Episode28 ~水着で遊びましょう~
心地の良い感覚。
まるで海の底で寝転がっているような、温かい感覚だけが全身を包んでいた。
「――――きて!」
ふと、暗黒の端からパッと光が指す。チクリと意識を刺激する。
もう少しだけ、この気持ちよさに寄っていたい――。
甘露な誘惑に負けて、意識を更に深いところへ誘おうとした……瞬間だった。
意識を刺激していた声が、より大音量となって響いてきた。
「起きてーー! カーイーー‼」
「――ッ⁉」
がばっ、とカイは毛布を払いのけ、勢いよく飛び起きた。
胡乱とした意識の中、絶え間なく音を鳴らす扉の方に目を向ける。
そこでやっと、どうやらあの音で起こされたらしい、と悟った。
カイはベッドから抜け出し、目を擦りながら部屋の扉を開ける。
「ったく、こんな朝っぱらからどうしたってんだ……」
聞こえていた声の通り、そこには案の定制服姿のノアが立っていた。
寝起きのカイを見るやいなや、彼女は呆れたように腕組をして頬を膨らませた。
「もう、やっと起きた。いくら呼んでも起きないんだもん」
「ふぁあ……別に良いだろ寝てても。今日の午前中は自由時間だろ?」
言いつつ、懐から懐中時計を取り出す。
見れば、時刻はまだ十時を回った所だった。確か、昼食は十二時半だったはずなので、まだ二時間も猶予がある。
「ほら、まだ時間は――」
たっぷりある。そう口にするよりも先に、ノアが詰め寄って言葉を制した。
「駄目。ほら、速く支度して浜辺に来て! もう皆集まってるよ!」
「はぁ? え、ちょ、おい⁉」
何故浜辺に? 皆が集まっている?
そんなカイの疑問に答えることなく、強引に身体を押されて、自室に戻される。
「それじゃ、待ってるから絶対来てね!」
そんな事を言い残して、ノアは嬉々として部屋を離れていった。
バタンと閉められる扉。
唖然と立ち尽くすカイ。静寂の中、しばし硬直したあと。
「はぁ……」
面倒くさそうにため息を吐いた。
「行かなきゃ駄目か、これ。駄目だよなぁ……」
ベッドに腰を下ろし項垂れる。
昨夜の出来事のせいですぐに寝付けなかった分、まだ心身が重い感じがするのだ。
正直ノアの言葉など無視して、このまま二度寝したい気分なのだが……。
そうすれば、後々なんて言われるか分かったものではない。
嘆息を吐いて、カイは立ち上がる。
しょうがないな……と、呟きながら制服が仕舞われたクローゼットに手を伸ばした。
自室を後にし、エントランスホールを抜けて外に出る。
瞬間。降り注がれる天日に、カイは思わず目を細めた。
横を見上げれば、天を貫かんとする巨峰が屹立しており、巨大な滝が荘厳と流れていた。
都市部のグラーテとは違い、『自然との共存』を掲げているオーシェンだからこそ見れる絶景にカイは息を呑む。
「さて、行くか」
バッと踵を返して。カイは眼前に広がる大海原と、煌めく砂浜へと向かった。
浜辺に着くと、そこは何とも姦しい空間であった。
午前中、自由時間を与えられた生徒たち。その殆どが、浜辺に集まって遊んでいた。
その全ての生徒が水着姿。
女子生徒たちは白く艷やかな肌を惜しげもなく晒し、互いに水を掛け合ったり、ビーチバレーをしていたりと、微笑ましいのに対し――。
「うぉおおおお! ここは楽園か! それとも天国か⁉」
「不味い、ウィリーが鼻血を出して倒れたぞ⁉」
「が、眼福……」
「おい! 目を覚めせウィリー! アンリを見ずして逝くなーー!」
「誰か、メディーック! メディーック!!」
三組の男子の中心的人物――ロインを筆頭に、男子陣は興奮の極みにあった。
時折絶叫を挟みながら、あの娘が綺麗だの、あの娘が凄いだの、恥じらいは何処へ言ったのかとツッコミたくなる発言を高々と叫んでいた。
無論、女子陣からは白い目を向けられているのは言わずもがな。
――全く、呑気なもんだな……皆。
男子陣から視線を外して、カイが毒づく。
オーシェンは人気な観光地だ。日々数多くの観光客が訪れているし、この浜辺だって普通に一般客も紛れている。
流石に今すぐ悪魔たちがどうこうできる、という訳ではないだろう。
「…………」
一昨日から感じる胸のざわめきに、カイは目を細める。
――ずっと引っかかっていたのだ。
何故、あのタイミングで【魔術研究圏】が襲撃されたのか。勿論、本当に偶然という可能性もある。
だがそうじゃなかったら?
急遽、魔術強化合宿の目的地を変更させる事こそ、奴らの真の目的だったとすれば。
今まさに、悪魔たちが水面下で動いていたっておかしくはないのだ。
「カイー!」
馴染み深い声が聞こえ、カイは咄嗟に我に返る。
振り向けば、ノアがこちらへ向かってきていた。ノアの身体で見えづらいがその後ろにはアンリの姿も見える。
ノアは傍らに立ち止まると、盛大に騒ぎ立てている男子陣を遠巻きに一瞥した。
「……少し、あっちで話そっか」
関わりたくないと思ったのか。そんな事を言って腕を引っ張ってくる。
カイもあの男子陣に絡まれるのは御免なので、大人しく従ってついていくのだった。
「……所でさ。お前ら、何て格好してんの……?」
ある程度遠くまで離れた後。カイは恐る恐るそれに触れた。
二人が、他の生徒と同じく水着姿であることを。
それにノアが待ってましたと言わんばかりに、目を輝かせて、水着を見せびらかしてくる。
髪の色と同じ蒼を基色とした、フリル付きの可愛い水着だ。透明感のある白い肌と背景の大海原も相まって、水の妖精の様な風貌を感じさせる。
「ふっふーん。実は、秘密で水着買ってたんだよねー。どう? 似合ってる?」
「無理すんな。顔赤いぞ」
必死に取り繕うとも、ノアは昔から嘘を付けない体質なのは知っている。言動は普通でも表情にはばっちり出てしまっていた。
思わぬ指摘をされ、更に顔を赤くするノア。
それを無視して、カイはさっきからずっと後ろに隠れているアンリに、ため息混じりに言った。
「アンリも……随分と気合い入れたな。男子たちと口約束したからか?」
「そ、そんな訳ないでしょ⁉ これはノアにしつこくせがまれたから……あたしだって本当はこんな格好したくないに決まってるでしょ!」
言いつつ、自らの身体を両腕で隠す。
ノアとは相対的に赤を基色とした水着は、露出がなるべく少ないのを選んだろう、豊満な胸元が布地で覆われている。
腰にはパレオを巻いており、極限まで肌を見せたくないという意志が感じられた。
しかし、要所からかすかにおみ足や二の腕が覗いていて、どうしても目が行ってしまう。
見れば死。見れば死。必死に自分に言い聞かせながら、カイはアンリを見ないようにしながら言う。
「それで、俺を連れてきた理由は、水着を見せたかったから?」
「そういうこと! だって、こういう時しかないんだもん。グラーテは気候が寒いし」
「そうだがなぁ……」
頭をがりがりと掻いて辺りを見渡す。
イカれた男子陣と離れるため、結構遠い所まで来てしまった。遠巻きに見えはするが、何か起きても気付けないだろう。
この場所に少女の二人を置いていくのは流石に無神経すぎるか。
――今すぐ帰りたいが、しょうがない。
「俺はあっちの方で座ってるから、お前らは適当に遊んでろよ」
「え? カイは遊ばないの?」
「そりゃ、俺は制服だぞ? 水着なんか買ってないしな」
そう言い残して、カイはノア達から少し離れた浜辺に腰を落とした。
やがて二人は無邪気に遊びは始める。
基本的にはノアにつれられ、アンリがそれに付き合っていたが、暫くするとアンリも乗り気になったのか笑顔が増え始めた。
それと同時に、ノアの顔にも笑顔が浮かび始める。
雲ひとつない晴天の下。
溢れんばかりの笑顔で遊ぶ少女たちを見て、カイの口元も不思議と綻んでいた。
途端、ふらりと視界が傾ぐ。
安堵したら一気に眠気が襲ってきたのだ。
ただでさえ温かい陽光に当てられているので、寝不足のカイにとっては必然といえば必然か。
すとん、と脳が底に落ちていく感覚。
視界が二重にブレて、思わず顔を押さえる。
――あ、これ、本当にまず……。
警戒。警戒だけは解くわけにはいかない。カイが落ちいく思考の中でそれだけを繰り返していると、遂に視界は暗転した。
…………。
……。
「――? もし――て寝てる?」
「―――、――い! 起きな―――ぁ……」
「――わあッ!」
「――ッ⁉」
突然の刺激に脳が覚醒する。
同時に、カイの身体と精神は反射的に働いていた。
右手に剣を生成して、逆手に持ち替える。
その動作を目にも留まらぬ速さでやり遂げると、それを左脇から刀身を声のした方へ――。
「…………ワァオ……」
突き出した瞬間。カイは完全に眠気が覚めて我に返った。
切っ先を向けた後ろを振り向く。
すると、何故か両手を挙げた水着姿のセーレがそこにいた。
握り締めれば折れてしまいそうな首元に、鋭利な切っ先があと数ミリメルトの所で停止している。
「あ、す、すまん……⁉」
と言うと、カイは慌てて生成を解除した。右手の剣が粒子となって霧散していく中、セーレは苦笑いを浮かべた。
「あっはは……びっくりしたけど、いつでも警戒しているのは良いことだよ、うん。驚異はいつ何処で襲ってくるかわからないしね……」
「無理に励ますなよ。余計に辛いから……。クソ、はぁ……」
ノア達に危害を加える輩がいないかの監視役として此処にいるというのに、眠ってしまうとは何という事か。
あまつさえセーレを傷つけそうになった悲嘆に暮れていると、カイは今更ある違和感に気がついた。
「待て。お前、何で此処にいる?」
そう。セーレがこんな場所にいるのはおかしいのだ。
本来ならば今頃、オーシェン魔術学院で授業を受けている時間だからである。
そんな問いかけにセーレは、朗らかな声で言った。
「えへ、抜け出してきちゃった☆」
「はぁ⁉ 抜け出してきたってお前――」
「だってさー。折角フェル君やエルーが来てるんだよ? こんな日に学校なんか言ってられないって」
「そのフェル君ってやめろよ」
呆れつつ、カイは顔を押さえながら項垂れる。
セーレは昔から親しい奴には、
例えばノアはセーレの事を普通に名前で読んでいたが、セーレは『エルー』と渾名で呼んでいた。
ノアの渾名も姓から取ったものなので、それと同じ部類なのだろうが……。
「えー、だってボク達そんな浅い関係じゃないでしょ? 互いの秘密を晒しあった仲じゃん」
セーレが砂浜の上で膝をついて、ぐいぐいと無遠慮に詰め寄ってくる。
その惜しげもなく晒された肌に触れることもできず、カイは必然的に後ろに後ずれるしかない。
「お、おい」と、カイの震えた声も気にせず、銀髪の少女は更に距離を詰めて。
やがて、ほぼセーレがカイを組み敷いている様に近い形になってしまった。
「セーレ、俺をからかうのもいい加減にしろ……。こんな態勢、他の誰かに見られたりなんか――」
「…………何、やってんの」
その時、背筋に人生最大の怖気が走った。
正しく氷塊を押し付けられた様な――その冷たい感覚を、カイは知っている。
最近は一切感じなかった。しかし、数ヶ月前は日常的に感じていたはずだったその悪寒。
ならば、この感覚の正体は言うまでもなく。
カイが振り向けば案の定、ゴミを見る様な目を向けてくるアンリと目が合うのだった。
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