Episode22 ~騒がしい一幕~

 そうして。

 昼休憩が終わり、何処からともなく予鈴の鐘が校舎に響く。

 騒いでいた生徒達もしん、と静まり返った──そんな教室にて。


「残念な知らせだが、来週行われる《魔術強化合宿》の行き先が急遽、北エリア魔術研究圏から、南エリアのオーシェンに変更となった」


 教壇に登ったスィートが、開口一番、淡々とそんな事を告げた。

 案の定……というか当然だが、学園側がつい最近、襲撃された危険極まりない場所へ赴くのを許すわけがない。

 頭の固い学園上層部にしては、極めて賢明な判断だといえた。


 ──などと、事の真相を知っているカイだからこそ、皮肉混じりに諦めきれるのだが。


「えー、何でですかっ!」


「研究施設の見学が合宿の醍醐味じゃないですかーっ!」


「そんなのあんまりっすよッ!」


 生徒達はそうもいかないらしく、椅子を蹴って立ち上がり、次々と抗議の声を上げ始めた。

 カイが件の事件を知れたのは、アンリのつてがあってこそだ。号外も出てない情報を知る由もない。


 感情的になり過ぎな気もするが、それも仕方がない。なんせ、場所が場所である。

 ……北区画エリアの魔術研究圏といえば、魔術士ならば知らぬ者はいない程の名所だ。

 一方、最先端の魔術研究を行う組織だけあって、関係者以外は立ち入りを禁止、その素性は完全な極秘。

 生徒達にとっては、未知の境地そのものなのだ。


 しかし、名立たる魔術学校の中でグラーテ魔術学園だけが、見学許可が下りている。

 最先端の魔術研究を我が眼で観察し、己が魔術の真理を問いただし、魔術士として更なる成長を遂げる──それが、《魔術強化合宿》の本来の目的といっても過言ではない。


 日常では決して経験できない、恐らく人生に一度しかない貴重な体験を、今まさに潰されたのだ。

 生徒達にとっては、まさに青天の霹靂へきれきだったであろう。


 事実──不意に、カイは視線を横流しにする。

 ノアが残念そうに目を伏せている……その奥。

 そこには、教室内の騒動に目もくれず、絶望に打ちひしがれているアンリの姿があった。


 ──こりゃまた、分かりやすく落ち込んでるな……。

 他の生徒のように逆上しない辺り、まだ大人なのだろうが。

 ふと、カイの脳内に普段の学園にいる時の彼女が、脳裏によぎる。


 アンリは、はっきり言って天才だ。

 魔術士見習いにしては異常な魔力保有量マナ・キャパを誇り、純度も高く、起動速度は他者の追随ついずいを許さない。

 まるで、魔術を極めんとすべく生まれ付いたような、天秘の才。


 それ故か、普段のアンリはどんな魔術もあっさり成功させてしまう。

 汎用魔術の習得も苦戦はしたようだが、一度身についてしまえば、そこからの進化は凄まじく速い。

 だからこそ、あまり魔術への関心は浅いように見えてしまう。


 しかし、呪文起動イニシエイトには、術者の精神面が大きなかなめになる。心の内の感情を表すものだと言っても良い。

 魔術をただの作業や道具だと思いながら鍛錬を続けたって、いつまで経っても上達するはずがない。


 それこそ他の者に負けず劣らずな魔術に対する根深い追求心と熱意がなければ、魔術をより高みへ開花させることなど不可能。

 ──この学園に通う生徒達は、誰しもが己が魔術に絶対の自信を持っている。それこそ、毎年優秀な魔導士が排出される要因なのだろう。


 ならば、学年で一番魔術の腕が立つ彼女なら、尚の事。

 感情に出さずとも、アンリは魔術研究圏の見学を密かに心待ちにしていたに違いない。


 あとで友達として、一つ慰めてやろう──。

 カイは気の毒に思いながら、ざわめく教室を眺める。

 すると、生徒達から度重なるブーイングに耐えかねたのか、スィートが頭が痛そうに嘆息を吐く。


「……全く。当日伝えるつもりだったが、しょうがないか……

 悲願に暮れる君たちに追報だ。実は今回、グラーテ魔術学園の特権として、合宿中だけ南区画エリアの浜辺一帯を貸し切りにして貰えることになった。

 予定していた強化訓練も行えなくなる分、自由時間が増えるだろうからな。その間は好きに遊んでくれて良いそうだ」


『おおおおおおおおおおお──ッ!』


 途端、その言葉を契機に生徒達が沸き上がった。

 なるほど……カイは人知れず、学園の配慮に感嘆する。

 そう。浜辺──即ち、海だ。


 南区画エリアの市街地《オーシェン》は、海に面した扇状地に造られた街である。

 それ故に魔術式水農業など、主に第一次産業を主軸に発展してきたのだが……今はそんな事はどうでもよく。


 恐らく、グラーテ魔術学園に在籍する生徒のほとんどが、実際に海を見たことがない。無論、カイとノアも然りだ。


 理由は単純明快たんじゅんめいかい

 東区画エリアは、他区画エリアに囲まれた区域──周りは広大な草原や森林、山々など大自然が広がるばかりなのである。


 そしてグラーテは、大陸の中心に位置するという立地からか、それなりの名高い中流貴族が多く住まう街でもある。

 ほとんどの家庭は、日々多忙で遠出する暇などないのだ。


 事実──カイを保護してくれたエルネスト家も仕事柄、家を留守にしている時の方が多いのだから。

 それほどまでに、生徒達にとって海とは、魔術研究圏に匹敵するほどの憧れの的であり──。


 スィートの言葉は、そんな好奇心を刺激するには十分すぎた。

 見れば、瞳を輝かせて、海というまだ見ぬ秘境に心躍らせる生徒が続出であった。


「海なんて、始めていきますわ……」


「私もっ! すっごく楽しみっ! どんな所なんだろー」


「私、凄く綺麗なところだって聞いたー!」


 女子生徒陣から、そんな和気藹々わきあいあいとしたかしましい会話が聞こえてくる。

 どうやら女子たちの心を見事掴んだらしい。


 気付けば、抗議の声はすっかり止んでいた。

 一方、男子の方はというと。


 だんっ! 突如、男子生徒の一人──ロインが椅子を蹴って立ち上がった。普段から、ムードメーカーでいつも男子生徒の中心的存在である。

 ロインは机に足を付いて、喜びを噛みしめるが如く握りこぶしを掲げる。


「それならオレは、南区画エリアでも全然構わないぜッ! なぁ、お前らッ⁉」


「ああそうだッ! このクラスは女子のレベルが高いからなっ! 何と言っても……」


「海だろっ⁉ それって女子達の水着が見放題ってことだしなッ⁉ 最高じゃねぇか⁉ 何と言っても……」


「「「──このクラスには、アンリが居るッ!!!」」」


「えっ⁉」


 ばっ、と。そんな掛け声と共に、クラス中の男子達の視線が一瞬にして、一斉にアンリに向けられた。


 酷く落ち込み、絶望の渦中にいる当の本人は、そんな余談など聞いているはずもなく──。

 突然の出来事に驚きを隠せず、アンリはただ引きつった微笑みを浮かべるしか無い様子だった。


「えっと……その……」


 眼を泳がせながら、一向に言葉を詰まらせるアンリ。


 いつの間に慣れすぎてすっかり忘れていたが、アンリは普段から優等生の仮面を被って生活している。

 そういえば、確かに他のやつに本性を表している所は見たこと無いな……

 カイはそう思いながら、改めて親しくなる前──本性を隠していた彼女の風貌を思い出してみる。


 傍目から見れば、気品溢れる優等生。

 容姿端麗、才色兼備、日々周囲に愛想を振りまき、いつぞやに聞いた噂によれば隠れたファンクラブすら出来ているらしい。

 それはもう『女神様』などと慕われるほどに。


 ──さて、この危機的状況……女神様はどう返してくれる……?

 頬杖を付き、悪戯っぽく笑みを浮かべて、カイは事の行く末を見届ける。


 助け舟を出してやりたい気持ちは山々なのだが……生憎あいにく、普段から男子たちに敵意を向けられている分、迂闊うかつに大胆な行動が取れないのだ。


 ……決して、普段強く当たられてる報復とか、面白そうだからとかではない。決して。

 そして、何もかもが停止したような──一瞬の静寂を経て。

 少ない時間で思考を終えたアンリが、苦し紛れの女神スマイルを浮かべたのだった。


「はっ、はい。そうですね……」


 ……と、頷いてしまった。


「ぶふっ……ッ⁉」


「ア──ッ⁉ ……カイさん? どうしたんですか、小刻みに震えて。医務室に言った方が良いんじゃなくて?」


 アンタ何笑ってんのよ──という言葉を何とか飲み込んで、アンリは無理やり笑顔を浮かべて、取りつくろう。

 カイに向けられた笑顔はとても輝かしく可憐で、その反面、裏に秘められた闇もずいぶんと深そうであった。


 あ……死んだ……。

 形容できない恐怖が背筋を走り、カイは死を察した。



「ちょ、ちょっと本当に良いの⁉ 今さっき、水着を着るって宣言しちゃったんだよッ⁉」


「えっ⁉ 何その話っ⁉」


 珍しくノアが表情に動揺を色濃く浮かべ、親友へ詰め寄る。

 ようやく質問の意味を悟り、面食らうアンリを他所に。

 それに目もくれず、男子たちの面々は眼福の喜びを分かち合う。

 歓喜に湧き上がる男子たちに対して、引き気味な女子生徒の面々。


 キモい──。

 その時、クラスの女子生徒全員の思考が、哀れにも一致した。


「…………はぁ」


 歓喜、軽蔑、混乱──様々な感情がせめぎ合う、正しく混沌カオスの渦中に陥った教室内の教壇にて。

 スィートは痛ましそうに頭を抱え、重いため息を吐くのであった。

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