい。きつく抱きしめすぎだ。

「もーなんでまた荷物置いて消えちゃうのぉお!? またメグ!?」

「あ……うん。私階段から落ちちゃって……」

「落ちたぁ!? 突き落とされて!?!」

「ちが……。いづみ落ち着いて……」


 説明は昼休み、いつもの非常階段にて。


「え? メグがマツリ庇ってぇ!?」

「うん。だから、私がちゃんと手当しなきゃって」

「もう保健室に置いときゃいいじゃん。マツリってなんか時々サムライだよね」

「なにそれ」

「義理堅いって意味」といづみは笑った。

「……私さ」

「ん?」

 マツリが少し俯く。

「メグって本当は、そんなに悪い人じゃないと思うんだ」

「へぇ?!」

 いづみは驚いた。言っていることに全く同意できなかったからだ。

「傷ついてる」

「……傷?」

「だって、今も多分。……傷ついてる。あの人」

 手のひらを合わせて手遊びをしながらマツリゆっくりとは言葉を紡ぐ。

「本当は、人に拒絶されて傷ついてる」

「……そ、そう……かなぁ?」

 いづみは考え込んだ。その結論に辿り着く要素がいづみの中には湧き上がらない。

「私、ちょっと探してみるよ」

「え!?」

「多分まだ学校にいると思うから」

「ななななんでマツリ自分から……ッ!?」

「うん。いづみも行く?」

「……­……はぁ」

 いづみは諦めたようにため息をついた。

「ホント、時々、理解できないほど肝が据わってるよね」


 ***


 階段を上った。さっき落ちたところだ。

 そういえばプリントはどうなったんだろう。まぁ、どうでもいいか。と、マツリは意味のない心配をやめた。

 まず向かう先は、あそこだ。屋上だ。黙って目的地に向かうマツリに、いづみも何も言わず付いていった。時間的に五限はもう始まっている。数学だ。サボリ、ということになる。


 ガコ……。


 屋上の重い扉を開くと、メグはやはりそこにいた。白いカッターの背中に、空が痛いくらい青い。マツリは小さく息を吸って、意を決したように彼に声をかけた。

「メグ」

「……んだよ」

 思ったよりも穏やかなその声に、いづみは少し意外さを覚えた。

 扉が閉まりかけたので、いづみは閉まらないように慌てて戸を押さえたが、その間にもマツリはつかつかと平気でメグに近寄っていた。

「傷……ついた?」

「あ?」

 マツリが横に座るとメグは少しぎょっとしたが、すぐにマツリから目を離し、フェンス越しの空を見やった。

「……なんだよそれ」

 マツリは答えず、じいっとメグを見た。

「先生、本当に怖がってたのかな」

「あぁ」

 即答。

「なんで分かるの?」

「……左手が疼いた。ひどく」

「でも、出てこなかった」

「出さなかった」

 即答。

「どうして……?」

 メグは黙った。言いたくないようだった。

「メグ、ホントは嬉しかったのかも……」

「は?」

「あの先生が、ちっとも怖がってないみたいだったのが、嬉しかったのかも」

「……んだそれ」

 メグは顔をしかめた。けれど、否定もしなかった。

 誰だって無条件に他人に拒絶されるのは傷つく。メグがどれだけ非道でも、どれだけ他人を傷つけていても。それって、他の人と変わらないんじゃないかな。

 マツリが言葉にはせず、そう思って俯くと、メグが不意に呟いた。

「傷つく、つかねぇってのはよ……」

「……?」

「そういうのは、人同士でやってくれよ」


 ――あぁ。なんて悲しそうに笑顔を投げかけるんだろう。

 メグにはもうえるほど、むほど、腐るほど、傷がついてるのだ。そしてその傷の上に新たな溝を掘り下げる傷がついているのだ。

 噂に惑わされずに彼を見ていれば分かる。彼は身に降りかかる火の粉しか払っていない。無条件に拒絶されながらも、無条件に人を傷つけているわけじゃあないのだ。

 きっと、裏切られた気がしたんだろう。あの保健医に。もしかして、この人なら自分を恐れたり拒否したりしないかも、と少し、期待してたんじゃないか。でも、ほんの数秒でその期待は砕かれたんじゃないか。


 マツリはその傷を想像してなんと声をかけていいか分からず、ふっと息を吐いた。

「そういえば、今日は、押し倒さないの?」

「……気がのらねぇ」

「たたないんだ」

「お前。どこでそんな下品な口のきき方覚えんだ?」

 マツリの意外な言葉遣いが可笑しかったのか、ははっとメグが笑った。


 いづみはそんな二人の後姿を黙って見つめ、ゆっくりと戸を閉めた。

「そっか……」

 呟いて、階段を駆け下りる。

「どっちかって言うと、『メグの女』じゃなくて、『恋人同士』なんじゃない」

 これ以上口出しするのは野暮やぼというものだ、といづみは苦笑した。


 マツリはいづみが去ったのを見送ると、彼女の前では聞けなかったことを訊ねた。

「左手のアレ。どうしたら出てくるの?」

「あ? んなの聞いてどうすんだ」

「興味」

 即答。メグはその包み隠さぬ回答に少し戸惑った。

「――って、言われるのが不快なのは分かるけど」

 マツリが続ける。

「知りたいから」

 メグは目を左手にそらし、沈黙した。そして大きくため息をつき口を開く。

「……周りに『恐怖』があれば、出そうと思ったら出せるんだよ」

「へぇ」

 訊いておいてそれは、かなりそっけない反応だった。

「自分の近くに『恐怖』の感情があると、左手が芯からざわざわ疼く。喰いてぇ、喰わせろって叫びやがる」

 マツリはあの化け物のおぞましい叫声きょうせいを思い出し、わずかに身震いした。

「稀に強すぎる『恐怖』を目の当たりにすると、俺の意思とは関係なく飛び出してきやがる。そういう時は流石さすがに……」

「メグも怖い?」

「……」

 認めるのが嫌だったが、べらべら話してしまった手前、頷くしかなかった。

「……ちっくしょう」

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