翌日。

 公立高校の二年棟。渡り廊下を渡りながら、昨日拾った生徒手帳を手に少女はきょろきょろと周囲を見わたした。

 ――いない。

 もうあちこち探して歩いたが、は見つからなかった。ひどく有名な人なのに。


「ねぇ、呪われた手って知ってる?」


 そばを通った二人組みの女子生徒の弾んだ声に、少女は足を止めた。

「知ってるー、噂のカムイ メグでしょ」

 ――カムイって読むんだあの苗字。

 彼女は耳をそばだてる。

「アイツが手で触った物、よく分からないけど、片っ端から傷ついちゃうんでしょー?」

「……」

 少女は方向転換をして、彼女たちの後ろをさりげなくついて歩いた。

 単純に、気になったからだ。

「凶暴って意味だと思うけど怖いよねー。そんであの喧嘩っぱやい性格でしょ。学校来ても問題起すか屋上で昼寝かって噂だよ。マジ不良」

「でもルックスはいいよね、実は。結構可愛いの。本人の前では誰も言わないけど」

 女生徒たちはくすくす笑った。

 ――なるほど、屋上か。

 あちこち探しても見つからないことに納得し、少女は踵を返して屋上に向かった。

『立ち入り禁止』の紙切れを引っさげたロープをすっと跨ぎ、屋上へ続く階段を駆け上がる。


 ガタン……

 いやに重たい戸を引いて屋上に出ると、空がやけに近く感じた。

 同時に茶色い髪の毛のつむじと、思ったより華奢な背中が見えたので、少女は無言のままポケットから生徒手帳を再び取り出した。

「んの用だよ」

 こっちを見ずにメグが言い放つ。それは質問というより、警告。

「そーとー殺されてぇみてぇだな」

 彼が気だるそうに振り向くと、彼女は足を止めた。

「誰だよお前」

「……大蕗 祀オオフキ マツリ

「で、何か用か」

 興味を失ったように、また向こうをむく。空でも見ているのだろうか。

「……呪われた手って、本当?」

 少女――マツリがそう訊ねた瞬間、ピシッと空気が凍ったのが分かった。寒気がする。

 メグは振り向かず、すくっと立ち上がった。そして、脚をすらせてマツリのほうにまっすぐ向かって来た。俯いているため、顔は良く見えない。

「付きまとうな」

 すれ違いざまの警告。それは、殺気を含んだ声だった。マツリは少し体を強張らせた。

「怖くなる前に失せろ」

 彼はそのままマツリを通り過ぎ、階段を下っていってしまった。

 彼が屋上からいなくなると、ふっとマツリの体の緊張はほぐれた。

「あ……生徒手帳……」

 また渡せなかった生徒手帳を握りしめ、マツリはぼんやりと考えた。

 どうしてだろう。先に渡してしまえばよかったのに。どうしても聞きたくなった。

『呪われた手』――昨日見たあの傷口が本当に呪いの類だったのか。どうしようもなく気になってしまったのだ。


 ***


「マツリ!」

 教室に戻り、帰り支度をしていたら、後ろから友人がどさっとのしかかってきて、よろけた。

「聞いてよ今日春日カスガがさぁ! ……て何持ってんの? それ」

「いづみ。危ない……」

「うわ! それメグの生徒手帳じゃん! 何で持ってんの!?」

 こっちの注意を聞きもせず、いづみは遠慮なく顔を歪めた。

「拾った」

 いづみを優しく身体からほどく。

「拾ったぁ!? は、早く返したほうが良いよー?」

「うん。返しにいったんだけどね」

「へぇ!? え! マツリ一人で!?」

 いづみは驚いて飛びのいた。

「うん」

「あっ……りえない! あんた相手誰だかわかってんのぉ!?」

 返せって言ったくせに。

「知ってるよ。噂は聞くもん」

「もんって……、もー……。マツリって怖いもの知らずなとこあるよね」

 ため息をつかれることなのか、よく分からなかった。

 確かにメグと言えば、学校一の喧嘩屋で、いつも授業をさぼっている不良という評判だ。一匹狼といえば聞こえがいいが、噂では毎日のようにストリートギャングに絡まれては、そいつらを半殺しの目にあわせたり、馴れ馴れしく近づいてきた者に噛み付いてボコボコにしたりしてるそうだ。薬に手を出してるだとか、人を刺したことがあるだとか、怖い噂が絶えない。

「ま、無事だったから良いけどさ」

「でも、もう一回行かなきゃ。これ、返せなかった」

 生徒手帳のIDカードに張りつけられた顔写真を改めて眺める。確かに結構綺麗な顔している。

「やめときなよーもー。いいじゃんそれくらい。学校に届けときゃあ」

「うん。でも、あの人……」

「襲われてもしんないよー? それにほら、噂になってるじゃん。なんだっけ……。呪われた手?」

「うん。……あ」

「へ?」

 マツリがふっと窓から下を見る。いづみもマツリの目線を追って覗き込む。

 校門へ続くコンクリートの道を歩いているメグの姿が見えた。

「神威君だ。ごめん。私、追いかけてみるね」

「えっ! ちょっと! マツ……――」

 いづみは止めようとしたが、その時にはもうマツリは走り出していて、それは叶わなかった。

「……ほんとに怖いものなんてないのよね、あの子」

 いやにまっすぐな眼をした、変な子だ。

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