第2話:保健医は知っている

「マツリ!」

 翌朝の教室で、マツリを見るなりまたもいづみが抱きついてきた。

「もー! ちょっと! 心配したよ!!」

 涙目で叫ぶ。あまりにすごい勢いだったのでマツリはたじろいだ。

「ご……ごめん」

「だって帰ろうとしたら校門の前にマツリのカバンが落ちてるんだもん……! 連絡取ろうにも携帯カバンにあったしさぁ! 住所も知らないし……っていうか大丈夫!?」

 興奮と心配、冷めやらぬ。

「うん。ちょっと誘拐されただけ」

「はぁ!?」

 ありえねぇ! いづみは心の中で叫んだ。



「でもさーホント、もうメグには関わらないようにしなよ?」

 昼休みの非常階段で昨日の出来事を聞いたいづみは、ホットドッグの包装を剥きとりながらマツリに言って聞かせた。

「んー」

 返ってきたのは生返事だったが。

「ギャングまで絡んできたら、命がいくつあっても足りないよ。ったく」

「……いづみー」

 いづみの苦言をまったく意に介さず、マツリが静かに問う。

「ん?」

「私って、非情かな?」

「は?」

 何を言ってるのか、いづみには理解できなかったようだ。意図を理解しようと数秒固まったが、すぐに呆れかえってため息をついた。

「……まっさか。無表情なとこはあるけど、お人好しで優しいと思うよ、ホント」

「そっか」

 マツリは咥えていた紙パックジュースのストローを噛んで、ぼんやりと自分の上履きを見つめた。そんなマツリを横目に、いづみは「んー」と小さく呟いて、思いついたことをそのまま口に出した。

「ていうか、メグってもしかして……。マツリが好きなだけなんじゃないの?」

 ――沈黙。

 およそ数十秒を経てマツリが口を開く。

「…………ない」

「あっは。そうよねー」

 いづみが高い声で笑った。自分で言っておいて馬鹿らしくなったようだ。

「あいつにそんな可愛い男心があるとは思わないしっ」

「うん。昨日は本当に押し倒されたけど」


 ブ――――――ッ!!


 いづみが吐き出したお茶で、見事な虹が宙に滲み上がった。

「ってまたかいぃぃ!」

 もはやツッコまずにはいられず、いづみが叫ぶ。

「うん。うわ、いづみ、ハンカチある?」

「あるわよッ」

 何故にそんなに冷静なのか!? 理解できなかった。いづみはごそごそとスカートからハンカチを取り出し、滴ったお茶の水滴を拭った。

「ってあんたね! 何を能天気に言ってんのよ!? 押し倒されたって……! ホント……、もー!!」

 何から叱責していいのかもう分からない。

「あ、でもギャングが学校に来てメグが行っちゃったから、未遂だよ」

「んなこた関係ないわよ! もー……本当に好きなんじゃないでしょうね」

 マツリに理解させるのはもう無理と判断したのか、いづみがブツブツと独り言を呟いた。

「え?」

「いーえ! なんしか無事で良かったわ」

「うん。心配かけてごめんね。いづみ」

 マツリは居心地のいい友人との距離にふうっと息をついて、眼をつむった。


 ***


 ざわざわざわ……――数日経っても、マツリが校内を歩けばその音が付きまとう。いつもは心穏やかなマツリも、流石に気になってきた。その声自体に害はないのだが、間接的に害を受けている。「あいつはメグの女だ」と、無責任に誰かが言ったおかげで誘拐されたのは事実だし。


「よいしょ」


 とある始業前の朝。マツリは係りの仕事にもかかわらず何か遠慮していた先生から奪うようにして持ってきたプリントの束を持ち直した。一限の授業までに教室へ運ばなければ。

「おも……」

 結構重い。遠慮してたのはそのせいかもしれない。どうせメグのことで顔色を窺われてるんだ、と少々苛ついたことをマツリは反省した。

 そうこうしているうちに階段に差し掛かると、わっとざわめきが大きくなった。マツリは脚を止め、足元から目線を上げる。

 正直、予感していた通り。上階からメグが視線を縫って降りてくるのが見えた。

「…………」

 マツリは眼をそらすように足もとに目線を戻し、無言で歩きだした。しかし、やはりそのまま通り過ぎることはできなかった。

「よぉマツリ」

「……おはよう」

 すれ違いざま、マツリは呟くように挨拶を返す。顔は上げない。

「そっけねぇな」

 周りの視線やざわめきなど、一切彼には届いていないのだろうか。マツリは無視しようかと一瞬逡巡したが、それはそれで下手な話のネタにしかならないと思い、振り向いた。メグが可愛らしい顔で笑ってマツリを見上げていた。もうすっかり殴られた跡などは消えている。

「今日は朝から学校来てるんだね……」

「学校におもしろいのがいるからな」

「……なんでもいいけど、此処では暴れないでね」

「なんだよ」

 メグは笑顔のまま首を傾げる。

「此処、学校だから。私、暴れられても殴られても、別に怖いとは思わないから」

 いよいよ周りの視線が刺さる。

 居心地が悪くなったマツリは、さっと背を向けて再び階段に足をかけた。が、その時、ぐいっとマツリの細い腕をメグが掴んだ。


「じゃあ、どうしたら怖がるんだ、お前?」

「あっ」


 ぐらり。


 予想外にバランスを崩したマツリはプリントをばらっと宙へ撒きながら、重力に従って階下へと落下した。それは腕を掴んだメグをも巻き込む形で。


 周りの注目の中、二人は綺麗に落ちて行った。

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