Episode13 〜悪魔の陰〜

「さぁ、こちらも始めるとしよう」

 

「……何をするつもりっ」

 

 両手を広げ、僅かに口角を釣り上げる不審者に、ノアはより一層、警戒と怒りを込めて睨みつけた。

 それを物ともせず、黒と紅のオッドアイでノアを睥睨へいげいしながら応じる。

 

「さっきも言った通り、お前からペンダントを引き剥がす」

 

 急いでいるのか、あるいは元よりノアの心情など気にしていないのか。

 不審者が黒い影がまとわれた手でペンダントをかざし、再び奇妙な呪文を唱えようと──。

 

「……一つ、約束して」

 

 ノアは乾き切った口で、何とか言葉を紡いだ。

 

「私のペンダントを奪ったら、貴方はカイに危害を加えたりしないの。大人しく帰ってくれる?」

 

 それは、ノアなりの精一杯な懇願だった。

 確かにペンダントが奪われるのは嫌だ。

 記憶になくとも、実の母親の形見なのだ。

 それを無理やり奪われるなんて、嫌に決まっている。

 

 でも……それでも。

 これ以上カイに迷惑がかかるのは、もっと嫌だ。

 既に命の駆け引きは始まっている。今や、カイとアンリの生き死には不審者が握っているといっても過言ではない。

 

 今更、何もできない自分が抵抗して何になる?

 二人に何かあってからでは、全てが遅すぎる。

 それで二人の命が確実に助かるのなら、ペンダントなんて、安いものだ。

 

 ノアの決死の申し出に不審者は、うんともすんともする訳でもなく、ただ淡々と告げた。

 

「……あのガキ共を生かすか殺すかは、お前次第だ。

 だが、任務が達成できれば、わざわざお前らと戦う理由もない。

 その時は大人しく身を引こうじゃないか」

 

 案外素直に了承してくれ、少しばかり拍子抜けしてしまう。

 心の準備をする暇も与えず、再び不審者の手がペンダントにかざされた。

 

「始めるぞ。少し痛みを伴うが……我慢しろ」

 

 ──痛みを伴う?

 不安を煽る言葉にノアが、咄嗟に問い返そうとした瞬間。

 亀裂が走ったように黒い影がペンダントを侵食し──。

 ドクンッ‼ 心臓が大きく跳ねて、ノアの表情が驚愕と共に歪んだ。

 

「──ッ⁉ なっ、これ……⁉ くぅ……うぅ……ッ⁉」

 

 想像を絶する苦痛に息をするのも忘れ、拘束された手足の指にぎゅっと力を入れる。

 ……少し、どころではない。

 全身に電撃が走るような激痛は、鋭利な熱を含んでおり、身体を焼き焦がしていた。

 

 ──これ、外傷を負う様な類いの痛みじゃない……ッ⁉

 もっと内心的な、まるで魂そのものを傷つけられているの様な感覚。

 

 ノアは口を噛み締め、悲鳴を上げそうになるのを抑えるしか無い。

 反射的に苦痛から逃れようと、身体が右へ、左へ、はたまた上下にのけぞって身悶える。

 その度に、手足にめられた鎖が冷たき唸りを上げるばかり。

 

「おっと、余り動いてくれるな。

 ペンダントを守護する儀式術は、お前の魂の奥深くまで、まるで蜘蛛くもの糸を張り巡らすように及んでいる。

 それを俺の影で強引に差し開けるんだ。痛みはすると思うが、耐えろ」

 

「……ッ、この、痛みを……耐えるッ⁉」

 

 冷酷無比に淡々と告げられ、ノアはこれまでにない絶望に叩き落された。

 だが、打ちひしがれる暇も与えてくれないらしく、その間にも激痛の荒波は、絶え間なく押し寄せてくる。

 

 視界が激しく明滅めいめつする。世界がモノトーンに染まったり、また戻ったりと、世界が異常な変遷へんせんを繰り返す。

 既に、ノアの心身は忍耐の限界を超えてしまっている。

 いつ意識が刈り取られてもおかしくなかった。

 

「もし、下手に動いて失敗すれば、お前の魂は傷つき──最悪、マナが暴走して人としての生命力を欠如する可能性もある。

 ……それが嫌なら、ひたすら耐え抜く事だ」

 

 口を動かしながらも、不審者は真摯にペンダントを見据えている。

 どうやら文字通り、全神経を儀式術の解除イレイズ作業に注いでいるらしかった。

 

「……ッ! うっ……ああっ……⁉」

 

 時折訪れる激痛の高波に、悲鳴が漏れる。

 ──この地獄の連鎖が速く終わってほしい。

 そんな淡い希望を胸に、今はただ、幾度となく襲ってくる苦痛に耐えるしかなかった。

 

 

 どれくらいの時が流れたのか。

 僅か十秒足らずでも、ノアにとっては数十分に思える。とうに時間間隔など狂っているのだろう。

 しかし、畳み掛ける激痛に苛まれながらも、ノアは何とかかすみがかる意識を紡いでいた。

 

 カイ達は自分のため、決死に覚悟で戦ってくれている。

 それに比べれば、この程度の痛みどうとでもない、と。

 しかし身体の方は、繋げられた鎖に支えられ、叫ぶ気力も尽き、薄く喘ぐのみだったが。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……?」

 

 すると。

 不意に、押し寄せる激痛の荒波が、突如ピタリと止まった。

 どうしたのかと、ノアが閉ざしていた双眸を半目にして不審者を一瞥すると──。

 

 それはほんの一瞬。

 有ろう事か、あの冷酷非情の悪魔が、僅かに眉をひそめている様に見えたのだ。

 その紅眼には、今までの猛烈な殺意や威圧感が嘘みたいにない。

 何か慈悲の様なものを向けている……そんな気がした。

 

 言うなれば、今の不審者の様子は、まるで──。

 

「……まさか、同情してる、の?」

 

「……気のせいだ」

 

 問いかけに、変わらず素っ気なく否定する不審者だが。

 ノアは何かを悟った。

 それが何なのかは分からない。だが、恐らく不審者の本質があるとするなら、そこだ。

 

 やりようによっては、説得の余地があるかも知れない。

 胡乱うろんな感だけを頼りに、ノアは意を決して口を開いた。 

 

「もしかして、あなたは本当は優しい人なんじゃないの……?」

 

「……黙れ」

 

 短く切り捨てた途端、不審者がまとう殺意が一層強くなった気がした。

 ノアの方が気圧されてしまうが、同時に確信した。

 今確かに、逆鱗に触れた。やはり弱い部分はそこにあるのだ。

 

 息を呑み、一つひとつ言葉を選びながら、丁寧に紡ぐ。 

 

「私には分かる。さっき、あなたが向けてきた瞳には、慈悲があった。苦しむ私を心配してくれてたんじゃない? 違う?」

 

 ノアは今まで一年間、感情の起伏が乏しくなったカイを散々見てきた。

 それこそ、少しの表情の変化も見逃さないほど、その秘めたる心情を知ろうとしてきた。

 

 そんなノアだからこそ、不審者のつき入る隙に気付くことができたのだ。

 この好機を逃せば、説得は不可能。

 故に、ノアは有り余る勇気を振り絞り、おずおずと不審者の逆鱗に踏み抜いた。

 

「……何か、理由があるんじゃないの? なんで、こんな酷い事──」

 

「──黙れっていってるだろッ‼」

 

 その刹那。不審者が何かに耐えるように身悶える。

 今までの冷徹な風貌は何処へやら。

 息を切らし、酷く歪ませた顔を上げ──。

 

「ひっ⁉」

 

 ぎり、と。

 今までにないほど鋭利な眼光で睨まれ、振り絞った勇気が軽々しく吹っ飛んだ。

 ノアの全身がすくみ上がり、弱々しく萎縮してしまう。

 

 しかし不審者は、なおも苦痛に耐え抜くように頭を抱え、何かに反駁はんばくするかのように声を荒げていた。

 

「俺は……悪魔だ……悪魔なんだッ!

 無尽蔵な死体を積み上げてきた、正真正銘の悪魔ッ!

 そうだ……俺は悪魔、悪魔、悪魔だ……ッ!

 そんな俺が人間なんかに同情など、する訳が無い──ッ‼」

 

「きゃっ……あああああああああああああああああ──ッ⁉」

 

 ノアの身体から紫電が迸る。

 脳天を貫かんとする強烈な激痛に、悲鳴を抑えることも叶わず、そのまま意識を刈り取られるのだった。

 

「はぁ……はぁ……お前は、任務の障害になる。終わるまで眠っていて貰うぞ……」

 

 溢れ出る冷や汗を拭い、肩で息をする不審者の言葉を、当然返す声はなかった。

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