Episode23 ~それぞれの想い~
そんな
《魔術強化合宿》が翌日に控えたその日は、グラーテを覆う空の
微かな月明かりだけが、所狭しと並ぶ住宅の合間に差し込み、各所を照らす。
すでに時刻は、
ガス灯もとっくに更けており、当然のことながら通り人は一人もいない。
そんなグラーテの某所──少し広い正方形の空間に、有ろう事か、人影があった。
昏い茶髪を夜風に任せるがまま
瞑想するように瞳を閉ざして、空を仰ぐその少年。
カイだ。
カイはふぅ、と息を吐いて瞑想を止めると、おもむろに右腕を正面へ伸ばした。
自らの腕を睨み──全神経と精神力、そして体内マナをあらん限り右
何処からともなく発現したマナ粒子が、眼前に
丁度いい長さの
シルエットだけでそれが、剣と思しき物体であると視認できる。
カイはその柄を掴んで、
「ふっ──!」
それは、瞬きも許さぬ、一瞬の出来事だった。
光のシルエットでしかなかった全貌が、光を吸収したような、半透明で青白い長剣へと変貌していたのだ。
〝剣の生成〟。カイにとって、息をするように当然な動作。今回はそれを、少し真面目にやっただけだ。
カイは、重みのある長剣を持ち上げ、まるで
薄い青を湛えた半透明な刀身が、一条の月光を反射してギラリと光る。
どんな大岩も斬り裂かんとするような、生半可な
……かの悪魔との戦いの後、カイは基礎から磨き始めた。
つまりは、剣の生成から見直すことにしたのだ。
結果──太すぎた刀身はやや細身となり、その分重量を増すことで
あらゆる性質が均衡に保たれた剣──尖った性能がない代わりに、何一つ劣る所がない。
正真正銘、紛れもなく。カイはこの剣を、今まで追求してきた完全形であると、自信を持って言える。
──だが、足りない。
どんなに相性の良い性質の高い剣を生成できたとしても、あの悪魔にはきっと敵わない。
別にそれに限った話ではない。何もかもが足りないのだ。
戦闘経験、
それこそ、挙げれば枚挙にいとまがない。
《生成術》だけが唯一無二の取り柄である
だからこそ、その分、戦い方を工夫し、模索し、
どんな卑怯な手でも良い。魔術士がよく掲げる格式や誇りなど、クソくらえだ。
あらゆる手段を余すことなく利用し尽くさなければ──生成術士など、
そうしなければ、悪魔のような圧倒的個々の前では、逆立ちしたって敵いやしないのだから。
──誓いを全うする。それが俺が持てる唯一の誇りだ。
カイは柄を強く握りしめ、愛剣を見据える。
そう考え、ついに思いついたのだ。生成術の欠点を、ある程度は補えるかも知れない方法を。
悪魔に敗北してから、密かに練習してきたこの技を。
深く深呼吸する。心身を平穏にしてから、カイは流れるように剣を正面に構えた。
「《ラクエウス――」
呪文を紡ぐ。
「――――」
更に紡ぐ。
少しでは焦れば、これは駄目になる。ゆっくり、緻密に完成させなくてはならない。
そして――ある術式で呪文を括った。
「レイク・シュトルム》」
刹那、青白い刀身に
それを見て、カイは安堵する。
先程口にした呪文は、過去にカイが初等魔術の術式を
今でさえ、魔術には一切関心もないカイだが、入学してから一年間は魔術を必死に鍛錬していた。
その時に、威力と精度を極限まで求めた結果、完成したのがこれだ。
しかしその分、詠唱難易度は高い。魔術陣の描き方。呪文の紡ぎ方。精神の乱れ。
その一つでも乱せば崩壊し、もし暴発すれば自分の身が危うい。
ふぅと息を吐いて仕切り直すと、カイは全身にあらん限りの力を込めて、走りださんとした――瞬間。
「カイ……?」
「──ッ⁉」
突如、背後から聞こえてきた馴染み深い声に、カイは思わず強ばる身体を停止させようとした。
だが、一度力を加え、飛び出そうとした身体はそう簡単に止まるはずがなく、慣性に従うがまま、顔から思い切り地面に突っ伏すのであった。
ずざざ──っ! と、数メルトほど額を地面に滑らせて、やっと停止するカイの身体。
「あわわっ、大丈夫ーーっ⁉」
その様子を見ていた声の主──
「痛ってて……いきなり声かけんなっての……」
その場に座り込んで、額を擦るカイの格好は、酷い有様になっていた。
本来、清潔感のある硬派な制服の至る所が汚れ、膝や肘などが擦り切れて、鮮血が滲んでしまっている。
制服は修繕すればまだ良いとして、傷の方はノアも見逃せないらしく、更に慌てふためいてしまう。
「ご、ごめんねっ⁉ どっ、どうしよう⁉ とりあえず、急いで
「心配すんな、こんなのかすり傷だ。問題ない」
「私が問題あるのっ!」
そう頬を膨らませて、
多少大げさに想いながらも、観念したように嘆息を吐くと、ノアに身体を預けるのであった。
※ ※ ※
「…………」
「…………」
ひゅうっ、と。冷たい夜風がノアの頬を撫でる。
静寂。壁に背中を預けるカイと、その傍らに座り込んで施術を行うノアの間に、圧倒的な沈黙が支配していた。
無論、話題が無いわけではない。やっとつい最近、カイとのギクシャクしていた関係が回復したのだ。
積もる話は山程あるに決まっている。
でも、だからこそ──ノアは一向に押し黙るしかなかった。
治癒を続けながら、先程までカイが立っていた場所を一瞥する。
よく見ると、この暗闇でも
まるで、何かを強い力で擦られたような……
その正体は、すぐ分かった。
恐らくカイはここで何百回、何万回と、何年も前から剣の鍛錬を続けていたのだろう。
その踏み込みの跡が、今までの苦労を物語っていた。
「…………」
黒く汚れる石畳から視線を外し、ノアは神妙な表情で目を伏せる。
──互いに大切な記憶を失い、今まで築いてきたかけがえのない彼との記憶。
例えそれが、記憶解明の糸口にならない蛇足だったとしても、私は決して、この日常が無駄だとは思わない。
だって、カイと過ごす毎日は、どれも充実していて、一緒にいるだけで、心の中で何かが満たせているようだった……
……だからこそ、カイの全てを分かったつもりだった。
自分だけが孤独した世界の中で、たった一人だけの彼の理解者であるつもりだった。
でも、それは全くの思い違いだった。──本当は、何も分かってなどいなかったのだから。
カイは隠れた努力家だ。
グラーテ魔術学園に入学してからの一年間は、誰よりも熱心に魔術学に
放課後まで学園に残って、魔術学書を読み漁っていた彼の姿を、ノアは陰ながら見守っていた。
その様子はまるで、何かに取り憑かれている様に──否、まるで何かの信念に突き進まんとするかのようだった。
だがある時。
二年次になると、その熱意は嘘のように冷めてしまった。魔術に一切の関心や興味を持たなくなり、努力家としてのカイは消えたと思った。
だがそれでも、生成術の修練だけは愚直に止めなかったのだろう。
きっと、それだけが私を護れる最後の術だったから。
残されたカイ・フェルグラントとしての『力』だったから──。
ずきり……心臓の奥深くが、耐え難い苦痛に襲われ、ノアは胸元を握り込む。
──それほどまでに、カイは専心に尽くしてくれていたのに。
カイが苦しみ、悩み、絶望している間に、自分は一体何をしていた?
その答えは、呆れるくらいあっさりと出た。
彼の変化に落ち込んで、見てみぬフリをしていただけだ。
臆病な余りに、彼の心に歩み寄ろうとしなかった。その真意に気付けなかった……。
──私がもっと、カイを観ようとしていれば。
──私がもっと、カイの心を読めていれば。
──カイに寄り添い、もっと早く支えようとしていれば。
「うっ……っ……うぅ……」
気付かぬうちに、瞳の奥の熱いものが、止めどなく溢れてしまっていた。
哀しみ、悔しみ、罪悪感……入り混じった感情が、ノアの胸中に充満して、勢いよく涙となって滴る。
「ごめん……なさい……私が、もっと……ちゃんとしていれば……っ」
──カイがこんなに苦しむ事もなかったのに。
今更、自分に謝罪をする資格なんてない。そう理解していても、どうしようもなかった。
カイはそんなノアの様子を、呆気に取られてように見ていたが、やがて目を細めると……。
不意に、心地よい温もりがノアを包んだ。
カイがノアの身体をずいっと寄りかからせて、片腕で頭を包んでいたのだ。
「ばーか。なに泣いてんだよ……」
発せられたその声は、普段と変わらぬ口調だったが、声色は普段より何倍も優しかった。
そして、まるでノアの心の内を見透かしたように、言った。
「……別に、俺は今の境遇に何も思っちゃいねぇよ。それに、もしもお前が寄り添おうとしてくれても……あの頃の俺ならきっと、それを拒絶してた。
寄り道はしたかもしれない。
でも、これで良かったんだ。元はと言えば、約束を破ろうとした俺が悪いんだからな。
ノアが責任を感じることはない」
カイは慰めるように頭を擦って、続ける。
「それにさ、最近思うんだ。この持ちつ持たれつの関係は──『運命』なんじゃないかって。
まるで、ずっと前から……俺は、ノアを護るために居るみたいに。
だから今では、この『誓い』を誇りだと思っている。こんな俺みたいな奴が背負うには、荷が重いとは思う……でも、名誉ある誇りだ。
この先ずっと──この日々を無駄だとは思わないし、あの日の約束を悔やんだりしない。
……ノアもそうだろ?」
「……っ」
こくりっ、と。
もう大丈夫みたいだな……カイは心中でほっと胸をなでおろす。
明日は魔術強化合宿なのだ。
速く寝た方が良いのだが、気持ちよさそうに寄りかかってくるノアを、剥ぎ取るわけにもいかない。
──合宿中、何もなけりゃ良いんだが。
胸中に渦巻く僅かな懸念を、ノアにバレぬよう必死に押し殺して。
カイはふと、そんな事に思いを馳せるのだった──。
※ ※ ※
奇しくも、それと同時刻。
誰もが寝静まり、家灯が灯るはずもないグラーテの家群に、一つだけ眩く発光する場所があった。
──グラーテ北区。通称、富民区と称される場所である。
豪奢な建物が立ち並ぶ路地の最奥──他の建物とは一目置いた、
何を隠そう、そこは聖堂教会に仕える名家の一つ──リーネット家が住まう屋敷なのだ。
そんな豪邸の一室。その家の一人娘であるアン・リーネットの自室にて。
「~~~~~~~~ッ!」
ひとしきり両足をばたつかせると、やがて気力尽きたのか、脱力したようにその場に座り込む。
そしてがくり、と。嘆息を吐いてうなだれるアンリ。
「はぁ……何で、あたしはあの時、あんなこと……」
顔が熱い。思い出すだけで死にたくなる──
謎の胸騒ぎが酷くなるにつれ、どうしてもあの日……あいつを慰める為に、抱擁した時のことが脳裏にチラついてしまうのだ。
──何であの時、普段なら決してあり得ない行動をしてしまったのか。
アンリの頭に先程からそんな疑問が浮かぶが、正直、よく分からないのである。
何故ならあの行動は、ほとんど衝動的なものなのだから。
ただ、眼の前で
──そ、それでも……殿方の顔をむ、胸に押し付けるなんて……。
顔が熱くなる。恥ずかしくてたまらない。
「~~~~~~~~~~~ッ!」
枕に顔を埋めて、アンリは再び声にならない悲鳴を上げる。
……いや、こんなので取り乱してはいけない。
魔術士にとって精神を常に安定に保つことは、基本中の基本だ。
魔導士にはどんな状況にも、動揺しない屈強な精神が何よりも大事だというのに。
こんな
──そうよ、しっかりしなさいあたし!
誓ったじゃないか。
夢の為に、魔術に生の全てを捧げると。
魔術士にとって精神を常に安定に保つことは、基本中の基本だ。
どんな状況でも、決して動揺しない屈強な精神が、魔術士にとっては何よりも大事だというのに。
──そうだわ。こんな
心の中で喝を入れながらも、それでも精神が乱れてしまう自分自身に、そろそろ嫌気が差してくる。
傍目から見れば、ころころと表情が移り変わり、さぞかし
「はぁ、はぁ……少し頭を冷やそうかしら……」
脱力しきったようにベッドを降りる。
クローゼットの防寒着を適当に羽織って、アンリは自らの背丈ほどはある大窓を開けて、バルコニーへ出た。
途端、夜風の冷たい息吹が防寒着をも貫通してくるが、羞恥心で火照った身体を冷やすには、丁度良い。
見上げれば、奥深い
アンリはふと、神妙に星空を見つめながら、物思う。
──明日は魔術強化合宿ね……。
もうどうしようもない事だと自覚はしているが、それでも肩を落とさずを得ない。
本来の魔術研究圏で行われるはずの授業は、どれもそこでしか出来ない独自の強化訓練が組まれていた。
そもそも、今回の合宿はより良い魔術士を養成するための行事なのだから、当たり前なのだろうが。
だからこそ、そこでの時間は魔術士にとって、掛け替えのない有意義なものになったに違いないのだ。
魔術士として何段も成長できる、絶好の機会だったかも知れないのだ。
また夢に遠ざかってしまう。そう考えればうなだれるしかない。
だが、学園側もそれを考慮して、
魔導遺跡探索に、スィートによる特別独自授業……そして、海。
後者に関しては妙な口約束をしてしまったが、中々に興味を惹かれてしまう。
オーシェンであっても、魔術士としてまた成長出来るかも知れない。
それはそれで良いかな……と、アンリは明日の合宿を心待ちにしつつも。
不思議とその
「お兄様……」
不意に少女が
──そうして。各々が様々な想いを胸に。
遂に、二泊三日の魔術強化合宿が始まった──。
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