Episode41 ~それでも彼女は覆い隠す⑥~

 部屋の扉を閉めて、それに背中を預けるようにして床に座り込む。

 改めて深呼吸をすると、ノアは冷たい空気が体中に浸透するのを感じた。

 だが胸の奥底に灯る熱は消えない。


 少し頭が冷静になって、さっきの行動を顧みると、すごく恥ずかしくなる。

 カイの言葉が、自分のことだという確証を得られたわけじゃない。

 だがそうであって欲しい気持ちもあるのも事実で……。


 ノアは膝を抱える手にぎゅっと力を込めた。

 お昼頃のほんのり暗い部屋の隅で、顔を伏せて思いをせる。

 しばらくそうしていると、やがて一階の方から物音が聞こえた。


 途端、ビクリと肩が震えた。

 きっとカイが帰ってきた音だろう。なんでこんな早く、と思うが少し考えれば当然のことだ。

 休息日はいつもノアは決まった時間に起きる。

 懐中時計を見なくても、窓から差し込む曙光の角度で、今が正午だということが分かる。

 正午──それは、ノアが休息日ちょうど起きている時間帯だった。


 いつも通りの時間にリビングにいない自分を、カイは不思議に思うだろう。

 心配性の彼のことだ、きっと部屋まで起こしにくるに違いない。


 ──どうしよう。

 内心で頭を抱える。

 まだ胸に灯る熱が収まっていないのだ。

 今、カイとまともに目を合わせられる自信がない。


 体調不良を偽って寝たふりでもするか。それなら一旦、カイと目を合わせないで済む。

 迷っている暇はない。よしそうしよう、とノアが立ち上がろうとした瞬間。

 背後からノックの音が聞こえた。

 ビクリと弾かれたように背中が浮いて、動こうとしていた身体がまた石のように動かなくなる。


「ノア? まだ寝てるのか?」


 来た、来てしまった。

 壁一枚へだてた先に、カイがいる。

 ──それだけで胸がさらに熱くなるのを感じて、ノアは必死に胸元を握りしめた。


 しかしこちらの状況など知らないカイは、さっきより大きめの音でノックをした。


 恐らくベッドで寝ている自分を起こそうとしてくれているのだろう。

 どう反応すべきかノアが迷っているうちに、それが沈黙と受け取られてしまったのか。

 カイが声を落として「……開けるぞ?」と言って、扉が開かれようとした。


「──ま、待って!」


 さっきまで声なんか出せる自信が無かったのに、思いのほか大声が出てしまって、自分でも焦ってしまう。

 もう後戻りはできない。

 ここで嘘を付くのは無駄だろうと、ノアは呼び止めた理由を正直に言った。


「お、起きてるから! 今は開けないで! こっちのタイミングで開けたいの……」


 扉の向こうから、は? という声が聞こえた。

 カイには申し訳ないけど、こっちにだって相応の準備があるのだ。


 ノアは駆け足でクローゼットに向かう。

 両手でそれを開け放つと、側に備え付けられている鏡で、走ってきた時に乱れてしまった髪型も服装を整える。


 何で家族と会うだけなのに、何でこんな事してるんだろう、という理性と。

 もうカイを家族として見れなくなってしまったんだ、という感情が頭の中で相反する。


 鏡の奥の自分の顔を両手で叩くと、ノアは振り返って扉に目を向けた。


「……やっぱり、怒ってるか?」


 カイの言葉に、咄嗟に扉は使っていた足を止める。

 一瞬何の事だろう、と考えてしまったが、恐らくノアに内緒で出かけていたことをという意味だろう。


 ──怒ってない、と言えば嘘になる。

 個人のプライベートにまでとやかく言うつもりはない。

 家族と言えど、その辺の分別は付けているつもりだ。


 だが結局デートでもなんでもないなら、何で自分を誘ってくれなかったのか、と思わなくはない。

 でもどちらかと言えば、怒るより悲しみに近いけど……。

 そう思考を巡らせるノアの無言を、カイはどう受け取ったのか。


「……ノア。大事な話があるんだ。……出てきてくれないか」


「……え?」


 それがどうであれ、ノアの頭はカイが放った一言のせいで、真っ白になっていた。


(──だ、大事な話……?)


 カイの声色から、冗談でも何でもないと分かる。

 大事な話……大事な話って? どういう系統の? もしかして……そういう?

 よく考えれば、他の受け取り方もあっただろう。

 だが、どれだけ考えても、ノアの頭は『大事な話』をもうとしか受け取ってくれない。


 また心臓の音がうるさくなった。

 胸の奥の灯火ていどだった熱が燃え上がり、それが顔まで到達する。

 多分、今自分の顔は耳まで真っ赤になっている事だろう。

 だが衝動が抑えなれない。真実を確かめたいという衝動が。

 

 火照った頭のまま、ノアは扉の取っ手を握る。

 いつもより金属の冷たさを感じた。

 意を決してノアが扉を勢いよく開け放った瞬間。


 突然あらわれたを前にして、少しだけ残っていたノアの理性は瓦解された。


「ノア、じつは──」


「くぁwせdrftgyふじこlp~~~~ッ⁉⁉」


 もはや言語化できない叫び声を上げながら、ノアは床に尻もちをついた。


「な、なななななななん……っ⁉ なんでそんなも……ッ⁉」


「え? 何でって……もう、だろ?」


 その言葉にノアの顔がますます赤くなる。


「そ、そういう時期って…………~~~~⁉

 た、確かにもう十六だから法律的には何も問題ないけど……で、でもこういうのはまだ早すぎるっていうか、もっと段階を踏んでからの方が良いと言うか⁉⁉」


「は? 法律? 段階? ……なんの話をしてるんだ?」


「…………ふぇ?」


 お互いに疑問符を浮かべたまま、ノアはカイと見つめ合う。

 先に沈黙を破ったのはカイだった。仕切り直しとばかりに、両手に抱えた花束をノアに向ける。


「実は、こういうことなんだ。少し早いけど、ノア……誕生日おめでとう」


 唖然としたまま、ノアは向けられた花束を手に取った。

 しばらく、固まったようにそれを見つめた。やがて頭が冷却されて、今の状況を理解していく。


「あっ、あああああ……あああああああ~~~ッ⁉」


 ──今、ノアの頭の中で点と点が線でつながった。

 つまりはずっと勘違いをしていたのだ。

 それも考えうる限り、最大に恥ずかしいタイプの勘違いを。

 違う意味で顔から火が出そうなノアを前にして、カイは申し訳なさそうに目を伏せた。


「勝手にいなくなって済まなかった。

 予定ではノアが起きる前に、何事もなかったように居るつもりだったんだけど……遅くなってしまって。

 でも、俺なりに考えてみたんだ」


 カイの純粋すぎる思いを、何て桃色なことに変換していたんだ、と心の中で叫びながら、ノアは押し黙るしかない。


「ほら、この花……懐かしく思えてさ」


 そう言われて、じっくりと清潔な布に包まれた花束を見てみる。

 確かに見覚えがあった。そして、その既視感はすぐに分かった。

 これは──恐らく花の種類が違うが──カイと出会った場所に咲いていた『紅色』の花々と色合いがそっくりだ。


「こ、これ……」


「やっぱり、俺にとって『あの日』の記憶は、ずっと色褪いろあせない大切なものなんだ。例えいつか、本当の記憶が戻ったとしても。

 俺は『あの日』の出来事と同じように、今この瞬間の記憶も、これから先の記憶も、大切にしていきたい。──これからも宜しく頼む、ノア」


 そっと差し伸べられた手を、ノアはじっと見つめた。

 ──思えば、あの時とは何もかも違う。

 状況も、関係も、記憶も、そして──この想いも。

 そっと左手を胸元に添える。ノアはほんのりと温かいものを確かに感じた。

 まだ、本当の自分の事は何もわかっていない。


 でも。

 この胸の温かさはきっと……偽物じゃなく、本物だから。

 ノアは左手を胸に添えながら、右手でカイの手をしっかり握って大きく頷いた。


「これからもよろしくね、カイ……!」


「………ところでノアはさっき何を勘違いしてたんだ?」


「そ、それはもう良いのッ‼」

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