Episode29 ~修羅場と安寧、そして……~

 久々に感じた冷たい感覚に、カイは冷や汗でシャツがべたつくのを感じた。

 ギラつく太陽の下だというのに、まるで一人だけ極寒の地に居るかのようだ。


 もし、此処へ先に来たのが、ノアだったのならば少しは言い訳もきいただろうに、まさか一番見られたくない奴に見られるなんて――。

 焦燥に駆らせそうになる思考を、カイは寸前で抑える。


(落ち着け俺……今、無理に焦りを顔に出すのは不味い)


 状況は最悪だが、それを表に出してしまえばとうとう弁明の余地が残らなくなる。

 元はと言えば、元凶はセーレなのだ。自分は何も悪くないのだから、堂々としていればいい。


 考えているうちに、カイの焦燥に駆られていた頭も落ち着いてくる。

 ――アンリはまれに感情的になることがあるが、話が通じる奴だ。そして、聡明だ。この状況を冷静に判断してくれているはず。


「……アンリ、お前なら分かるだろ? この状況」


「ええそうね。……まさかアンタがこんな所で不純異性交遊を働こうとしている、なんて思いたくなかったけれど」


「何故そうなる⁉ いやそう見えるかも知れないけど! 断じてそんな事は――」


 カイの弁明を無視して、アンリはキッとセーレを睨みつけた。


「兎も角、そこのアンタも離れなさい。事情はそれから聞くわ」


 ただならぬ雰囲気を帯びて、アンリが言い放つ――いや、警告をする。

 アンリが、未だかつてないほど激怒しているのは、火を見るより明らかであった。


 対するセーレは威圧に臆することもなく、唇を尖らせて反発した。


「やだね。そもそも突然、君は何なのさ。今フェル君をおも……彼と遊んでる所なんだから、邪魔しないでくれる?」


「おい今おもちゃって言いかけただろ」


「……アン・リーネット、これでいいでしょう?

 というか、あたしからすればアンタの方が十分怪しいのだけれど」


 その言葉にセーレは、カイから離れるとぴょんっと軽快な動作で立ち上がった。


「ボクはセーレ・シルヴァハイト。どうしたの、そんなピリピリして。……まさか嫉妬?」


 ニヤニヤと口に手を当てて煽るセーレ。


「――はあ⁉ 嫉妬⁉ あたしが、こいつに⁉」


「あれ違った? すごく怒ってたからフェル君の恋人だと思ってたんだけど」


「こ、こ――ッッ⁉ そ、そそんな訳ないでしょう⁉ こいつとあたしはただの友達よ!」 


 アンリの顔が一瞬にして真っ赤に染まった。

 まさか、憤激寸前だったアンリを逆に圧倒するとはやるな――カイがそう思っていると、


「へー、そうなんだ? ならボクの方が軍配は上がるかなー、だってフェル君は昨夜ボクに熱烈な言葉をかけてくれたし」


 思わぬ流れ弾が飛んできた。


「おい待て⁉ それは流石に語弊があるぞ⁉」


「何そんな事してたの。この変態ナンパ野郎」


「意図しない所で俺の評価がどんどん下がっていく⁉」


 ――誰でもいいからこの状況をなんとかしてくれ‼

 カイが胸の内で声を大にして叫び上げていた、その時。


「アンリ? カイもどうした、の…………」


 馴染みのある声が聞こえた。

 こちらに歩いて来ていたノアの足が、突然止まった。

 セーレを見て唖然あぜんと口をひらき、ゆっくり首を左右に振る。震えた唇から弱々しい声が漏れた。


「えっ……セーレ、なの……?」


「…………」


 名を呼ばれた本人も茫然ぼうぜんとしていた。

 よもや、ひと目見られただけで正体がバレるなんて思っていなかったのだろう。


 当然だ。ノアと彼女は実に二年の間、疎遠になっていたのだから。それにセーレは以前とは容姿も風貌も、まるで別人である。

 それを見破ったノアの慧眼けいがんには、カイでさえ驚愕した。


 セーレは先程とは違う真剣な表情でノアに歩み寄ると、朗らかにはにかんで、


「久しぶりだね。エルー」


 と、ただそう言った。

 がしっ。ノアが感極まったようにセーレに抱きついた。

 セーレもゆっくりと背中に手を回す。


「ぐすっ……ひぐっ……うぅ……良かった……! セーレ……! 私、もう一生会えないのかと……!」


「そんな、泣かないでよ……。不思議だよね、昔はこうやってエルーによく慰められてたのに、今はボクが慰める側になってる。

 あっはは……見ない間に泣き虫に変わった?」


「うぅ……ひぐっ……うわああああああああああん……ッ‼」


 久しぶりの友とも再会。浜辺にはノアの慟哭がひとしきり響いたのだった。

 その様子を見ていたアンリが、不意にカイにささやいてくる。


「ちょっと、これって一体……」


「ああ……まぁ、つまりだな――」


 アンリに事情を説明した。

 赦されたとはいえ、流石に過去の自分の過ちを告白するのははばかられた。

 ので、セーレがカイ達と同じ託児学校に通っていたこと、ノアとセーレはその時の唯一無二の友達だったことを明かした。


「え、それって、アンタが前いっていたもう一人の外部保有者アウターってまさか……」


「ああ、あいつの事だ」


 カイは嘆息と共に立ち上がる。

 そして、何事もなかった様に眼前の二人を傍観しているアンリに凄んだ。


「お前、さっき俺のこと疑っただろ。ほら、別に何もなかっただろ?」


「うるさいわね。あんな状況なら誰だって勘違いするでしょ」


「なっ──」


 この期に及んでも謝罪の一つないとは。カイも流石にムッときていた。

 バチバチと火花を散らすほど、アンリと睨み合う。

 前は共に境地を乗り越えたというのに、いつまでも馬が合わない犬猿の仲のような二人の間を、


「ねーえ、二人とも!」


 と、上機嫌なセーレが割り込んだ。

 ぎょっとする二人に、セーレは「せっかく集まったんだし、皆で遊ぼうよ!」と提案してきた。


「待てよ。俺はお前らと違って、制服だぞ」


 当然の如く、カイは不満げにそう返す。


「大丈夫! ようは海に入らなければいいんでしょ?」


「ちょ、そんな引っ張るな――って、お前力強いな⁉」


 否応なくセーレの引っ張られていくカイの背中を。

 ノアとアンリが、微笑み合いながら付いて行くのであった。




 そんな楽しい時間はあっという間に流れ。

 何処からともなく、正午を知らせる鐘音がオーシェンに響き渡る昼あがり――ひとしきり遊んだカイ達は、宿泊しているホテル前に来ていた。


「それじゃあ、セーレ。またね」


 ノアが物惜しそうに軽くセーレに抱きつく。

 その様子を傍らからカイがほくそ笑む。隣にいるアンリも、笑みを浮かべていた。


 無理やり付き合わされて、疲労は溜まる一方だが、セーレと再会して目に涙を浮かべて喜ぶノアを見てしまえば、疲労など吹っ飛ぶというものだ。


 因みに、街に戻る前に女性陣は着替えを済ませた。ので、今は全員制服姿である。


 流石にこの人々の往来の中、水着で出歩く勇気はなかったらしく――。

 カイが岩陰で着替えれば良いだろ、と言ったところ顔を真っ赤にして、こっぴどく怒られてしまった。


(――ま、たまにはこういうのも悪くない、か……)


 思えば、少し前はノアとの事で、最近は悪魔への警戒心で精神を張り詰めていた。

 今回の旅行は、丁度いい息抜きをする機会になったかも知れない。


「そう言えば、フェル君たちは午後何するの?」


「ん? ああ、確か午後は魔迷宮の見学が入ってたはずだ。ほら、オーシェンの近くにある――」


「――アライト遺跡?」


 流石この地に詳しいセーレの言葉に、「そうそれ」とカイが応じる。

 だが、そんなカイとは裏腹にセーレが何故か眉をひそめて唸った。


「大丈夫? だってあそこってまだ完全に探索されてない未曾有の迷宮だったはずだけど」


「そこは心配いらないわ、あくまで見学だもの。

 そんな深くまでは潜らないはずよ。先に見学に行った一組の人達も、二十分もしないうちに出てきたし」


 と、アンリが口を挟む。

 納得のいく説明だったはずなのだが、それでもセーレは心配そうに唸っては、ぶつぶつと何かを呟くばかりであった。

 辛抱たまらず、カイが問いかける。


「どうした、セーレ。アライト遺跡の名前が出た辺りから、何か変だぞ」


「え? 別に何でもないよ、何でも……何もないなら、それで良いんだ」


 意味ありげに苦笑するセーレ。

 彼女の異変はノアとアンリも分かっているらしく、不審そうに見つめていた。


 ――おかしい。

 確かにアライト遺跡は、探索しつくされていない迷宮である。しかし、カイが事前に調べていた限りでも、本当にそれだけのただの遺跡なのだ。


 グラーテ魔術学園のように、オーシェンに訪れた旅行学生が見学するのは珍しくはないし、今までそれで行方不明者や死者がでた事例もない。

 むしろ、他の遺跡に比べればずっと安全な方である。


(それなのに、このセーレの心配ようは何なんだ……?)


「それじゃ、皆。一応気をつけてね! ボクはもう行かなくちゃならないから!」


 そう言い残して、セーレは大仰に手を振って学院に帰って行った。

 ノアとアンリと一緒にそれを振りかえすのを尻目に――カイは胸の内で渦巻く胸騒ぎが、少し大きくなったような気がした。




 ホテル内の食堂で昼食を済ませた三組の生徒たちは、早くからホテルを後にした。

 郊外にある森林に入り、敷設された道中を道なりに進んだ丘陵きゅうりょうのいただきに、それはあった。


 アライト遺跡――。

 外見はノアがさらわれた時に訪れた、洞穴と差異はない。あれよりも人工物感がただようが、一見してみればただの穴だ。


 しかし、アライト遺跡は推定、四十階層はあるとされる巨大迷宮。

 南エリアの遺跡でも三本の指に入る規模で、ほかの遺跡とは違い無幻階層が長いという特徴をもっている。


 迷宮は各階層に分類分けされており、下に降りるほど危険度が増す。

 罠も魔物も出現しない『安全階層』、それらが本格的に現れる『危険階層』、一気に脅威性が増す『無幻階層』の三種である。


 とくに無幻階層は踏み入れれば最期、凶悪な魔術トラップと、遺跡を守護する魔物がはびこる地獄だ。

 カイ達のような見習い魔術士では、危険階層の魔物であって十分脅威なので、見学で踏み入れるのは安全階層までだろう。


 ――そう。これはただの見学だ。

 危ない事などあるはずがない。事実、他のクラスの奴らだってちゃんと帰って来ていたではないか。

 カイは自分にそう言い聞かせて、ふぅ、と息を吐いた。


 眼前には、いつも通りの焦げ茶色のローブを羽織ったスィートの姿があり、カイの周りには三組の生徒たちがかしましく騒いでいる。

 それをスィートが右腕を上げて制すと、張り上げた声で言った。


「全員揃っているか? はぐれた奴はいないな、よし。

 ではこれより、アライト遺跡に入るわけだが、決して俺から離れないように。

 ここの安全階層は十層までだから、危険はないと思うが、それでもはぐれれば二度と見つけられない――なんて事もあり得るからな!

 周りを確認しながら付いてくるように! それでは、入るぞ!」


 スィートが踵を返す。それに続いて、前列の生徒たちが続々と巨大な穴の中に入っていく。


「カイ、行こう!」


「……ああ」


 笑顔で言ってくるノアに笑みを返して、カイは迷宮に足を踏み入れるであった。


 遺跡の中は思っていた以上に狭かった。

 道幅は人が三人並べるほどしかなく、たまに広々とした正方形の空間が挟まれているが、基本的には狭い道を進むしかない。


 列を乱すわけにもいかないので、カイとノアは最後尾で二人並びながら列について行っていた。

 遺跡内は薄暗く、歩くたびノアの手のひらの魔術火が揺れる。

 ふと、カイが橙色の影を落とすノアを見ると、興味津々な様子で壁を触っていた。


「凄いね……もう何百年も前に作られたはずなのに、壁の劣化がほとんどない」


 言われてみれば、カイは先程から石壁に手を付きながら歩いているが、手のひらには砂粒ひとつ付いていない。

 こうして触っていてマナの流動を感じないということは、壁自体に魔術が敷設されているわけではないだろう。

 大規模な儀式術の一種が、この遺跡全体に展開されていると考えるのが普通か……。


 そんな思考を巡らせていると、カイは突如なにかにつまづいた。


「――おっと⁉」


 慌てて前に倒れそうになる体を支える。


「……何だ? 今までくぼみなんかなかったのに――⁉」


 つまづいた場所を見返して、カイは思わず息をつまらせた。

 石畳の地面には、いつの間に書かれたのか、魔術陣が浮かんでいた。淡い光を放って緩やかに回転しているので、既に起動されているものだ。


 ――これは、何だ⁉

 背中に伝う怖気を歯噛みでごまかす。カイは急いで膝を付き、魔術陣を構成する術式を読み解いていく。

 ほとんどの術式は理解できないが、知っている単語ひとつ見つけられれば大体の魔術の性質が分かるかも知れないのだ。


 起句から慎重に分析していき……見つけた。


「ワフ・ラーレ……!」


 眼を見開く。それは、転移を意味する呪文であった。それが分かれば、この魔術陣の効果が自ずと見えてくる。


「まさか……触れたものを強制転移させる魔術トラップ⁉」


 カイはとある予感に襲われ、バッと振り返った。

 消えていた。一緒に歩いていたノアの姿も、クラスメイトの姿さえも忽然と消え失せていた。


 間違いない――さっきこの罠を踏んだせいで、自分だけが何処かへ転移してしまったのだ。


 いつの間にか、周りの様子も変わっていることに気がついた。

 石畳や石壁のみぞの間から、青い光が溢れている。そのお陰で、転移前は火がなければ進めなかった道が、今では先が見据えるほど明るい。


 ――ここはアライト遺跡の中なのか。違う階層に飛ばされたか? それとも全くの別世界に飛ばされてしまったか……。

 後者ならば、完全に詰みである。

 転移というのは、空間と空間を繋ぐ行為。別で異空間を用意してしまえば、そこへ飛ばすことも不可能ではないのだ。


 つまり今のカイは、出口のない箱庭に捕らわれたしまったという事だ。

 ある程度魔術を修めた者ならば、転移魔術を再起動リ・ブートして抜け出せるのだが、カイでは魔力が足りない。


 がしゃん。がしゃん。


「――⁉」


 突如響いた重苦しい騒音に、カイはきびすを返した。

 そこには、青い影を落として屹立する白亜の塊。眼と思しき両点を紅くきらめかせ、無機的に近づいてくるその姿は、


「ご、ゴーレム、だと……⁉」


 金属質のゴーレムは本来、もっと深い危険階層に出没する、いわば遺跡の守護兵ガーディアンだ。


(だとすれば、俺は危険階層まで転移しちまったってことか――⁉)


 考える暇を与えんと、巨大な豪腕がカイを捉えた。

 勢いよく掴もうとしてくるその手を、間一髪で後転してよける。


 空を掴んだ豪腕が、勢い余って壁に埋まった。ほとばしる土煙と爆風がカイを叩いた。

 凄まじい破壊力。掴まれれば骨を砕かれるだけでは済むまい。


 鋭く息を吸い込むと同時に、カイは剣を生成した。

 ――進むには、倒すほかない!

 剣を下段に構えて、一直線に距離を詰めた。

 

 壁に埋まる豪腕を踏み台にしてゴーレムの背後に回る。着地とともに地を蹴り、薄青色の剣先がゴーレムの背中を捉えた。


「《ウル・エンハンス》――ッ!」


 右腕を増強エンハンスした最高の一撃を、白い背中に叩き込む。

 衝撃波すら広がった突き技は、強固な装甲をたやすく貫き、刀身が根本まで埋まった。


 背中を蹴って、カイは宙返りしながら着地する。

 ピー、ピーと甲高い音を響かせるゴーレム。背中から溢れんばかりの火花がほとばしり――。

 がくんっ、と白亜の塊は完全に動作を停止した。


 実はゴーレムは魔術耐性が異常に高い代わりに、物理耐性にはもろいのだ。拳や剣ならば、接敵して中心にあるコアを穿うがてば無力化できる。


 構えを解いて、カイは立ち上がる。

 こうしていられない。此処が何階層か分からないが、別世界に飛ばされた訳ではない以上、希望が見えてきた。

 ノア達の下へ戻るためにも、上階に続く階段を探さなければ。


「とにかく、行くしかねぇな――ッ!」


 相棒の剣を片手に、カイは青い光が充満する通路を駆けるのだった。

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