Episode11 〜白い記憶〜

 グラーテから少し北に進んだ郊外。

 拓けた草原を道なりに進むと、小規模だが森林がある。

 何を隠そう、その最奥にはカイとノアが出会った皆紅の花畑があり、カイにとっては一種の思い出の場所でもある。

 

 その鬱蒼うつそうとした森の道なき道を、カイ達は疾風の如き速さで駆け抜けていた。

 二人が学園から抜け出した頃にはすでに、不審者は郊外に出て、この森の中に入ったらしかった。

 

 少しでも時間短縮のため、アンリに身体能力増加の強化呪文エンチャントを付与してもらい、結晶から伝わる位置感覚を頼りに、走り続けているわけだが……。

 

「ねぇ、こんな所に本当にノアがいるの?」

 

 不意に導かれるがまま付いてきていたアンリが、痺れを切らした様に呟いた。

 無理もない。辺りは見渡す限り草木が茂るのみなのだ。

 こんな所にノアを連れ込んで、何になるというのか。

 

 カイとて、不審者の思惑までは皆目検討もつかないが、これだけは断言できた。

 

「問題ない。もう少し進んだ先にノアがいるはずだ」

 

「だから、何でそこまで自信満々なのよ……」

 

 言いたい事は山程あるが、何も情報がない以上カイを信じて付いていくしかない。

 アンリはつのる不安を端へ追いやり、更に疾走速度を上げるカイに食らいつく様に走るのだった。

 

 

 

 そうして、森林を進み続けること──数分。

 カイは突然、疾駆していた足を急停止させた。

 

「──うわっぷ⁉ ちょっといきなり止まらないでよっ⁉」

 

 減速しきれず背中に衝突したアンリの喚きを、華麗に無視すると、カイはおごそかに言った。

 

「着いた。どうやらノアはこの中にいるらしい」

 

 カイ達の目の前には、こんな森林の深奥では不自然な大きさをした洞窟が空いていた。

 自然物ではないだろう。間違いなく、人工的に掘られたものだ。

 中に目を凝らしても、光源と思しきものは一切ない。

 光を飲み込まんとする暗黒が続くばかりで、それが余計に不気味な雰囲気を醸し出している。

 

「アンリ、魔術で光を出してくれ」

 

「え、ええ……。《イグナイテッド》──」

 

 瞬時にアンリが初等炎性呪文スペルを唱える。

 手に収まる程度に収束展開された魔術陣の中心から、ボッと灯火が添加された。

 

 広範囲、高威力──という炎性呪文スペルの性質を限界まで抑えて、起動させたのだろう。

 魔術の強弱を完璧に会得しているアンリだからこそ、なし得る所業だ。

 

「よし、行くぞ」

 

 少しだけ顔を引きつらせているアンリを尻目に、カイは躊躇なく暗黒の中に足を踏み入れて行く──。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 私は、物心ついた時から、白い記憶を見る。

 具体的に何時から見るようになったかは分からないけど、恐らくはカイと出会った日からずっと。

 

 それはとても苦しくて、悲しい記憶。いや、悪夢だ。

 何故かカイと居ると、その悪夢が脳裏によぎる事はなくなる。

 それでも、どうしても寝付いた時に思い出してしまうのだ。

 

 ……でも、今は違った。

 視点主である私の目の前には、膝を付いて見つめてくる大人びた女性と、緊迫とした様子でそれを見守る武装した男性が、数人後ろに佇んでいる。

 

 不意に、右手に何かを握らされた。

 首が強張って目下を見れないが、感触からして石か何かだろうか。

 

「──良いこと、○○○○。この石は、これからの未来を繋ぐ希望なの。これを、最愛の娘である貴方に託すわ」

 

 耳に優しく包み込む様な、透明感のある声。

 何故か、この声を聞くとカイと一緒に居る時みたいに心が落ち着くな……。

 

「本当にやるつもりなのですかッ!」

 

「いけません、いけませんぞ! 貴方ともあろう人がそんな事などッ!」

 

 何に対してなのか分からないが、どうやらこの女性は途轍もなくいけない事をしようとしているらしい。

 男性の裂帛たる声色が、それを物語っている。

 

 しかし、女性はその声に聞く耳すら持たず、更に私に語りかけてくる。

 

「この石を肌身離さず持っているのよ。それに他人にむやみに見せたり、渡したりしないで。絶対よ?

 ……そろそろ行かないと。さようなら、私の可愛い○○○○……」

 

 潤んだ瞳を閉じて、女性は私の身体を抱きしめる。

 強く、強く。まるで離れるのを拒むかのように。

 ふと私の腕が女性の背中に回った事で、さっき手に握らされた物が目に入った。

 

「──ッ⁉」

 

 思わず息をつまらせる。

 女性が持たせた石──正確には、だ。

 それは間違いなく、カイと出会った日から何故かずっと首にかかっていた、純白のペンダントと酷似していた。

 

 なん、で……私が持っているはずのペンダントがこの記憶に?

 もしかして、今まで見てきた記憶は、誰でもない私自身のものなのか。

 だとしたらこの女性は私の本当の──。

 

 そこまで思考した所で、私の意識は突如刈り取られた。

 

 

 

「ん、んん…………」

 

 ノアが覚醒すると、そこは全く見に覚えのない場所だった。

 地面が岩肌なのを見るに、何処かの洞窟内なのか。

 だがそれにしては、妙に明るい気がする。

 

 虚ろな意識のまま目をそばめてみれば、その理由はすぐに判明した。

 地面から生える青白い巨大結晶。それが至る所に散見している。

 恐らくその光のお陰で、本来冥々めいめいとした洞窟内でも、昼間のように明るく見えるのだ。

 

 ──そうだ。確か私は、不審者に連れされて……。

 ズキリ。

 脳裏によぎる親友の背中に、ノアは胸が張り裂けそうになる。

 

 あの時、アンリは立ち上がって守ろうとしてくれたのに。

 対して自分は、怖気づいて何もできなかった。

 無力。そんな言葉が胸に刺さる。

 

 様々な後悔が頭をよぎる……が、今更もう遅い。

 考えれば考える程、自らの不甲斐なさに胸を焦がすばかりだった。

 ──やっぱり、こんな私じゃあ……。

 ここ最近、何度も思いわずらう事を巡らせていると。

 

「どうやら、ちょうど良いタイミングで目覚めてくれたみたいだな」

 

 突然耳に届く声。

 目を伏せていたノアの顔がバッ! と上げられ、途端に背筋が凍った。

 紅ローブを身にまとう不審者。

 変わらず、血を垂らした様な紅き双眸が、ノアを射抜く。

 恐怖心に駆られ、咄嗟に逃げようと身体をよじるが。

 

 ガシャンッ!

 両腕を掲げられ、四肢の手首にめられた鎖がそれを阻んだ。

 ──嘘ッ⁉ これじゃあ逃げられない⁉

 目覚める前からそうだったのか、身動き一つ取れない。

 突如、退っ引きならない事態に陥ってしまい、ノアの全身に血の気が引く感覚が走る。

 

「おいおい、落ち着け。別に撮って食おうって訳じゃないんだ。

 俺の目的は、お前が所持するペンダントだ。お前自身に危害は加えん」

 

 『ペンダント』──その単語に、敏感に反応してしまう。

 なんせ、グラーテ魔術学園にテロ行為を仕掛ける奴なのだ。

 莫大な資金でもなく、魔術的財産でもなく、地位でも権力でもない。何故、取るに足らない自分のペンダントが狙いなのか。

 

 ノアは不審者が望まんとする訳が、いまいち良く分からなかった。

 そんな悠長ゆうちょうに思念していたのも束の間──。

 

「じゃあ、早速儀式に移るとしよう」

 

 ひゅんっ! 突如不審者の右手がかすみ動く。

 いつの間にか携えた短剣が、ノアの視界を縦一閃に裂いた。

 

 純白の制服から覗く可愛らしい下着と、形の整った胸、雪をあざむく柔肌がさらされる。

 そして、ぷらんと垂れる純白のペンダント。

 

 不審者の技量ゆえか、スカートを除く上半身の制服だけが、綺麗に割かれていた。

 

「──ッ⁉」

 

 息を呑み、ノアの頬が羞恥で紅潮する。

 キッと睨みつけられた不審者は、飄々ひょうひょうとした態度で答える。

 

「案ずるな、俺は悪魔だ。

 人間の、よもやガキの身体なんぞに興味はない」

 

 そう言われても、安心できるはずがない。

 外界に触れる面積が増えてしまった肌寒さと、羞恥心で、思わず身じろぎしてしまう。

 そんなノアに目もくれず、不審者は胸元にあるペンダントに手を伸ばした。

 

「だっ、駄目ッ⁉」

 

 白き記憶の「誰にも渡すな」という言葉がよぎり、身動きできないのも忘れて、逃げる様に身体を捻ろうとした──瞬間。

 

 一瞬、ペンダントから世界を白く染め上げんとする閃光が迸った。

 次いで小爆発が起こり、不審者の身体が後方へ吹っ飛ぶ。

 放物線を描いて、背中から地面に叩きつけられた。

 

「がはッ⁉」

 

 受け身も取れず、身体を震わせる紅ローブに、ノアも「えっ……?」と肉声を漏らすしか無い。

 

「クッ……⁉ 何だこれは⁉ もしや──」

 

 身体を震わせながら立ち上がり、ギロリと血の瞳で睨みつけられる。

 ヒッ⁉ というノアのか細い悲鳴は、次に発せられた言葉によって、かき消された。

 

「《影よ──我に真実を刮目させよ》」

 

 今まで聞いた事もない奇妙な呪文。

 それに反応するかの様に、不審者の右目が真紅から影の如き漆黒へと変わった。

 すると突然、不審者の表情に明らかな動揺が差した。

 

「これは……なるほど。

 そう簡単にソイツを渡すわけにはいかないという事か」

 

 嘆息しながら呟いた不審者の視界は、意想外いそうがいな光景が広がっていた。

 青髪の少女を囲むように広がる正十二面体の障壁。

 更にペンダントの中に目を凝らしてみれば、嫌気が差すほど難解な術式が、錯綜さくそうと織りなされていた。

 

 重いため息を吐き捨て、不審者は少女に歩み寄りながら言う。

 

「どうやら、お前はペンダントに施された高位の儀式術で護られているらしい。しかも、二層構造ときた」

 

「ぎ、儀式術……?」

 

 その言葉を耳にし、ノアは頭上に疑問符を浮かべた。

 儀式術──確かに、知識だけは学園で教えられた。

 個人で魔術陣を展開し、起動する攻撃呪文ソルセリーなどとは違い、複数人で起動する大規模な魔術だ。

 

 だが、本来儀式術という物は、グラーテ魔術学園などの建物を守護する結界として用いられるはずである。

 こんな小さいペンダント一つに、儀式術を施すなど聞いたことがない。しかも、不審者が顔をしかめてしまう程の高位な奴が。

 

 明らかに常軌を逸した真実に、ノアが唖然としていると。

 

「──まぁ、とりあえずは外側の護りは壊せるか……」

 

 ぼそり、と。

  脈絡もなく、さらりと呟いた言葉の意味を、ノアはすぐに理解できなかった。

 

 不審者が腰を落とし、拳に黒い影がまとわり付く。右腕を引き、銅に捻りは加えて──。

 シッ! 次の瞬間、空気を貫かんとする打擲ちょうちゃくの一撃が、鼻先を掠めた。

 

 ノアから見れば、文字通り虚空を殴った様にしか見えない。

 だが、不審者の視界には、確かに拳が薄紫の障壁を貫通していたのだ。

 

 ぱきぱきと、次第に亀裂は広がり。

 硝子がらすが割り砕かれたような甲高い音が、洞窟内に冷たく反響した。

 薄青色の破片が虚空に霧散し、障壁は完全に破壊されたのだった。

 

「あっ──……」

 

 その音を聞いて、何も見えていないノアも理解した。

 今まさに、自らの守護する壁が一つ無くなったのだと。

 安堵していた。

 もしかしたら、諦めて見逃してくれるかもしれない。それこそ誤想だった。

 

 肉声を上げる暇すら無かった。

 やはり、眼前に佇む悪魔は規格外なのだ。

 忘れかけていた恐怖心が再来し、ノアは血の気が引く様な感覚に襲われた。

 

 ──いや、怖いよ……誰か、助けて……ッ!

 カイ……カイ。

 この世で一番信頼する人の名前を、ただ叫ぶしか無いノアに対し。

 

「何だ、今ので戦意喪失か? ま、無駄に悲鳴を上げられるよりかは良いが」

 

 不審者は白きペンダントを見据え、顔をしかめていた。 

 外側の障壁は、比較的簡単な術式で構成されていた。だから、『精神に忍び込む』という影の性質利用し、突破できたのだ。

 

 だが、ペンダントの中──二層目は、訳が違う。

 二層目の儀式術が雑魚に思えるほど、高度な難解な術式が織りなされたそれを突破するには、一つ一つ解除イレイズしていくしかないのだが……。

 

 そんな正攻法で解こうとしたら、最悪丸一日かかりかねない。

 ──少し酷だが、あの方法を使うしかないのか。

 不審者が真顔で考えあぐねていると。

 

「──ッ!」

 

 バッ! と勢いよく紅ローブをひるがえしてきびすを返す。

 突然、形相を変えた不審者に、ノアは唖然とするしかない。

 

「一、二……二人、か」

 

 即ちそれは──敵数二人──そう示していた。

 それを聞き、舌打ちを漏らす不審者とは対象的に、ノアは表情を明るくする。

 

「やっぱり、来てくれたんだ……カイとアンリが……!」

 

「チッ……どうやって此処が分かったんだ……?

 まぁ、良い。邪魔をするなら排除するのみだ」

 

 瞬間。まるで魔術士が体内マナを取り出すかのように。

 ズオオ……と、不審者の全身から、漆黒の影が陽炎かげろうの如く溢れ出た。

 

 尋常じゃない殺気に完全に気圧され、対峙していないノアですら竦み上がってしまう。

 そうだ。忘れてはいけない。

 この悪魔の前では、希望を見ることは許されなかったのだ。

 

 片や、学園の衛兵を打ち倒すほどの実力者。

 片や、あくまで魔術士見習いでしかない、アンリとカイ。

 

 そんな二人が、特濃の恐怖を具現化したような悪魔に勝てる可能性なんて、奇跡に等しい事なのだと……。

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