Episode27 ~過去の懺悔~

 セーレ・ランティノス。

 唖然と立ち尽くしながら、カイはその名前を脳内で何回も繰り返していた。

 それと同時に、ほんの数年前の光景が脳裏によぎった。


 託児学校でいじめを受けていた彼女の姿が。

 そして――それを拳を握りしめて見ていることしかできない、愚かな自分の姿が。


 最後こそ行動を起こしたものの、結果としてセーレが学校を追放されてしまったのは変わらない。

 それを止める術は合ったかも知れないのに。

 同じ外部保有者アウターであるカイだけしか、本当の意味で寄り添ってあげる者はいなかったのに。


 ――俺は、差し伸ばそうとした手を、引いたのだ。

 鋭い未練の針が、胸を射抜く。


 痛みを全身で噛み締めながら、カイは見た。

 水面に広がるような銀色の髪の少女。

 背を向けて去ろうとするその背中に、懸命に手を伸ばした。


 だが、伸ばそうとした腕が、中途半端に止まった。石が縫い付けられている様に、ピクリとも動かない。


 まるで、彼女に向かって中途半端にしか手を差し伸べられなかった、かつての自分のように――。


「……カイ、君……?」


 消え入るような声に、ハッと我に返った。

 見れば、眉をひそめたセーレが、恐怖に揺れる瞳で、じっとこちらを見つめていた。


 一向に去ろうとする気配はない。

 同時に、カイの腕も地面へ垂らされたままで、一切動いてはいない。

 ――幻覚だったのか……?

 にしては明瞭すぎた気もする。もしかしたら、あれは記憶の断片なのか。


 もし、そうだとしたら。

 戒めし記憶が言っているのだろう。逃げるなと。

 こうして再び出会った以上、過去の過ちを謝罪し、許してもらおう。

 精一杯誠意を示すことが今の自分にできる、唯一の償いなのだから。


 カイは強く意気込んで、再びセーレを見た。

 月夜の下に煌めく銀色の少女は、カイの返答を待つかのように、黙って視線を向けてきていた。


 さざなみを立てる海の様に、澄んだ青色の瞳は、少しだけ潤んでいる様にも見えた。

 過去の記憶を掘り返して見ても、別人としか思えない変わりように息を飲みながら、カイはもう一度己に喝を入れる。


 そうだ。彼女だって、自分の事を告白したのだ。

 怖くないはずがない。カイだって、アンリに自分の秘密を話そうとするのに、一週間もかかったのだ。


 セーレの勇気ある行動を無下には出来ない。

 慎重に言葉を選びつつ、カイは口を開いた。


「久しぶり、だな。

 ……その、セーレには謝らなくちゃいけないな……。

 昔のこと……すまなかった」


 何を言われようとも覚悟していたカイに対して、セーレの反応は、想定していたものとはまるで違ったものだった。


「……え、何で君が謝るの?」


「え、だって俺は外部保有者アウターで……その上で、俺はお前を見て見ぬ振りしてたんだぞ? 恨みとか、ないのか?」


 恐る恐る問いかけるが、やはり彼女は変わらず朗らかな声で答える。


「恨みなんて、そんな! 君はボクを助けてくれたじゃん。もしかして、その事も忘れちゃった?」


 そういって、今度は不機嫌そうに眉をひそめるセーレ。

 ――あれ? 何で不服そうなんだ⁉

 想定していたものとは真逆の自体に、困惑しながらも、あらぬ誤解を受けるわけにはいかない。


「いや覚えてる! ちゃんと覚えてるって⁉

 確かに最後は助けたけど、結果としてお前の退学を止められなかったわけだし……」


 カイの弁明を聞いたセーレが、今度は呆れたようにため息を吐いた。

 昔はコロコロと表情が変わる奴だったっけ、と記憶を思い返すカイの目の前に、ずいっとセーレが近づいてきた。


 ぷくりと頬を膨らませ、人差し指を向けられる。


「……いい、カイ君」


 真剣な眼差しを向けられ、カイは「は、はい」と答えるしかない。


「ボクは君の事をなーんも恨んでないし、むしろ、感謝してる。

 あの時、宝物を取り返してくれたんだから。ボクにとっては立派な恩人だよ。

 それに……」


 含み笑いしながら、向けられた人差し指が、カイの右腕へと向けられた。


「さっきみた剣技と生成術は、とても数ヶ月練習した程度のものじゃなかった。きっと、何年も特訓してたんでしょう?

 ボクを助けた時だって」


「――っ⁉」


「あははっ、図星だって顔してる。

 だけど君はあの時、決して剣を振るわなかった。バレたくないってのもあったんだろうけど、脅すなりすればよかったのに、それでもしなかった。

 ……君は優しい。優しすぎるほどに、ね。

 だけどそんな君を見て、カッコいいって思ったし、おかげで少しだけ強くなれたんだ」


「セーレ……」


 胸の奥から溢れる感情を押さえつけながら、カイは唸った。

 

 セーレは、自分が思っている以上に、強かったのだ。

 なんせ、過去の辛い出来事にもめげず、自分を変えてしまったのだから。


 自分の過ちに後悔し、苦しんで……やっと最近、その過ちを正して自分を変えるのに、何年もかかったカイには。


 目の前で自信満々に胸を張る彼女が、目も眩まんほど輝いている様に見えた。


「ねぇ、そんな事よりさ。もっと楽しい話しようよっ!」


 満面な笑みを浮かべて、セーレがずいずいと小動物の様に近づいてくる。


「お、おい。あんまり近づくな」


 さっきの神妙な表情とは何処へやら。カイが普段と真剣な時との差が激しすぎるセーレに若干押されていると――。


「ボクさぁ……結構変わったと思うんだよねぇ。

 雰囲気だって明るくなったし、髪も短くしたしさ。

 どうかな、今のボク。前より良くなった?」


 突如として、爆弾を仕掛けてきた。


「えっ? えーーっと……」


 今までまともに同年代の女子と話した事がないせいか、こういう時、どう答えていいかわからない。

 ――確か、前にもこんな事あったな……!

 改めて、同学年のクラスメイトと避けていた事を後悔しつつ、都合の良い言葉を探す。


「えっと……良い……可愛いと思うぞ?」


 本心をありのままに言う。

 これが、今のカイにできる限界だった。都合の良い言葉など出るわけがない。


「……ふっ、ふふふ、あっははははは!

 なぁにそれ、ストレートすぎない? まぁ、でも……あり、がとう」


 そう言って、セーレがぽりぽりと頬を書く

 夜風に当てられたせいか、頬が微かに紅潮している様に見えるのは気のせいか。


 それを確認するより先に、背を向けられて顔が見れなくなってしまった。

 接近していた距離を離して、くるりとこちらを振り向く。


 再び見た彼女の頬は特に普通だったので、気のせいかと思っていると、セーレが朗らかに笑った。


「それじゃあ、ボクはそろそろ行くよ。寮監に怒られるのはごめんだからね。またいつか……近い内に会えるよ。またね」


「え、お、おい⁉」


 何か意味ありげな言葉を残して、セーレは呼び止める声に応えることなく、浜辺の奥の岩壁を軽快な動きで登った。

 最後に振り向いてカイに手を振ると、銀色の少女は岩の影に消えるのだった。


「な、何だったんだ、最後のは……」


 何故近いうちに会えるのか、皆目検討もつかない。

 確か学園でも、他の魔術学校と合同で行う行事は二学年ではないはずだ。


 まぁ、考えた所で無駄だろう。

 白付く息を吐いて、カイは合宿しているホテルへ向かうのだった。

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