3
「おやァ?」
突然、声と共に薄暗い保健室に光の筋が差し込んだ。見ると長髪の男が保健室の戸を開けて立っていた。
「だめだよー此処は男女の関係作るところじゃないんだからー」
そいつはへらっと笑い、注意だか忠告だか分からないようなことを言った。よく見ると、白衣を着ている。――こいつ、まさか……。と、メグが
「先生」
そのまさかだった。マツリが立ち上がり駆け寄る。
「あの人、階段からも落ちてしまって、ちょっと傷が開いちゃって……」
「へー」
「手当、してもらえますか……?」
「んーまぁ。応急処置はするけどね」
彼は気だるげにそう言って、救急箱を開けた。色白で金髪の長髪。綺麗な顔立ちに長身。どうして今まで知らなかったのか、と思うほど目立つ容姿だった。
メグはちらっとソファーと机を見る。
「……昼間っから、勤務中にバーボン飲むなよ……」
おおよそ保健室らしからぬ液体がグラスに注がれており、思わずツッコんでしまった。
「こらこら物色しなーい」
そう言うと保健医はメグの傷口を見ようと肩を掴み、包帯に触れる。
「いでッ! いででででってめ!!」
「なんだ、応急処置自体はできてるじゃないか」
「あぁ!?」
涙目で睨む。
子供みたいで可愛いな、メグ。と、マツリは心の中で呟いた。
「あ、でも……包帯とか結構ぼろぼろで……」
下手くそである自覚はあったらしい。
「ま、いいんじゃねぇ? この悪ガキには。なぁ?」
「こっの……、腐れ保健医……ッ」
叫びかけたメグが何かに反応し、一瞬固まった。
「『呪われた手』ねぇ……」
「!!」
メグとマツリは体を強張らせた。なんで、この人がそんなことを言うのか、理解できなかったからだ。
「先生……」
「てめぇ……」
二人は微かに白衣の彼を睨む。
「知ってるよ。左手だろ?」
「!?」
いよいよ得体のしれない気持ち悪さが二人を襲った。
「どこまで知ってる……」
メグがわずかに殺気を放ちながら問うと、彼はなんてことはないという顔で笑った。
「発現のメカニズムなら一通りは」
メグは体をより硬直させ、警戒した。左手が少し震えているよう見えた。
「ある感情に対して暴食反応を起こす気体のような何かが、左手の皮膚から発生する。原因までは知らないがね。何を喰う?」
「……『恐怖』だ……」
「そうか」
にこっと笑って保健医はソファーに腰掛けた。
「お前……なんで……」
逆にメグはベッドから立ち上がり、彼に近づこうとした。
「おっと」
右手を上げての制するような仕草に、びくっとメグの体が揺れた。
「触らないでくれよ?」
メグは黙って彼を見つめる。何かを確認するように、じっと。
「悪いけど俺は怖いんだ。お前が」
ひどい。
ひどい沈黙が流れた。いっそいたたまれない空気の中、保健医はへらっと笑った。
――怖い? 先生が、メグを?
マツリにはそうは見えなかった。
「……そうだな」
しかし、メグは納得したように乾燥した笑みを見せた。そして勢いよく
ガコン! と乱暴に戸が閉まると、また薄暗い教室に沈黙が広がった。
「…………」
マツリが保健医の方に向き直る。
「先生……」
「んー?」
彼は机の上の電気を付け、氷とバーボンをグラスに入れはじめる。ロックで飲むらしい。
「どうして、あんなこと言ったんですか?」
「あんなこと?」
「メグの左手のこと……知ってた……」
「あぁ……」
保健医はふっと笑った。
「そこの種明かしは、今は出来ないなァ」
「……でも、じゃあ。どうして」
「?」
要領を得ない。保健医はマツリを見つめ返した。彼女は無表情のまま、ぼんやり薄暗さに溶けている。
「……メグは……先生のこと。傷つけたりしない」
カコン……。氷が鳴った。
「あんな風に……言ったら……メグが」
――傷ついただろう。きっと。
マツリは思った。
あの沈黙。あの瞬間、メグの心は傷ついていた。
別に何を取って食おうってわけじゃない。そんな気はない。なのに無情にも誤解を多分に含んだ視線を投げつけられる。勝手に恐れられて、勝手に距離を置かれる。それが別にどうとも思っていない相手でも、何とも言えない気持ちになる。メグが普段受けている扱いや、目線を向けられたマツリには、理解できてしまった。
「メグがあの化け物を出さない限り……傷つけたりしないです」
マツリが言い切った。それはまるで。
「……君は、彼を庇うようだね」
「庇う……?」
これは庇うという行為なのだろうか。自分を傷つけようとする相手を、庇う? 何となく違う気もした。
「じゃあ君は、怖くないのか? 得体の知れないもの。傷つける可能性があるもの。それを隠し持つ彼。ひとつも怖くないのかい?」
言葉が出なかった。なぜなら、化け物が怖くない方が異常だと、理解できてしまうから。
「信用、しきれるか?」
「……メグは」
マツリは掌を潰した。うまく説明できないもどかしさからだ。
「…………メグが。一番、自分を怖がってるから」
保健医は微かに目を丸めた。そして何か言おうとしたが、声が喉から出ることはなかった。
「失礼します」
マツリはそのまま回れ右をし、まっすぐ保健室を出た。一人残された保健医は、それを見送るとぽつりと呟いた。
「………なるほどねぇ」
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