Episode40 ~それでも彼女は覆い隠す⑤~

 それから、ノアは二人と色々なことをした。

 道行くお店を制覇するように回り、たまに出店で買ったものを食べ歩きしたりした。

 出店の射的という遊びで、アンリが景品を貰いすぎて出禁を下された時には、三人で景品を抱えながら笑いあった。


 ──思えば、グラーテを本格的に見て回ったのはこれが初めてかもしれない、とノアは思う。

 おかしな話だろう。

 もう四年近く住んでいる街が、こんなにも楽しく、美しいことを知らなかったなんて。


 ──どれくらい遊んでいたのか。

 南区をほとんど制覇し終わって、噴水広場に戻ってきたころには、時計の針が十一時を指していた。

 噴水に敷設されてあるベンチに座りながら、懐中時計をしまう。

 結局のところ、今日の目的は何一つ果たせていない。

 決定的な瞬間を目撃できてないし、それとなく聞くことも叶わなかった。


(やっぱり私ってヘタレだなあ……)


 はあ、とため息を吐いていると。

 いつの間にか、カイがベンチの傍に荷物を置いて、隣に座っていた。

 ノアが疲れて噴水広場で休むといった時に、アンリと一緒に分かれたはずなのに。

 カイは固まっているノアの顔を見ると、少し微笑みながら言った。


「少しは気持ちが晴れたか?」


 突然、言ってきた言葉を意味をノアは理解できなかった。

 ゆえに、オウム返しのように聞き返してしまう。


「いや、何か悩んでいるように見えたからさ……少しは、気分転換の足しにでもなればと思ったんだけど」


 そこでようやく、ノアは理解した。

 カイが自分を誘ってくれた理由を。

 ここで嘘をついても無駄だろう。顔を伏せながら、ノアは正直に答える。


「えっと……まぁ、はい。でも、私なんかに何で……?」


 そう、今のノアは『ノア』ではない。

 カイが誰かを助ける性格なのは分かっているが、どうして赤の他人である今の自分にそこまでしたのか……それが分からなかったのだ。

 するとカイは、今度は眉をひそめて言った。


「それは……何だろうな。何となく、としか言いようがないな。

 何故か、見捨てちゃいけないって思ったんだ」


 その言葉に──胸が締め付けられるように苦しくなった。

 両手を胸の前で重ねながら、溢れんばかりの感情を抑え込む。そうしないと、今ここで泣いてしまいそうな気がして──。

 別人であるノアを、本能的に助けてくれたのはうれしい。

 だが、今カイに向けられている視線が、どうしてもいつもカイが自分を見るときの瞳と似ていたのだ。


 つまり──『家族』としての目。

 カイの中で、あくまでノアは家族であり。

 守るべき対象であり、それ以上でもそれ以下でもないんだろう。

 自分が守るべき人である限り、カイはきっと自分を家族としてでしか見てくれない。

 そう本能的に理解してしまって……。


「────」


 零れそうになる涙も、溢れそうになる嗚咽も、深呼吸で奥底へ押し込んだ。

 これ以上は限界だろう。これ以上、カイの前に居られない。

 いてしまったら、いつ泣いてしまうか分からないから。


 でも、これだけは確認しておきたい。

 きっぱりと諦められるように。


「一つ……聞いても良いですか」


「うん? ああ、何でも聞いてくれ」


「二人は──付き合ってるんですか?」


 ノア自身、驚くほど滑らかに声が出た。

 理由は多分、答えが分かりきっているからだろう。

 その問いにカイはすぐには応えなかった。

 どれくらいの沈黙だったか──。恐らく数秒だっただろう。だが、ノアには数十分のようにも思えた。


 やがて、カイは。


「……くっ、くくく……ははははははは!!」


 高らかに笑い始めた。

 えっ? と意表を突かれたノアは必死に見ないようにしていた顔を上げて、カイを見る。

 彼は心底おかしそうに笑っていた。


「ふふっ……なるほど……確かにな。

 いやだったらすまん。無駄な気遣いをさせてしまった。

 別に、俺とアイツは付き合ってないよ。

 むしろ──まあ、嫌われていないと願いたいな……」


 つまり、二人は付き合ってないということなのか。

 なら今日のデートは何なのか。一体何で、ノアに内緒で出かける意味が……?

 疑問は絶えない。

 でも、それよりも安堵が勝った。

 違う意味の涙を抑えることに専念していると、カイが聞き捨てならないことを言った。


「それに、俺には『大切な人』がいるしな……って、何か恥ずかしいな……」


 照れくさそうに頬を掻く彼の顔から、目が離せない。

 ノアは思う。思ってしまう。


(大切な人……え、えっ? それって……)


 カイがわざわざ、そのような言い方をする人を、ノアは一人しか知らない。

 さっきの言葉を脳内で咀嚼そしゃくしていく。

 理解していく度に、ノアは自分の顔が熱くなっていくのを感じた。

 目の前でカイが何か言っているが、心臓がうるさいくらい鼓動するせいで頭に入ってこない。


 心配そうに彼の手が自分の肩に触れたとき、とうとう限界に達した。


「ごっ、ごめんなさい──!!!」


 彼の手を振り払い、ノアは一心不乱に駆け出していた。

 たまに態勢を崩しながら、だが足を止めずに動かし続ける。

 感情がぐちゃぐちゃになって、今自分がどの道を歩いているのかすら分からない。


 さっきのカイの言葉が頭の中で繰り返されてしまい、他に考えることができなかった。

 もしかしたら既に、変幻の魔術が解けてしまっているかもしれない。

 青色の髪を揺らしながら走っていると──気づけば、ノアは自宅の前に来ていた。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 胸を押さえて、肩を激しく上下させる。

 両手で顔を触ってみると、火が出そうなほど熱かった。

 感情を抑えようと深呼吸をしてみても、ノアの心臓の鼓動は一向に収まる気配がなかった。



 ※ ※ ※



「あら、あの子どこ行ったの?」


「いや……何か突然走って行っちまって……」


「何それ? あの子の悩みを解消させる話はどうなったの? アンタが頼み込んできたから、こっちだって合わせたんだけど?」


「いや、それは……微妙なところだ」


「どうせアンタが何かやったんでしょう?

 今度はなにやったの? 痴漢? 次の行き先は警邏庁けいらちょうかしら?」


「しれっと社会的に殺そうとするの止めてくれない⁉ 別に何もしてねぇよ!」


「とにかく、バカなこと言ってないで行くわよ。買うものは決まってる?」


「このッ……! …………はぁ、分かってるよ!」

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