2章 魔術強化合宿
Episode21 ~不穏な予感~
かつて──今歴から約三年ほど刻を
膨大な自然と人々の活気で、満ち溢れていた
その甚大な被害は凄まじく、大陸に住む約四分の一の人民が行方不明。
その他、計測が困難なほどの人数が死に絶えた前代未聞の大災害である。
三年の時を経て大分体勢を立て直してきたものの、まだ厄災の余韻は人々の心深くに根付いてしまっている。
そんな中──突然、央帝政府が『魔術技術の義務教育化』を打ち出した。
更なる魔術の発展と技術浸透を期して、東エリアと南エリアに新たな魔術学校が設立されたのだが──。
南エリア
そして東エリアの縁付近に設置された、オーシェン魔術学院。
魔術が義務教育化した今、魔術は戦争の道具としての側面を持ちながらも、新たな技術として確立されてきた。
しかし、今や名を
一方、旧くから名誉たる魔術士を出し続けてきたグラーテ魔術学園は、いわば、優秀な魔術士を育成する為だけに開校された軍事施設であり──カリキュラムもそれに伴った内容となっている。
そんなグラーテ魔術学園が、軍人教養施設たらしめる独自の行事──それこそが、魔術強化合宿である。
※ ※ ※
かのグラーテ魔術学園を襲った
決して世に流れなかった、人知れずの事件から、しばらくは
……だが。
その日は、いつも通り、何ら変わらぬ一風景であった。
大窓から空を仰げば、小鳥が
そんな、何ら取り留めのない穏やかな日常。
「──北エリアの研究施設が襲撃されたっ⁉」
……その雰囲気をぶち壊すように、突如アンリに切り出された物騒極まりない話題に、カイは素っ頓狂な声を上げてしまった。
そんなまさか──頭を押さえるカイの表情に、
「あたしも今朝、お父様から聞いて驚いたわ。本当は言っちゃ駄目なんだけど……まぁ、何とも無関係とも言えなくってね……。
どうにも最近、【魔術研究圏】の研究施設が、何者かに襲撃されたみたい。
犯行は最も人目が少なくなる深夜で一気に……とても、人間業じゃないそうよ」
いざその場に直面せずとも、容易に想像できてしまう残酷な惨状に、アンリの顔が忌々しそうに歪む。
北エリアの左沿いに位置する深い森林。
そこに隠れ潜むように魔術研究施設が密集しているのが、魔術研究圏である。
自然の息吹が溢れるそこは天然マナが豊富で、魔術研究に非常に都合が良いのである。
そういった事情で外界から隔絶された地圏とはいえ、圏内にはあらゆる魔術的警備システムが敷設されているはずなのだ。
広範囲結界陣、ゴーレムによる自動徘徊に門番、張り巡らされた
咄嗟に思いつく限りでも、魔術を応用した警備システムなんぞ、とても計り知れない。
その全てに対策し、潜入するのは困難を極めるどころの難易度ではないはずだ。
しかも、大陸最大の研究施設である──警備システムも最高位なものに違いない。
そんな重錠要塞とも言えよう魔術研究圏が襲撃された。
しかも夜間の内という、極めて僅かな時間帯で。
ありえない。ありえるはずもない。
もしそうならば、グラーテ魔術学園の事件が霞んで見えるほど、世紀の大事件だ。
──いや、あるいは。もしかしたら……?
まだ半信半疑なカイの心情を汲み取ったのだろう、不意にアンリがずいっと距離を詰めて、
「……気持ちは分かるわ。あたしだって完全に信じてるわけじゃない。
けど、この学園も他エリアの魔術学校と比べれば、何倍も警備は厳重よ。
それでも、襲撃してきた人が居るでしょう?」
「……ッ」
その言葉に、カイは思わず息を詰まらせる。
それは──敢えて触れてこなかった。否、考えたくなかった……一つの懸念。
普通ならば、魔術研究圏を襲撃できる奴らなど居るはずもない。そんな
そう……僅か二週間前のグラーテ魔術学園に在籍する誰もが、同じような事を思っていただろう。
この学園の警備システムは万全だ、と。
そんな状況下で、その常軌を逸した行動をいとも簡単に遂行し、成し遂げてしまった者を、カイはよく知っている。
即ち──。
「悪魔……」
虚空に溶けたその呟きは、微かながら震えていた。
当然だ。カイは一度、件の悪魔と真正面から刃を交え、そして完膚なきまでに敗北し、殺されかけたのだから。
思い返すだけで、かつての恐怖が背中を這いずる。
悪魔──
かの事件において、グラーテ魔術学園にいとも容易く侵入した悪魔は、ノアを連れ去り逃亡。
突如現れた《空挺軍》アデル・レーヴェンの助けもあり、何とかノアを救出することが出来たのだが。
まさか、こんなに速く次の行動に動けるとは思っても居なかった。
失態したことで少しの間だけでも、大人しくしていると思ったのだが、あのくらい恐れるに足らないと──。
──いや、待て。
あの悪魔、何か妙なことを言って居なかっただろうか。
確か、これは任務だとか……。
「どうしたの、二人共」
途端、馴染み深い声がカイの耳に届いた。
どうやら、お手洗いへ行っていたノアが戻ってきたらしい。カイとアンリの異様な空気を感じ取り、僅かに眉を潜めていた。
カイは思考を一旦棚に上げて、伏せていた視線を彼女へ送る。
「……ノアも知ってるだろ。北エリアの魔術研究圏。そこが、何者かに襲撃されたらしい」
「えっ⁉ それってもしかして、あの悪──」
「だあああああああ──ッ⁉ バカ、声が大きいッ!」
禁句を口走りそうになるノアの言葉を、カイが慌てて制する。
そしてすぐに失言だったと、ハッとしながら押し黙る。
……最早、さっきまでの緊迫とした空気感は、一人の少女によって見事に瓦解されていた。
緊張の糸が
「……俺が思うに、今回の騒動にあの悪魔は関係ないかも知れない。
奴は、ノアの誘拐を『任務』だと言っていた。
つまり、奴にペンダントの回収を命令した誰かが居るってことだ……そう考えれば、裏に何らかの組織が潜んでいる可能性がある」
その提示に、正面に腰掛けるアンリが机に両肘を付き、手を組んでそっと顎を添える。自慢の紅髪が机上に艶めかしく垂れ広がる。
「へぇ……じゃあ、何? 今回動いたのは、その組織に居る別の悪魔ってこと?」
呆れたような視線に、カイは何処までも真摯な表情で応じた。
「ただの憶測だ。こっちからしたら、別の悪魔じゃない方が嬉しいんだがな……もしかしたら敵は、俺達が想像していないくらい、巨大な組織なのかも知れない」
なにせ、グラーテ魔術学園と魔術研究圏、二つの襲撃という異常じみた
小規模な組織では、決して為せるはずがない。
まあそれこそ、国一つを掌握できるような組織でなければ。
──それに、と。カイが人知れず目を伏せる。
何よりも気がかりなのは、奴らの目的だ。
悪魔達の目的は、何故か知らないがノアが所有するペンダントの回収なのである。
どうやら、初めて出会った《あの日》からいつの間に持っていたというペンダントは、一見、白光を放つ
そんな
国の最高軍事基幹である《空挺軍》さえも動くあの片晶には、一体何が隠されているというのか──。
「……ちょっと、何アンタさっきからノアの胸ばっか見てんのよ……」
「へ……?」
気付けば。
すっかり思考に浸っていた意識を視覚に向ければ、アンリから呆れ切った様な半目を注がれていた。
恐る恐る、状況を整理しようとする。
確かに今現在の視線は──ノアの胸──正確には、服の中に押し込まれたペンダントが、恐らくそこにあるであろう胸元に向けられていた。
どうやら、思考と共に思わず視線もそっちに寄ってしまったらしい。
──心なしか、先程よりも距離が遠くなっている様な気がするのは、眼の錯覚と思いたい。
アンリの様に直接的な嫌悪を向けない分、彼女の優しさには感極まるばかりだが、今のカイにはその気遣いが余計に辛い。
「ちょ、ちょっと待てっ⁉ 俺は別に──」
あらぬ誤解を解くため、先程の真剣なまでの表情は何処へやら。泡を食ったように弁解を述べようとしたカイに──。
「ふふっ」
突然、ノアの弾けるような微笑みが、その言葉を制止させた。
何故いま笑ったのか、いまいち状況が掴めないカイと、割りとマジでドン引きしていたアンリと。
両者の視線が、不思議と蒼髪の少女へ集まる。
すると──今度は突然、ぺこりと頭を下げた。
「ごめんね。少し場を和ませたくて乗っちゃった。
だって、カイがその表情をしてたから……だって、カイってば私の事を考えている時は、決まって難しい顔になるんだもん。
……頼りないかも知れないけど、何でも私に頼っていんだよ? できる限り、カイの力になるから──それが、私の使命でもあるんだしっ」
どうやら、こちらの胸の内は全て筒抜け、読まれていたらしい。
何故か、ノアとのギクシャクした仲が回復した日から、どうにも感情が前より表に出てしまうようであった。
恐らくは、長年自分を
──やっぱり、ノアには色々と敵わないな……。
そんな事を思いながら、カイは観念したように苦笑した。
「分かったよ、確かにノアのペンダントの事を考えてた。
……それに、何かあったらすぐ相談するって。もう何も隠し事はしねぇよ」
※ ※ ※
傍から見れば、カイとノアの会話に秘められた本筋は全く分かるまい。
それこそ、何か強固な絆のようなものに繋がれた、二人以外には。
──事実、正しく傍目の存在であるアンリには、その意味までは理解し得なかった。
だが、これだけは分かった。
恐らくは、喫茶店でカイと離れたあの日──二人に何かが有ったのだ。
それが何かは分からない。が、崩れかけていた仲を再び繋ぎ、更に進展んさせるような事態が有ったに違いない。
──敢えて詳しい詮索はしないけど。
それこそ二人が……何処か遠くの存在になったと疑ってしまう程に。
改めて、アンリは二人が過去に記憶崩壊しているのを疑ってしまう。
魔術的に言わせれば、記憶崩壊──即ち精神崩壊は、生命の魂に関わる受傷だ。
過去の
魔術士にとって精神に関わる障害は、それほど危険視されている。
だというのに、二人はとてもそうには思えない。
──むしろ、何かの絆で繋がっている様な……。
以心伝心を人で表すならば、あの二人に違いない。だから深く語らずとも、互いの事が分かってしまう。
「…………」
そんな事を思いながらアンリは、眼前の二人を、何処か遠巻きに見つめて。
ズキリ……。ここ最近、妙に起こる胸騒ぎを押し殺しながら。
人知れず、
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