Episode25 ~邂逅~

 重い荷物を適当に放おって、カイは三人は寝転がれそうなキングベッドに思い切り体を預けた。

 ばふん、と。疲れ切った心身を柔らかい感触が浸透する。

 駿馬しゅんばで片道七時間。これほどの長旅だと、自ずとため息も出てしまう。


 カイ達三組の生徒たちがオーシェンのホテルに到着し、夕食の後、もう遅いので全生徒には翌朝までの自由時間が与えられたのだ。

 このまま睡魔に誘われるがまま、眠りに落ちたいが、制服のままで寝るわけにはいかない。


 カイは軽快な動作で上半身を持ち上げ、ふと部屋を見渡す。

 ──これが一人、一部屋なのか……。

 入ってすぐベッドに飛びついたから見落としていたが、思わずその部屋の豪勢さに息を呑む。


 中心には長机を挟んで、寝転がれそうなソファが相向かいに二つ。


 その後方には、精緻せいちな装飾がなされたキングベッドが置かれ、その全てが暗い紅の布で覆われている。


 見れば地面にも、同色のカーペットが敷かれている。

 横には、月明かりが差し込む巨大な大窓。

 大窓式の扉を開け放てば、外には大きなテラスが広がっている。

 リビングがこれ程ならば、他の二部屋も相当な造りなのだろう。


 高級ホテルにしては少しばかり目劣りしてしまう狭さだが、それでも一人で過ごすには十分すぎる広さがあった。

 とても学生の、尚且つカイの様な庶民が宿泊するには、豪壮すぎて息が詰まりそうだった。

 本来、魔術研究圏の合宿で当てるはずだった費用を、ここで散財さんざいしているのだろうか。


 益体もない事を考えつつ、カイはベッドを離れた。テラスに続く大窓を開け放ち、ぶわっと外の空気が部屋に流れ込んでくる。

 冷たい夜風が、肌を刺す。眠気覚ましには丁度いい。

 白つく息を吐いて、上を見上げる。


 都市部のグラーテとは違い、南エリアで見る夜空は、溢れんばかりの星群が広がっていた。

 一つひとつが違った色合いで輝き、瞬くさまは──さながら絵画の如き美しさだった。満天の星空に息を呑みながら、カイは思う。


 何か、胸騒ぎがする──。

 オーシェンについてから、ずっとそうなのだ。

 まるで自分は此処にいてはいけない、と言われているかの様な感覚。心の中の警鐘が、全力で鳴り響いていた。


「外に出るか……」


 しばし空を仰ぎ、呟く。

 そう。結局はただの感にすぎない。一々根拠のない事を心配していたら、こちらの精神が持たない。

 ノアが常日頃から言う通り、少し心配性なのかも知れない。


 そう結論付け、首を下げてテラスへ出る。

 雑念を振り払うには、剣の修練が一番。柵を軽快に飛び越えると、カイは浜辺の方へ歩いて行った。




 潮風というのはこんな匂いなのか。

 カイが浜辺に付いて思ったのは、そんな他愛もない感想だった。

 こんな夜更けでも尚、神々しく輝かんとする大海原を流し見て、柔らかい砂を踏む。

 何かの直感に導かれるがまま、浜辺を横断する。

 しばらくして、たどり着いたのは――。


「此処なら誰にも見られない、か」


 そこは、浜辺を左端にある岩山の影。

 楕円形の砂浜は、隣の大きい浜辺とは隔絶された空間だった。

 例え浜辺に誰かが来ようとも、此処まで来ようとする者はいまい。


 無論、無断で外出などすれば、講師に大目玉を食らうのは目に見えているので、こんな事をするのは自分くらいだろうが。

 カイは砂浜へ踏み入ると、早速剣の修練を始めるのだった。


「――フッ! ハッ! ハァッ!」


 様々な剣技の型を駆使し、紡いで、絶えず剣を振る。

 型といっても、昔資料館で読んだ程度の知識に、カイの改変アレンジを加えたオリジナルだ。


 広く知られ汎用された剣技の型では、敵に剣筋を見切られる可能性が高い。故にあえて、カイ独特の動きを要所に加える。

 そうして動きを捉えにくいようにしているのだ。


 ――ただの剣技でも、ここまでしないといけないが、辛い所だよな……!

 自らを鼻で笑い、足を疾駆させる。


 十分助走を付けて、宙に躍り出る。剣を左肩に担ぐように持ち上げ、構えを取る。

 着地と踏み込みを同時にこなし、カイは思い切り空を斬った。

 虚空に白い剣筋が残らんほどの一閃。

 風切り音が冷たく響き、地面の砂粒が波紋状に広がった。


 無心で素振りを続け、気づけば三十分弱が経っていた。

 この日一番の一振りに満足したカイは、ふぅと中腰を上げる。


 腕を横に伸ばすと、青白い長剣は溶けるように虚空へ霧散した。

 ……部屋に戻るか。カイがそう思い振り返るのと――。


「あれ、もうやめちゃうの?」


 聞き覚えのない朗らかな声が耳に届いたのは、ほぼ同時だった。

 息を呑む。いつの間に──いや、何時からそこにいたのか。

 振り返ると、そこには一人の華奢な少女が立っていた。


 夜空の下でも美麗に輝く、純銀を溶かし流した様な銀髪。薄手のワンピースをなびかせて、少女はただ、海にも負けない蒼を湛えた瞳でカイを見つめていた。


「――ッ‼」


 鋭く息を吐いて、カイは咄嗟に身構えた。

 ――馬鹿な。気配なんて一欠片もしなかったはず。

 なんせ、剣の鍛錬をしていたのだ。生成術でも魔術な以上、行使には精神を研ぎ澄まさなければならない。

 例え小さな足音でも、知覚が敏感になっていれば流石に気付く。


 つまり、この少女は足音を消し、気配をも殺して近づいてきたのだ。

 只者じゃない。腐っても魔術士の背後を取れるなど、只者であるはずがない。

 ――やはり、嫌な予感は的中していた!

 歯噛みして、カイが水の如き滑らかさで、剣を生成しようとした瞬間。


「ちょ、ちょっと待ってよ! ボクは君に危害を加えようとしに来たわけじゃないよぉ⁉」


 朗らかな声と共に、少女が大袈裟に両手をブンブンと振る。

 カイは思わず生成を止め、訝しむように少女を睨んだ。


「なら、何しに来たんだ」


「そう身構えないでよ。ボクはオーシェンここの住民なんだ。むしろボクの穴場に勝手に入り込んだのは、君の方だよっ」


「……、それはすまん。だが、何でわざわざ足音や気配を消して近づいてきた?」


 流石にその質問は予想外と思ったのか。

 今度はんーと頬に人差し指を当て、長考する。

 見てくれは瑞々しい、天真爛漫といった物腰だ。ワンピースから惜しげもなく晒されている両手足も、小枝のように細い。


 正しく戦闘に身を投じてなさそうな、現地のうら若き少女といった感じだ。しかし、カイは同時に異様な雰囲気を感じ取っていた。

 何故ならこの少女、立ち振る舞いに全く隙がないのだ。

 もし今、突然剣を生成して切りつけようとも、確実に避けられる。そんな確信が持てるほどに。


 恐らく本人に自覚はない。少なくとも、これまでの動作会話で演技臭さは感じられなかった。

 しかし、此処までの威風は出せずして出せるものではない。


 ――間違いない。戦闘経験があるな……魔術士か?

 このなりで剣士や騎士などではないだろう。

 それにオーシェンには魔術学院がある。


 グラーテ魔術学園の様な軍事養成施設ではなく、恒常カリキュラムに魔術授業を追加しただけの学校だが、魔術を修めるならば模擬決闘の一つもするはずである。

 次の瞬間。カイのそんな憶測は、見事に確信へと変わった。


「えっへへ……実はボクはこの近くの魔術学校に通ってるんだ。その時の癖がつい、ね。

 でも安心していいよ。君に危害を加えるつもりもないし、の事も秘密にしておいてあげるから!」


「――ッ⁉」


 カイは思わずうめき声に似た吐息が漏れた。

 そうなのだ。少女の不穏な雰囲気で失念していたが、一度生成術を見られてしまっている。

 頭が一瞬焦燥しょうそうに駆られそうになり、すぐに先程少女が言った言葉を思い返す。


 ――今、こいつは何と言った?

 聞き間違いじゃなければ、秘密にしておくと。

 信じられない。そうカイは、脳内の疑問を口に出さずにはいられなかった。


「何で……俺の生成術を見て何とも思わないのか⁉」


 無論、アンリやノアの様に生成術に悪く思っている奴が居るのは知っている。だが、そのアンリでさえ初めて目の当たりにした時は、驚いていた。

 生成術士ないし外部保有者アウターは、そう居るものではない。嫌悪していなくとも、驚愕して然るべきなのである。

 それが、未知を探求せんとする魔術士ならば尚更だ。


 しかし眼前の少女は「それがどうしたの?」と言わんとするかの様に小首を傾げていた。

 硬直するしか無いカイにやがて、少女が口元をふふ、と優しく綻ばせる。


「別にボクは、誰が外部保有者アウターとか内部保有者インナーとか気にしないなー。

 それにー……?」


 …………は? 今、なんて……。

 その意味をすぐには理解できなかった。

 脳内で何度も咀嚼そしゃくし、カイがようやく理解できた頃には。

 いつの間にか銀髪の少女は、音もなく歩み寄って、カイの顔を覗き込むように見つめていた。


 ――おわっ⁉ ち、近――、

 互いの吐息が掛かりそうな距離。

 顔が熱くなるのを感じつつ、カイは咄嗟に少女から距離を置く。

 そんな様子を少女が口元に手を当てて笑う。

 今は天真爛漫な風貌よりも、いたずら好きの小悪魔が乗り移ったかのようだ。


 ざあっと。夜風が二人の合間を抜け、白いワンピースを揺らす。

 両手を後ろに回して、 少女が神妙な面持ちで言った。


「ねぇ……此処までしたのに、まだ分からない? やっぱりボクに見覚えないのかな……君――いや、カイ・フェルグラント君」


「な、何で俺の名前を……⁉」


 意味が分からない。少女とは初対面のはずなのだ。

 先程から状況が飲み込めず、体が思うように動かない。石の如く硬直してしまっている。

 故にカイは、唯一働かせられる頭で、思考を巡らすしかない。


 少女を隅々まで見渡す。

 整った目鼻立ち、滑らかな銀髪、澄んだ蒼瞳。

 ――そういえば、何処かで……どこ、か……で……。

 そうだ。いた。一人だけ、カイの記憶に該当する奴が。


 しかし同時にありえないと思わざるを得なかった。

 ありえない、そんなはずはない。だってあいつはとっくに――。

 次の瞬間。カイは量目を見開き、発した声は自分ですら驚くほど、掠れていた。


「まさか……お前は……」


 その反応に満足したのか。

 少女は再び口元に神妙な笑みを浮かべ、数歩後ずさり。


「そういえば自己紹介してなかったよね。ボクはセーレ。

 ――セーレ・シルヴァハイト。

 これは本来の姓じゃないんだけど……色々あって昔のは捨てたんだ。

 だから──本当のは、こっちです」


 セーレと名乗った少女が、肩に乗る銀髪をくくっていた紐を解く。

 夜風にたなびく銀髪。たったそれだけの変化だというのに、何故かセーレの風貌は、全くの別人になっていた。

 銀髪が月光浴びて、神々しく煌めくその姿は──。


 三年前、一時的に通っていた託児学校を追放され、カイの前から姿を消した──セーレ・ランティノスに酷似していた。

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