Episode10 ~決意と闘志~

「……静か過ぎる」


 カイがその違和感に気づいたのは、紙袋を片手に、階段を上っている最中であった。


 昼休憩になるやいなや、いつも授業中の生真面目さを発散するが如くウザったい騒音が、今では音が消滅した世界に誘われた様に、物音一つしない。


「…………」


 嫌な胸騒ぎを振り払いつつ、階段を上りきり、カイがおずおずと一組の教室を覗き込んだ。


「──ッ⁉」


 思わず唸り声が漏れた。

 見渡す限り倒れ伏す生徒達。その光景は最早、不気味を通り越して狂気を湛えている。


 ──購買まで趣き、帰って来るまでそう時間は経っていないはずだ。

 そんな短時間で一体何があったというのか……


「おい、大丈夫かッ!」


 紙袋を置いて、入口付近に倒れ伏す男子生徒に呼びかけるカイ。

 ──が、幾ら身体を揺らして呼びかけようが、一向に目覚める気配はない。

 まさか、と。


「…………脈はある。死んではない、のか……?」


 カイは唯一懸念していた生死を確認すると、おもむろに立ち上がった。

 ……気絶しているだけ。それが分かれば十分だ。

 今はそれよりも──、


「──ノアッ‼」


 勢い良く踵を返し、一心不乱に教室を飛び出す。

 廊下にカツン、カツン、と高らかだが力強い足音を響かせながら、ノア達が在籍する三組へ疾走した。


 いつもより数倍は長く感じた廊下を突っ切り、息を切らしながら転がり込むように教室に入ると、事態はカイの予想を遥かに超えて最悪だった。


 教室の一角──正確には最上段の長方形のスペースで。

 紅ローブに身を包む謎の不審者が、顔を蒼白に染めるノアに歩み寄ろうとしていたのだ。

 

「……ッ!」

 

 考えるより先に、身体が動いた。

 爆ぜるように床を蹴飛ばし、自分でも驚くほどのはやさで階段を駆け上り、最上段に躍り出る。


 九○度身体を旋回せんかいさせ、更に足を爆ぜた。

 それりより彼我ひがの距離が急速に縮まり、あと僅か数足に迫った所で──。

 

 不意に、カイが接近にしている事に気付いたノアの表情が、ぱぁっと照らされた。

 それが不味かった。

 まだ若干距離のアドバンテージがある時点で、カイが接近するより、不審者が行動を起こす方が断然速いのだから。

 

 第三者の介入に勘付き、不審者は腰を落とすと、流れるようにノアを片腕で抱え込む。

 ──このまま逃がすものか!

 窓へ疾駆を開始した不審者に、カイも腕をはち切れんばかりに伸ばす。

 が、あと少し。掴む手が紅黒あかぐろいローブの裾を掠めた。

 

「きゃああああああああ──ッ⁉」

 

 直後、なんと不審者は開け放たれた三階の大窓から、一切の躊躇なく飛び出してみせたのだ。

 ノアの悲鳴に似た断末魔が木霊こだまする中、

 

「チッ──!」

 

 あと一歩及ばず。

 カイが舌打ちしながら外を覗くと、有ろう事か……四○メルトはあるであろう高所から飛び降りたにも関わらず、不審者はあっさりと中庭に着地していた。

 

 どうやって飛び降りた衝撃を殺したのか──。いや、今はそんな事どうでも良い。みすみす逃がす訳にはいかない。

 一瞬だけ逡巡しゅんじゅんして口を閉じてしまうが、無理やり雑念を振り払って、再び口を開いた。

 

「《クリエイション──クリスタル・チェイス》」

 

 その時、カイは初めて学園でを唱えた。

 他生徒に聞かれるのを危惧して、声量は囁くていどだったが、心身はそれでもちゃんと反応してくれる。

 

 突然、身体から取り出されたマナが、カイの右手に螺旋状らせんじょうに寄り集まる。

 やがてそれは次第に集束していき……次の瞬間、掌には薄青色で半透明な長細い結晶が形作られていた。

 

 専用のマナ放出術を起句とし、外部保有者アウターにとって唯一無二の技──《生成術》。

 本来はマナを結合させ、イメージする物体を形成アウトプットするに過ぎないが、カイが唱えたのはそれとは違い、いわば応用なのだ。

 

 この結晶には自らの擬似的な魔回コードを繋いである。

 そのため幾ら距離が離れようが、感覚を伝ってどの場所に居るのかが手に取るように分かる。

 そういう性能になるよう、生成したのだ。

 

 掌の結晶を握りしめる。

 カイは目下で芝生の上を横断しようとしている紅ローブめがけて、フルスイングで投げつけた。

 見事、吸い込まれるように結晶が不審者の左肩に刺さる。

 そして、瞬く間に空間に溶け込むように見えなくなった。

 

 特に気にする素振りもなく、端の壁に到達した不審者が、即座に風系呪文スペルを起動すると、天高く跳躍した。

 一瞬にして校舎の屋根へ上り、すぐに校舎の外側に降りて見えなくなってしまった。


 卓越した魔術の腕に度肝を抜かれはしたが、ひとまず峠を超えた状況に、カイはふぅと息を吐く。

 

 生成物に対し、何らかのイメージを鮮明に伝える事で、指示や能力を与えられる。

 その内の一つが、この不可視化だ。

 これこそ、カイが長きに渡る修練の末、習得した生成術の応用なのである。


 だが、まだ予断を許さない状況なのは変わりない。

 不可視化というが、完璧に空気に溶け込んでいるわけではない。鋭い奴ならば、空間マナの異常に感づくはずだ。

 

 幸いまだバレてはいないが……時間の問題だろう。

 少し瞑目めいもくしつつ、魔回コードを伝って位置情報を受け取る。

 

 座標からして、不審者は南に進んでいるらしかった。

 しかも進行速度がかなり遅い。流石に人を担いで遠くへ逃げるのは時間がかかるらしい。

 今から追いかければ、郊外に出られる前に追いつけるかもしれない。

 グラーテの街図を把握しているこちらの方が、地の利は上なはずだ。

 

 よし、と。今やるべき事に決断を下したカイは、決意に満ちた双眸を返した──途端であった。

 

「……う……ノ……ア……」

 

 てっきり気絶しているとばかり思っていたアンリの声が、虚空に溶けたのだ。

 突然の事に進もうとしていた足が止まる。

 ──俺は何を止まっているんだ。

 自らの行動に思わず自問自答する。

 

 アンリは放置しても死ぬことはない。やがて気絶するだろうし、何事も無かった様に目を覚ますだろう。

 今はそれよりも、いち早く不審者を追跡するのが最優先だ。結晶めじるしだって、いつまで保つかわからないのだから。

 無視すべきだ。聞こえなかった風を装って、立ち去るんだ。

 

 ──なあ、得意だろ? 普段から己を偽っているカイ・フェルグラントなら。

 …………。


 ……でも。

 この状況、ノアならばどうするだろう。きっと、助けるに違いない。

 ここで、本当に見捨ててしまえば……。

 ──俺は今後、本当にノアに見せる顔がなくなってしまう。

 

「……っ!」

 

 カイはいつの間にか、頭をよぎる懸念や理性をすべて踏み倒し、理屈と全く逆の行動に出ていた。

 アンリの傍らにひざまずいて、頭ごと艶やかな紅髪を持ち上げて、必死に呼びかける。

 

「おい、アンリ!  返事をしろッ!」

 

 身体を揺らそうと肩を掴んだ瞬間──絶句した。

 恐ろしく冷たかった。それに、力なく垂れ下がる四肢と虚ろに沈む紫瞳は、もはやカイを捉えられているのかすら分からない。

 脈があることを除けば、死人だと錯覚してしまう程だ。

 

 一組で見た男子生徒はここまで酷くはなかった。

 何故、アンリだけこんなにも症状が重いのか──。

 不意に脳裏によぎるの情景を、カイはかぶりを振って無理やり払う。

 

 すると、喋ることも困難なのか、細い唇を震わせながらも、絞り出した様な唸り声でアンリが言った。

 

「何……してんの……あたしより、早く……ノアを……!」

 

「馬鹿言えッ! お前が良くても、俺が良くないんだよッ!」

 

 こんな時でも友人を心配する温情には尊敬するが、それでもカイはらしくもなく、叱咤せずにはいられなかった。

 ──どうする、どうすれば良いッ⁉

 汗で滲む拳を震わせながら、全力で思考を走らせる。

 

 だが、アンリの症状に心当たりがあるとすれば──咄嗟に思いつくのは体内マナの異常くらいだ。

 生命の源であるマナと器、即ち肉体は密接につながっているという。

 故に、一度マナが異常を起こしてしまえば、それは次第に全身をむしばんでいき……最悪、死に至る。

 

 アンリの症状はその一歩手前といった所か。

 死ぬことは無いが、それ相応の苦痛を伴うのだ。むしろそっちの方が何倍も辛い気がする。

 

 対処法は至って簡単。体外からマナを取り込んでやれば良い。

 自らのマナを他者へ移す治癒呪文デュアルもあるにはある、が。

 ──そうなれば、俺が打てる手段はもう無い……。

 確かに、学院の授業であらゆる状況にける応急処置や蘇生術などは教わっている。

 

 だがそれは、あくまで魔術を基準として行うものなのだ。

 即ち、治癒呪文デュアルが十分に行使する事ができれば、の話である。

 

 外部保有者アウターであるカイは、生成術やその派生魔術以外の魔術を行使すれば、性能が大幅に低下してしまうという制限がある。

 

 治癒呪文デュアルを行使しようが、さほど効果は期待できない。

 それにマナの移行には、少なからず危険が伴う。

 外部保有者アウターのマナを、内部保有者インナーに移せばどうなるか、検討もつかない。

 

 危険すぎる。魔術は一か八かで行使できるほど、万能ではないのだ。

 ──クソっ! こんな時だってのに、俺は誰かを助けることすらできないのかよ……!

 いっそ、自らの不甲斐なさに怒りを通り過ぎて呆れてくる。

 カイが自暴自棄に陥っていると、突如、垂れた右腕が重々しく持ち上げられ、自らの席を指さした。

 

「鞄の中に……マナポーショ──」

 

「なに⁉ わかった!」

 

 最後まで言葉を聞かずに、脱兎のごとく飛び出した。

 他人の、しかも女の子の鞄を弄るのはカイとて抵抗があったが、今は緊急事態なのだからしょうがないと自己解決する。

 鞄の中身を弄ると、すぐに奥深くに仕舞われたガラス細工の感触を感じ取り、カイは勢いよくそれを取り出した。

 

 出てきたのは、薄青色に発光する小瓶。

 マナポーションと言われるそれは、魔術士にとっては一種の薬のような物で、飲めば瞬時に体内に溶け込み、マナを正常に保ってくれるという優れものなのだ。


 つまり、コレを使えば治癒呪文デュアルを行使せずとも、アンリの症状を治すことができる。


 即座に駆け戻り、少し粘り気のある中身をゆっくりと口の中に流し込んでやる。

 その効果は驚くほど覿面てきめんだった。

 虚ろだった瞳に輝きが戻り、続いて垂れていた四肢にも力が入る。

 やがてアンリは、何事もなかったかの様に身体を起こした。


「良かった……」


 安堵の故か。普段のカイならば心に留めておくであろう言葉が、思わず漏れる。

 一方アンリはというと、背を向けて呆気にとられた様に手の開閉を繰り返すばかりであった。


 相変わらず少し気に触るが、何はともあれ無事で良かった──。

 ほっと胸を撫で下ろし、改めて不審者を追おうと立ち上がったのと。


「ひぐっ、ぐすっ……! うわぁぁぁん……っ!」


 アンリが目尻に涙を溜めながら泣きついてくるのは、ほぼ同時だった。想像を絶する行動に受け身ができるはずもなく、まともに尻もちをついてしまう。


 その所為か、余計にアンリとの距離が縮まる。

 甘い匂いが鼻腔をくすぐり、何か豊満で柔らかい感触がカイの思考を更にかき乱す。


「ごめんなさい……ッ! あたしっ、ノアを守れなかった……ッ!

 あんなに、アンタとは違うって思ってたのに……これじゃあ何も変わらない……っ! ごめんなさい、ごめんなさい……!」


「…………」


 時には申し訳無さそうに、時には悔しそうに。

 それが嘘偽りない本心を吐き出しているのだと、容易に想像できてしまう。

 自分ではとても抱えきれぬ重さを秘めた訴えに、カイは形容しがたい感情を抑え込みながら、煩悩に染まる思考を切り替える。


 ──俺が成すべき事は、最良の道の実現。

 ならば、一つはもう達成できた。

 次にやることは考えるまでもない。


 とりあえず、引っ付いているアンリを無理やり引き剥がす。

 ……少しだけ惜しんでしまったのは、男として仕方がないと思いたい。

 そしておもむろに立ち上がりながら、カイは告げた。


「何を言ってんだ。

 ノアを守るのは俺の使命であり、誇りだ。

 それが達成できなかった責任は全て俺にある。わざわざお前が責任を感じる必要はない。

 ……今はそれよりも、奴を追う事が最優先だ」


「え、奴って……あの不審者のこと?」


「ああ。とにかく今は時間が惜しい。講師への状況説明は頼んだぞ」


 短く切り捨て、カイがその場を立ち去ろうとした──そのすれ違いざま。


「──待って! ……、あたしも連れて行って!」


 溜まった涙を振り払い、そう高々と宣言する紅の少女に、カイはさほど驚かなかった。

 何故なら、何となくアンリならばそう言うと確信していたからだ。

 ──こいつは律儀で面倒だが、誠実で根は優しい奴だ……じゃなきゃ、ノアの為にあそこまで自分を犠牲にしたりしない。

 だから、ただ淡々に口にする。


「さっき無残にやられたばかりだろ。怖くないのか?」


「怖くても、ノアを見捨てるわけにはいかないわ!」


「危険な戦いだ。最悪死ぬかもしれない。

 ノアを救出できずに無駄死になんて事もありえるんだぞ?」


「だったら尚更、アンタだけじゃ行かせられない。それに、もしここでまってアンタ達が帰ってこなかったら……一生後悔すると思うから」


 アンリは告げられた脅しにおくすることなく、むしろ強い意志と決意をもって、その全てを肯定してみせたのだ。

 ならば俺から何も言うことはない──。

 カイはそう心の中でほくそ笑んで。


「……そうか。なら付いてこい。詳しい話は追跡しながらだ」


 その言葉を待っていたかの様に、アンリも力強く頷いて。

 互いに微笑み合い、二人は迅速に教室を後にするのだった。

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