Episode12 〜剣の生成術士〜

 幽霊が怖い。

 世界の理に触れ、真理を読み解く魔術士たるもの──そんな根拠のない事象に畏怖いふしているのは、我ながら変だとは思う。


 もし学園の生徒達に知られれば、笑い者になるに違いない。

 だから、何としても感づかれてはいけない。

 ──こいつだけには!

 

 狭苦しい洞窟を進むカイに付いていきつつ、アンリはふと振り返る。

 光源はゆらゆらと揺蕩う魔術の光のみで、当然後ろまで照らせるわけではない。

 

 飲み込まれそうな暗闇に、背筋が冷たくなる。

 さっと視線を戻し、アンリは心の中で悲鳴を上げた。

 早く終われ、と。

 

 ふと、カイが何かに気付いた様に立ち止まった。

 見れば、奥の空洞から明らかに魔術とは違う光源が覗いている。

 ようやく終点に着いたらしい。

 

 魔術の炎を消し、アンリはカイと頷き合う。

 意を決して、二人は同時に眩い白光の中へ飛び込んだ。

 

 ──そこは、此処に来た理由がノアの拉致らちじゃなければ、じっくり見渡していたいくらい、幻想的で絢爛けんらんとした場所だった。

 

 同時に、アンリは素朴な疑問を浮かべずにはいられなかった。

 洞窟の中なのに、何故か光がある。もしかしたら、昼間の明るさと大差ないのではないか。

 

 その理由はすぐに分かった。

 ドーム状に掘られた空間の至る所には、青白く発光する巨大結晶が散見しており、それが洞窟の中をあます事なく照らしているのだ。

 

 正面に目を向けると、そこには──まるでアンリ達が来ることを察していたかの様に佇む不審者と、手足を拘束され、恥辱的ちじょくてきな格好をさせられたノアの姿があった。

 

 ぎり……と。

 カイの歯ぎしりする音が耳に届いた。

 今にも爆発しそうな憤怒を必死に堪えているのだ。


 怒りに飲まれてはいけない。

 感情的になっては駄目だ。

 それで打ち勝てるほど、生易しい敵じゃないのだから。

 

 恐らく、そんな理性がカイの逸る思考を冷静にさえているのだろう。

 アンリとて、親友が誘拐されたのだ。この上ない怒りがたぎるに決まっている。

 だが今、感情的に行動してはいけないのは、カイと同意見だった。

 

 ──彼我の実力差は歴然。

 それを少しでも埋めるには、やはり情報が必要だ。

 あのアンリを容易く負かしたという、謎の不審者の正体を。

 まずはとにかくなんでも良い。少しでも奴の情報を抜き出さねば。

 

 カイも同じ結論に至ったのか。

 一歩踏み出して、抑えきれぬ怒りがこもった声色で言った。

 

「お前は、何者だ。こんな事して何が目的なんだ……っ」

 

「……俺は悪魔。そうだな、貴様ら人間より遥か高位の存在である、とでも言っておこう。

 こちらの目的は唯一つ、この小娘が所持するペンダントだ。

 悪いことは言わん。命が惜しければ、即刻立ち去ることだ」

 

 悪魔。その奇妙な単語に、多少なりとも引っかかりはしたが──。

 それよりもペンダントが不審者の目的だというのに、アンリは驚かずにはいられなかった。

 前々から、実験授業の着替えの時、ノアの首からペンダントがかけられているのは知っていた。

 

 何で外さないのかいつも不思議に思っていたが……そのペンダントが、不審者の目的だというのか。

 

 確かに、見た目が魔成石ルーンに酷似しているがゆえ、何処かのぞくに目をつけられるかも知れない、という懸念は感じてはいた。

 

 だが、寄りにも寄って魔術学校の中でも最高峰の警備システムを誇るグラーテ魔術学園にテロを仕掛けるなど、ただの魔成石ルーン簒奪さんだつするにしては、規模が大きすぎる気がする。

 

 ──ならば、もっと違う理由が秘められているのか。

 アンリが更に思考を巡らそうとした途端、カイの声が緊迫とした空間に響いた。

 

「どうでも良い。俺達のやる事は変わらない」

 

 一歩、二歩、と。岩肌を強く踏みつけて、前に出る。

 その何気ない動作に、アンリは思わず対比的に後ずさっていた。

 何故なら、眼前で佇むカイの背中には、抑えきれぬ程の怒りの熱が滾っていたからだ。

 

 不意に、アンリは思う──。

 ノアは滂沱ぼうだするほど、カイと離れるのを拒んでいた。

 二人はどんな関係なのかは分からない。

 だが、それほどまでの深い絆があるのは確かだ。

 家族の様に大切な存在──いや、もしかしたらそれ以上か。

 

 そこまで大切な人を誘拐され、なおかつ悲しませたのだ。

 アンリだってもし、最愛の母親が病死ではなく、殺人だったならば、その犯人を決して許しはしないだろう。

 そう考えれば、カイが激怒するのも当然に思えた。

 

 それに、不審者が自ら行使する《黒い影》の正体を、白状するとも思えない。これ以上の詮索は、無駄だろう。

 

 カイもそう結論づけたのか、辛抱たまらず、対峙する者を気圧けおさんとする剣幕で叫んだ。

 

「──ノアを返して貰うッ!!」

 

 言いながら、なぜかカイは右足を踏み込み、左腰辺りにそっと手を添えた。

 その姿はさながら、剣士の鞘走り寸前の態勢のようだ。

 だが当然の如く、剣などそこにはない。

 

 アンリが頭上に疑問符を浮かべた──その時だ。

 

 何と、何処からともなく発現したマナ光子が漂い始めたのだ。

 いや──違う。光子にしてはマナの粒が大きすぎる。

 これは、粒子だ。

 

 やがて幾千は超えるであろう粒子は、螺旋状らせんじょうに収束すると共におぼろにシルエットを形成していく。

 柄、突起した剣客、すらりと伸びる刀身──シルエットだけでも、それが剣だと視認できる。

 

 そして。

 カイは朧な光剣の柄をそっと握り、勢いよく斜めに切り払った。

 シュワンッ! まるで結晶が滑った様な高らかな音が響き渡り──。

 

「なっ……」

 

 もう一度握られた剣を見た途端、アンリは自ずと唸っていた。

 一体いつの間に変貌させたのか。

 カイの右手に握られていたのは、先程の茫々ぼうぼうたる光剣ではなかった。

 しっかりと物体になった、一振りの長剣だったのである。

 

 青白く半透明に彩られた全貌。

 剣客は猛禽もうきんの如き両翼が左右に広がり、刀身は水のようになだらかで、巨大結晶の光を反射して神々しく煌めいていた。

 

 マナ粒子で紡がれた物であると知らぬなら、結晶で錬成されたと疑うほど、美しき長剣だった。

 

 思わず見惚れてしまっていた意識を戻して、アンリは咄嗟に口走る。

 

「ちょ、ちょっとアンタそれ……ッ⁉」

 

「アンリ! 言ったろ、詳しい説明は後だ。今は目先の敵だけに集中するんだ」

 

 否応なく言葉を制され、ハッ我に返り押し黙る。

 色々説明してほしいが、今はそれどころではない。詳しい事情を知るのは、無事ノアを救出し、グラーテに帰った後だ。

 

 すると、先程から神妙な表情でその様子を見据えていた不審者が突然、何かに得心したように、高々にわらい始めた。

 

「フッ、ククク……ハハハハッ!」

 

 一体何がそんなに可笑しいのか。

 天を仰ぎ、片手で顔を掴んであざける声が不気味に響き渡る。

 気味が悪くなり、アンリは肌が逆立つ両腕を抱くようにして擦った。


 一頻ひとしきり嗤うと、不審者が再びカイを睥睨へいげいする。

 

「そうか、生成術か……久しくお目にかかるな。まさか、まだそんな時代遅れな生成術士の生き残りがいたとは」

 

「ほざけ」

 

 文字通り短く切り捨てたカイが、数歩下がり傍らで立ち止まると、耳打ちしてくる。

 

「……アンリ、作戦通りに行くぞ」

 

「え、ええ……」

 

 頷きつつ、ふとアンリはここに来るまえ道中の会話を思い返した──。




「援護だけに徹してくれ?」

 

 作戦会議という名分の元、唐突にそう告げられたアンリは怖さも忘れて聞き返していた。

 それをカイは視線を正面に向けつつ、淡々と応じる。

 

「ああ、アンリは無駄に攻撃呪文ソルセリーを行使せずに、俺に強化呪文エンチャントを付与して、なるべく持続させてほしい」

 

 それはつまり、戦闘の邪魔だから援護だけをしてくれれば良い、という事なのか。


 生まれて初めて魔術士として馬鹿にされ、アンリは強い拒絶を示さんと、声を荒げて反駁はんばくした。

 

「何言ってるのよ! あたしも一緒に戦うに決まってるでしょ⁉」

 

「いや、駄目だ。相手は衛兵を倒せる程の実力者なんだ。

 それに奴が羽織っていたあのローブ、十中八九じゅっちゅうはっく魔術耐性の加護が付与されていると見ている。

 もし偶然、魔術を当てられたとしても、まともに傷を負わせられるかどうか……」

 

 確かに、カイの言い分はぐうの音も出ない程の正論だった。


 そもそも、アンリは一度為す術もなく不審者に倒されているのだ。

 同時に己が魔術が通用しない事も、身をもって知っている。


 カイが危惧きぐし、矢面やおもてに立たせたくないのは当然である……反論の余地がどこに有ろうか。

 

 でも、そうだとしても。

 カイだけを最前線に立たせてしまうのは、如何なる理由があろうと、アンリのプライドが許さなかった。


 故に、先程より強い意思をもって抗議しようと──。

 

「……正直、ノアを救い出すには、奴をどうにかして無力化するしかない。無血で終わらせるのは無理だ。やらなきゃこっちが殺されるんだからな。

 それほどの傷を負わせられるのは……多分、俺だけだ。

 それに、アンリには怪我させたくないってのもある。

 女の子なんだ。どんな事があっても、お前の身体に傷を付けさせる訳にはいかないんだよ。

 ……頼む。不本意だと思うが、信じてくれ」

 

 両肩を掴み、真摯に見つめてくるカイ。

 その顔に淡い灯火が影を落として、いつも濁っているはずの灰眼が、今は少しだけ輝いて見えた。

 

「……ッ」

 

 別人かと疑ってしまうほど、普段のカイとは違う雰囲気に、アンリは心の奥底で何かが熱くなる気がした。

 胸元をギュッと握りしめながら、息を呑む。

 

 ……不本意ではある。

 ノアを守れず無残にやられ、まんまとさらわれてしまったのは、紛うことなき自分の責任だ。


 あの時、あと少しでも時間稼ぎができていれば。

 衛兵のかたきだとかいう正義感に飲まれず、周りを警戒できていれば……。

 

 不意打ちを食らう事も無かったし、駆けつけたカイと共に、不審者を捕らえられたかも知れない。


 ──そうならなかったのは、あたしの失態。もっとしっかりしていれば、こうはならなかった……!


 故に、カイと同じ最前線ところで戦わねばならない。

 己の愚かさを償うために。

 

 ……そう思っていた。

 でも、それでカイの邪魔になってしまったら?

 これで無理強いして、ノアを助けられなかったら?


 己を力に過信したあげく、無残にもやられたばかりだというのに。

 分かっている、どうすべきかを。


 それがどんなに、不本意だって関係ない。

 どんな形であれ戦う。それこそが今、あたしが全うすべき責務なのだから。

 

「……分かったわ。で、あたしは何をすればいいの?」

 

 そんな熟考の末、アンリは重たい首を縦に振った。

 カイは珍しく笑みを浮かべて、ありがとう、と一言零し視線を正面へ戻す。

 歩きながら、早速説明を捲し立てた。

 

「アンリには、さっき言った通り俺の援護──つまり強化呪文エンチャントが途切れないようにしてくれ。

 次に、攻撃呪文ソルセリーによる牽制。これはお前のタイミングでしてくれていい。

 そして…………もう一つ。

 何があっても、くれぐれも動揺せず、奴を倒すことだけに集中してくれ」

 

「え? ええ……勿論」

 

「よし、作戦はそれだけだ。後は全て俺がやろう──」

 

 

 

 過去をさかのぼっていたアンリの意識が帰還する。

 珠玉の紫瞳しとうを細め、遠巻きに不審者を睨む。

 背後から溢れんばかりの殺意を感じさせる風貌に、足が竦んでしまいそうになる。

 一体、この威圧を受け止めてなお、直立できるカイは何者なのか。

 

 いや──違う。別に彼が特別なわけじゃない。

 ノアという大切な人の為に、命を賭す覚悟と決意がある。ただ、それだけなのだ。

 

 ──対して、あたしは?

 教室を飛び出した瞬間から、こうやって戦う覚悟はしたはずだ。


 なのに、未だに足を震わせる体たらくじゃないか。

 親友を、ノアを助けたいなら。カイと同等に渡り合いたいのなら。

 ──いつまでも震えているわけにはいかない!

 

 ふぅ、と。

 息を吐いて腹を吸えると、アンリは決然と不審者を見やった。


 数歩進んでカイの隣に並び、右腕を指先まで伸ばして、臨戦態勢をとった。

 

 闘志をむき出しにする二人に対し、不審者は涼しい顔で肩をすくませる。

 

「全く、どいつもこいつも血の気が多いな……貴様らに構っている暇などない。

 こっちも任務なんだ。失敗するわけにはいかないんだよッ」


 不意に両手を左右に広げ、掌を地面にかざす。

 やっとそれらしい行動を示した不審者に、アンリが身体を強張らせるが。


「なっ⁉」


 警戒はすぐに驚愕へと変わった。

 ゾオオ……ッ! おぞましい音を立てて、左右の掌に伸びる黒い柱。

 それはうねうねと生き物の様にうごめき、何かへと変化していく。


 ──人だ。

 影の集合体は、人体を模した姿となって不審者の左右に佇んでいた。


 黒く、禍々しい影で構成された小柄な体躯たいく。二体とも、右手には一振りの剣を携えている。

 恐らくこれも、影を凝縮して造ったものだろう。


「どうだ? 土人形クレイならぬ影人形シャドウってな。こっちの任務が終わる間、こいつらと遊んでるんだな」


 もう話すことは無いと言わんばかりに、悠揚ゆうようと紅ローブをひるがえす。

 何処までも舐め腐った物腰。

 流石のカイも忍耐の限界だったらしく、形相を変えて吠えた。


「誰が行かせるかよッ!」


 土煙を撒き散らせながら、カイが一陣の風の如く疾駆した瞬間。


「──やれ」


 まるでそれが合図のように。

 二体の人形が同時に動き、カイの行く手を阻んだ。

 突きつけられた切っ先は濃厚な闇を湛えているはずなのに、ギラリと冷たく光る。


「クッ……!」


 カイが足を止め、正面に剣を構える背中を見据え、歯噛みする。


 状況は二対二。

 一見、戦力が拮抗している様に思えるが、違う。

 何故なら魔術士であるアンリは、どうしても遠距離戦を強いられてしまうのだ。


 逆に近距離戦を強いられる生成術士は、人形の双攻撃を一人で捌かなければならない。


 よってカイにとってこれは、実質二対一。

 数の利が相手にあるのならば、迂闊うかつに突っ込むのは危険過ぎる。


 それに──アンリも教材で得た程度しか生成術を知り得ないが──生成物だって、無限ではない。


 攻撃呪文ソルセリーにしたって生成術にしたって、行使するにはそれなりのマナを消費するはずだ。


 ……持久戦は圧倒的にこちらが不利になる。

 カイも同じ結論にたどり着いたのか、隣にいるアンリに囁いた。


「俺が何とか隙を作るから、お前は片方の人形に攻撃呪文ソルセリーを打ち込め。もう片方は俺が殺る」


 心の奥底では、彼ならばそう提案してくると分かっていた。

 だが、いざ告げられたその言葉に、アンリは息を呑まずには居られなかった。



※ ※ ※



 恐らく、ずっと昔からこうなる覚悟はできていた。

 だって誓ったのだ。

 例え我が命をしても、必ずを守ると。


 その為に血眼になって努力してきた。

 外部保有という呪縛じゅばくに抗い続け、必死に成せる力を得ようとしてきた。


 そう。最初から。

 命を天秤にかけてまで、カイを突き動かす想いは一つしかない。

 たった一人。契りを交わした大切な人を守るために──ッ!


「……ッ!」


 その瞬間。

 カイの鷹の如く鋭い眼光が、影人形シャドウを射抜く。


 一瞬だけ、無機質なはずの人形が気圧されたような気がしたのは、果たしてまぼろしか。


 雑念を払い除け、カイは両手で柄を握って長剣を下段に構える。

 裂帛れっぱくの咆哮を上げながら、猛然と飛び出した。

 

 「そこを……どけぇぇええええええ──ッ‼」

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