Episode4 ~旧き記憶~
カイ・フェルグラントとノア・エルメル。
姓が違うので当然だが、二人には血縁関係がない。
だから、その関係性は今のところ凄く曖昧だ。
ずっと過ごしてきた家族でもあるし、義兄妹ともいえるかも知れない。
姓も、血筋も、恐らく生まれ故郷だって。
何もかもが違う、ほとんど他人のような二人が、今のように親しくなれたのは、とある《約束》のおかげだった。
四年前。
二人は、とある
そして有する記憶が損失してしまったという、あまりに突飛な現実を突きつけられた。
カイは自分の生まれ故郷なんて知る由もないし、本来の家族の顔だって覚えていない。
それどころか当時は、自分の名前すら思い出せなかった。
今は幸い、カイ・フェルグラントという名だけは明確に思い出せて入る。だが、それだけだ。
自分について思い出せるのは名前だけで、それ以外は謎だ。
もしかしたら自分は、魔術実験の被検体で、その成れの果てなのか。
それとも、実は極悪人で、これは与えられた罰なのか。
つまり――記憶を失うというのは、そういう事なのだ。
――己を失う。
当時の、まだ十三歳ていどでしかない子供にとって、その感覚は恐怖以外のなにものでもなく。
特にノアは、その影響が酷かった。
あまりの恐怖で竦み上がってしまったのかは定かではないが……。
倒れてもだえ苦しむノアに、カイは恐怖すら忘れて救おうとした。
――その惨状は、今でも
血が通っていないと錯覚してしまうほど、冷たい身体。
顔を歪ませて、肩で息をする彼女をカイは抱き起こした。
瞳は光を失っており、カイを捉えていなかった。
腕の中で震える小さな体。このまま死んでしまうのではないか――カイは焦燥を押し殺して、頭を必死に回転させる。
名前も知らない少女を、どうしてこうも救いたがるのか、自分でも解らなかった。
しかし、理屈で考えている暇はない。なぞの使命感に突き動かされるがまま、なおも思考を加速させた。
少女のこの症状が、この状況によって引き起こされたものならば。
きっと頭の中はパニックになっているはずだ。どうしようもない絶望と焦燥にかられているはずだ。
――だとすれば。少女を安心させることができれば、緩和されるかも知れない。
確証は持てないが、今は行動するしかなかった。
カイは少女を
『安心しろ! 何も心配いらない。
不安なら俺が払ってやる。心配なら俺が変わりに導いてやる』
――死んでほしくない。
理由は分からないが、それは嘘偽りない本心なのだと、実感した。
だが、反応はない。
これでは駄目なのか……それとも、自分には救うことはできないのか。
『俺はお前を――見捨てない! 絶対に守ってみせるッ!
だから……! だから……ッ‼
死なないでくれ――ッッ‼』
カイは涙ながらに懇願する。そうするしかなかった。
自分にできることなど、こうやって呼びかけることしか出来ないのだから。
…………、
不思議な感覚がした。
まるで、なくなったピースが繋がったような。
――刹那。
少女の震えが止まり、蒼白だった肌が赤みを帯びた。
腕の中でかすかに体温を感じる。色あせた瞳にも、光が戻った。
程なくして、起き上がった彼女は、
どの花よりも可憐で、陽だまりのように暖かく、輝かしい笑顔に。
カイは、頭の中が真っ白になった。
唯一のこったのは、安堵と達成感。
そして、微かながらの誇りだった。
――ああ、そうか。
最初からここにあったんだ。
記憶を失い、自分という存在さえも
何もかもを手放してしまったカイの、唯一の希望。
目の前の少女を護ろう。
(それが、俺がここにいる意味……)
その時、咄嗟に口走っただけの言葉は――カイの中で、確固たる『誓い』に変わったのだ。
※ ※ ※
……変わったはずだった。
無論、あの時の想いは今でも変わりはしない。
自分にとってノアという存在は心の拠り所であり、生きる意味であり、唯一の希望だ。
彼女を守り抜きたいという決意は決して生半可なものではないと、そう思っていた。
だからこそ──。
カイは急激にこみ上げる憤怒を、あらん限り己が拳に注いだ。
今にも血が滲まんとする激痛が迸るが、そんな事はどうでもいい。
──だからこそ悔しい。こんな身勝手な自分が憎たらしくて反吐が出る。
──何故なら俺は、二人で記憶の真実を暴こうという、大切な約束を、己が掲げた誓いを……自ら破ろうとしているのだから。
奥歯を噛み締めながら、カイの意識は再び過去へと飛び去った。
※ ※ ※
誓いを果たせないと悟ったのは、花畑で目覚めてから一年が経過した頃だった。
森林を抜け、広大な草原を道なりに歩いて、グラーテに行き着いたカイ達は、偶然エルネスト家の若夫婦に保護された。
当時はウーラノス帝国を襲った《厄災》の復興活動の真っ最中。
それでも一度地に落ちた治安はそう簡単に回復するものではなく──とても子供二人で街を入り歩けるような状況では無かったという。
最初こそ、その若夫婦の溢れんばかりの良心にカイは訝しんだものだが、今でも本当の家族のように接し、平等に愛情を与えてくれたのだから、若夫婦には感謝してもしきれない。
程なくして、カイはノアと共に託児学校に通い始めた。
名の通り学校と託児所を両立した施設で、小規模な設備しかないボロ校舎だったが。
カイはそこで初めて、魔術というものに触れた。
元々魔術という技術は、世間に馴染みのないもので、都市伝説ていどにしか思われていなかったという。
超越的な力と利便性を誇る魔術であるが、命と同等価値であるマナを削る危険な側面も持つ。浸透してきた現在であっても、魔術に嫌悪を抱く者も多い。
それまで央帝政府が
だが何を思ったのか、政府は厄災を堺に魔術の指導を義務付け、知識をばらまき始めたのだ。
やがて徴兵令でも発令する気なのだろうか。それとも厄災で大幅に削られた軍事力の補完なのか。
政府の思惑は定かではない。だが当時に人民にとって、新たな技術は少なからず生活に役立つものであり、誰もが魔術に注目していた。
何ともあれ、カイは政府から送られてきた教材で魔術の知識を得ていた。
正直──前代未聞の新技術を学べる。その好奇心に胸が踊らなかったといえば嘘になる。
自分の身体の真実を知るまでは──。
端的に言って、カイは落ちこぼれだった。
成績はいつも最底辺より少し上くらい。それも実技ではなく筆記で何とかカバーしなくてはならない。
教師陣からすれば、さぞかし日々頭を悩ませる原因だったであろう。
そして極めつけは、魔術の基礎である魔術陣の展開。
それも言ってしまえば素人でも、適当な手順さえ踏めば為せる技すら、カイには出来なかったのだ。
なにか変だな──。
流石に違和感を感じ、最寄りの資料館で少ない魔術関連の書物を食い入るように読み漁った。
結果、一つの原因が浮上した。
自分が極稀に生まれるという
──今思えば、それに気付いた時点でノアに相談するべきだったのかも知れない。
当時も幾度も思ったものだが、やはり誰にも白状しなかった。
言えるはずがなかったのだ。
何故ならカイは──考えうる限り最悪のタイミングで、その事を知ってしまったのだから。
半年。
そのくらいあれば、新たな技術が人々に浸透するには十分すぎる。
カイが自らの秘密に気付いたのは、そんな魔術の良い面も悪い面も
そして、カイの中で一番胸糞悪い事件が起きる事となる。
──忘れもしない。思い出すのも苦だが、当時一人だけいた。俺以外の
そいつは学校で、いつも成績最底辺の女の子だった。
長い髪と黒縁の眼鏡が印象的な少女で、外見さながら内気な奴だったのを覚えている。
その頃は生徒達にも魔術の知識が十分に蓄えられており、だからこそ
まだ厄災の余韻が完璧に収まっていなかった当時……。
制限された理不尽な生活の憤りを抱えた生徒達にとって、その存在は日々のストレスを発散するには丁度良すぎた。
皆が彼女を疑った。誰もが彼女を目の敵にした。
ただ成績が最下位だというだけで、外部保有だと疑われ、
その光景を、カイは見てみぬフリしか出来ずにいたのだ。
無論、止めようとした。何度「やめろ!」と叫ぼうとした事か。
だがいざ足を踏み出そうとする瞬間、どうしても恐怖が勝ってしまいカイを束縛させた。
ノアを始めとする少数の生徒や教師も抑制はしていたが、圧倒的数の力は末恐ろしく強力だ。
必死に止めようとしたのも束の間、完全に事態を集束するに至らず……。
────結果。彼女は学院を追放された。
表向きは自ら学院を立ち去ったという方が正しい。
が、間違いなく彼女は理不尽ないじめに耐えかねて、追い出されたのは明白だった。
──あいつが学校を去る瞬間、ノアの心底悔しそうな表情を俺は一生忘れることはないだろう。
俺があの時、何か行動に移せていれば何かが変わっただろうか?
もしくは自らをいじめの標的にしてしまえば、この結果は避けられただろうか? ……ノアにあんな顔をさせずに済んだのだろうか。
これが、俺が犯した第二の罪──。
今更いくら後悔して、悔やんでも後の祭りでしか無い。
もうあいつは居ない。もう到底手の届かない所へ去ってしまったのだから。
それに──と、そんな言い訳だけは出てくる自分に嫌気が差しながら、カイは物思う。
もし自分が
それどころか、いつも側にいるノアにも被害が及びかねない。
──俺だけならばまだ良い。
だがノアに影響が及ぶのは許されない。決して。
それが、護ると誓った己の使命なのだ。たったの一つの生きる意味なのだ。
そんな不憫の事件を経て──カイは自分が
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