©ダブリ

なのるほどのものではありません

第1話:呪われた手

「呪われた手って知ってる?」


 常にどこか不穏な風吹く都会の空は、昨日も今日も明日も、薄ら寒い蒼をたなびかせる。そんな、二十五世紀。地球は順調に年を重ね、変化に耐え続けている。



 荒んだ空の下、埃っぽい街を一人の少女が歩く。夏の制服を着て、綺麗な指定カバンをさげたその娘は、クセのあるツインテールを揺らしながら繁華街の道を行く。それは学校からの帰り道。がやつく街とは対照的に、落ち着いた顔つきで一人行く。

「……?」

 ふと、視界に何かを捉え、彼女は立ち止まる。

「……うちの生徒手帳だ」

 歩道に生徒手帳が落ちていた。見た感じ、彼女と同じ学校のものだ。

 彼女は屈んでそれを拾い上げ、何故こんなところにこんなものが落ちているのか、不思議そうに首を傾げた。そして無言のまま生徒手帳を裏返し、開いて見る。

「……かみ……い?」

 神威――

 つっと印字を指でなぞる。

 ――萌

 てん、と名前の所で人差し指を止める。

「なんて読むんだろ…………もえ?」

 じっと生徒手帳を見つめたまま、歩き出す。こんなところで立ち止まっていても意味がないからだ。

 まぁいいか。明日学校で探して渡してやろう。心の中でそう呟きながら裏路地へ続く小路の前を通った時、少女はふっと足を止めた。なにかが居た気がして。

「……」

 違和感を追うように小路の奥へゆっくり視線を這わせると、薄暗い裏路地に男の子が立っているのが見えた。

 違和感の正体に、すぐに少女は気が付いた。裏路地の割に、やけに明るく彼の姿が浮かび上がって見えるのだ。

「あ」

 しかも生徒手帳の写真と同じ顔だった。

 もしかして、これを探しているのだろうか? と、少女が裏路地のほうへ一歩踏み入った。その時だった。


 ドッ!


 鈍い音がした。


 そしてモヒカンの太った男が宙を舞い、倒れるのが見えた。

 同時に、血が飛ぶ。次いで、少年が人間離れした動きで腕を振り回し始める。

 それは不思議な光景だった。

 少年が腕を素早く振り回すたび、彼を囲んでいたチンピラ共が一人ずつ倒れていく。しかも殴られただけのその男たちからは、何故か音を立てて血が噴き出すのだ。


「…………あ」

 ――思い出した。

 顔にかかる生温い血の滴を感じながら、彼女は心で呟いた。

 ――読み方は『メグ』だ。


 どしゃ!


 ついに最後の一人が倒れた。

 少女が傷口に目をやると、それは何かに噛み千切られたように抉れ、血が噴き出していた。

「……殴った、だけだよね……」

 思わず呟いた。

「何見てんだ?」

 彼女は顔をゆっくり上げる。を、初めてこんなに近くで見た。無意識にまじまじと見つめてしまう。

「お前、殺されてぇの?」

 彼の眼差しは強すぎて、でも、あっけらかんとしていて、妙に輝いて見えた。

「そんなわけ……ないじゃない」

 左頬に返り血を散らかした少女がポツリ、無感情にそう言ったので、彼――メグは少し物珍しげに彼女の顔を見つめ返した。

「は……ッ」

 思っていた反応と違うのが可笑しかったのか、メグは息を吐き出すように笑うと、小路で佇む少女とすれ違い、大通りへと歩き出した。そしてすれ違いざま、彼は囁くようにこう言った。

「転がってるチンピラよりいい度胸じゃねぇか」

「っあ……」

 非日常な出来事に呆然としていた彼女が我に返って振り向いた時にはもう、彼は路地を出てしまっていた。

 手に握ったままの生徒手帳を見る。

「……返し忘れた」

 返し忘れてしまったことに小さなため息をつき、少女は再び足もとで血を流し倒れているチンピラ共に目を向けた。

 全員同じ獣に襲われたかのような傷を負って呻いている。

 少女は瞬きをして、あの光景を思い出してみた。

 眼に焼き付いて離れない。

 ぼんやりと光る彼の姿も、彼が腕を振り回した様も。


 少年はいったい、彼らに何をやったというのだろう。

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