8
夜のうちに月が少し欠け、また朝がやってきた。
そして、この一晩のうちに随分勝手な噂話が飛び交ってしまっていたらしい。
「マツリ、あんた大丈夫ー?」
マツリが登校するなり、いづみが駆けてきて第一声。
「なにが?」
「噂! あんたがメグの女だとかなんとかって噂!」
「あぁ……」
なるほど。やっと分かった。今日は妙に皆がよそよそしいというか、びびってるというか、そわそわしていた。廊下ですれ違った先生までも、だ。
マツリは小さくため息をついた。
「勘違いだよ」
「でもソレ言わなきゃ、皆分かんないよぉ!」
「別に弁解して回るほどのことじゃないし」
「マツリぃ……」
いづみがじれったそうに言った。
「本当に大丈夫なの? マツリ、いっつも、なんていうか自分に無関心だから、すっごい心配だよ! なんでも辛かったら言ってよね?」
「いづみ……」
真剣に心配してくれるいづみに、マツリは素直に嬉しかった。
「ありがとう。大丈夫だから、いづみも……」
「マツリ」
また、後ろから彼の声がしてマツリは振り向いた。するといつの間にかメグが教室の中にいて、マツリといづみの前に立っていた。
周りがざわめいてこちらを見ている。昨日も感じたあの視線だ。
「メグ……」
応えるといっそう周囲がざわめいた。メグに対して名前を呼び捨てなど、誰にもできないことだったからだ。
これにはいづみも驚いていた。昨日は神威君と呼んでいたのに、と。
「なに……」
「いや? どうやったら傷つけられるかなと思ってな」
「……観察?」
「ま、そういうことだ」
短く笑うその顔を見て、やっぱりこの人普通に可愛い顔してるな、とマツリは思った。
「まずは誰もお前を助けてくれないってこと、教えてやろうと思ってさ」
「……なにそれ」
マツリは少し眉をひそめてメグを見上げ、怯むことなく彼を睨んだ。
周りの眼が全身を突き刺してくる。酷い視線だ。いつの間にかシンとしていた。
「マツリ……」
いづみがマツリの袖を軽くひっぱる。この空気を何とか正したいが、どうすればいいか分からないのだ。
「話があるんだったら
マツリがお引き取りを願うとメグは笑った。
「ははっ。何時だソレ」
終業の時間くらい知っててほしい。
「……三時半かな」
「わかった」
話は終わったと言わんばかりにマツリはいづみの手を優しく取って「行こう」と言うと、化学の教科書を抱えて教室を出ていった。
「……すっげぇ。あいつ」
そこに残されたメグは、刺さる視線の中で小さく笑って呟いた。
***
この出来事は、退屈な高校の日常にとって大きなニュースだった。誰とも関わらない問題児のメグが二日も続けて学校に現れ、一人の女生徒に目を付けた――この噂は色々な形で脚色され学校中を駆け巡った。そして、それに伴いマツリに刺さる視線の数も増えていった。
「マツリ……」
「大丈夫」
その眼は移動教室のたびにマツリだけでなくいづみにも向けられ、いづみは居心地の悪さを感じつつも話題の中心人物であるマツリを心配した。けれど当のマツリはあっけらかんとしていた。
「でもさ」
昼休み。いつもの非常階段。誰の視線も刺さらない場所に着くと、いづみの緊張はようやく
「マツリなんかしたの? メグに」
「別に」
「なんか、なんかすっごく興味持たれちゃったよね」
「珍獣らしいから、私」
「あはは! なにそれ」
いづみは笑ったが、すぐに悲しい顔をした。
「クラス。居辛くない?」
「別に?」
マツリにとっては何でもないことらしく、いづみの心配もさらりと流されてしまう。
「だって、一日中ひそひそ言われたり、執拗に見られたりさ!」
「うん」
「なんか嫌な感じだよね!」
「うん。ごめんね。いづみまで……」
マツリは申し訳なさそうにいづみに向き合った。自分はどうでも良かったが、友達を巻き込んでしまっていることには胸を痛めていたからだ。
「えっ、なんで! 私は全然良いんだよッ! 私はマツリと一緒に居たくて居るんだから!」
「……ありがとう。でも……」
マツリはヨーグルトに付いていた小さいプラスチックのスプーンを咥えて俯いた。
「あの視線、いつも浴びて生きてるんだね。メグは……」
「え……?」
マツリはそれ以上何も言わず、眼を伏せてヨーグルトを黙々と食べた。
「……うん、そう……だね」
その言葉を
それはメグへの同情を含んだ言葉だった。つまり、マツリはメグすら責めていないのだ。
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