6
目の前の非現実的な光景にマツリは一瞬息をするのを忘れた。
「……それが……」
彼女が声を出した瞬間にその化け物はしゅるりと消えた。
「こいつらは俺に恐怖を抱いたからな」
床に散らばる男たちを見る。
「……恐怖」
「こいつは俺に対する恐怖に向かって暴食衝動を発する。つまり、化け物だ」
「化け物……」
「俺を『怖い』と感じた奴らを俺の左手で撫でれば、あいつが牙をむいて、その感情を身体ごと抉って喰らう」
「……感情?」
「それがお前の知りたがってた『呪われた手』だぜ。マツリ」
にぃっと笑ったメグの顔が、少し歪んで見えた。メグの体は返り血だらけだった。
「……それで、この傷なんだ……」
マツリは納得したようにそう言って、ちらりと倒れた男たちを見る。確かに、鋭い牙で喰いちぎられたような傷だった。傷口は深い。
「はっはは!」
「?」
メグが急に声を上げて笑い出したので、マツリはメグの顔をまじまじと見た。なんだか無邪気にも見えた。
「お前、本当に女なのか?」
「……生物的には」
「はっ……! 初めてだぜ、こいつを見てびびらなかった女は」
左手をぷらぷらと振って愉快そうにマツリを見ると、メグは歩き出した。マツリも彼について歩く。こんなところで一人にされたくない。
「少しも怖くなかったってことは……ない」
「へー?」
裏路地を出る。通行人が血みどろのメグを見てギョッとしたのが見えた。
「嘘だね」
「ほんと」
「じゃああいつが消えるのはおかしい」
「……」
「最後の男を喰った時、あいつの体がお前にかすった。でもあいつはお前を喰わなかった。まるで興味なしだ」
「……あの男の人の方が、怖がってたんじゃないの?」
繁華街を歩く。そろそろ通行人の眼が痛い。
「かもな」
メグはそんなことは気にも留めず、笑ってた。
「でも、この間も左手はお前に反応しなかった」
「襲ってきた時?」
彼女があまりに軽く言ってのけるので、メグは拍子抜けした。が、すぐに笑う。
「そーそー。あの時疼きもしなかったからな」
怖くなかったから、とは、反論はしなかった。
「恐怖って」
マツリが口を開くと、メグが足を止めて振り返った。
「恐怖って、死にたくないとか。……傷つきたくないとか。そうなったらどうしようとか。そういう感情から湧くものなんじゃないかな」
「お前にはねぇってか」
「……そんなことない」
首を振る。
マツリが何を言いたいのか分からず、メグは顔をしかめた。
「多分」
表情を見る限り、マツリ自身もよく分かっていないようだった。
メグは呆れたような顔をしてまた歩き出した。マツリもそれに付いて歩く。
「神威君」
「上の名前で呼ぶな」
「…………メグ君」
「『君』もいらねぇ」
いちいち注文付ける男だな……。マツリは息をつく。
「どうして、その手のこと。教えてくれたの?」
メグは一瞬黙って立ち止まり、左手でマツリを指さした。
「お前だけだからだよ」
「……?」
「お前だけが俺を怖がらなかった」
マツリはメグの眼をじっと見つめた。
「だから」
ぴょんっとメグが側にあった柵を乗り越えて、ガード下へ飛び降りる。着地すると、メグはマツリを見上げた。まるで睨むようだった。
「傷つけてやりたいと思ったんだ」
「……なにそれ」
メグはふっと笑う。
「失敗したけどな」
そう言ってメグはガードの下を行ってしまった。
一人残されたマツリは、夕方の気配を見せ始めた空を見上げてため息をつくと、ゆっくり歩きだした。
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