Episode3 ~臨時の講師~
ゴーン、ゴーン。
何処からともなく始業の合図を示す鐘の音が聞こえてくる。
磨き抜かれた大理石で構成された純白の教室は、今まさに前代未聞の渦中に陥っていた。
ざわざわ……。
次々と周囲から挙がる囁き声を聞き流し、カイは思う。
グラーテ魔術学園に在学して早二年、こんな事は初めてかも知れない、と。
この学園は、極めて特殊な教育体制を形成している。
他エリアに設立された魔術学校とは違い、グラーテ魔術学園はウーラノス帝国の最高軍事基幹の息がかかった、正式な魔術士育成所なのだ。
故に他の学校にあるごく当たり前にあるものが、魔術学に専念する為の邪魔になるという理由から、消去されている。
進級による担任講師およびクラスの変更、座席の交換
そんな学業への支障を最大限削るという合理的な制度を掲げるこの学園では──教師生徒しかり、欠席や遅刻などといった、怠惰な真似は決して許されない。
それこそ授業中に私語を漏らすなど、禁忌中の禁忌だ。
本来ならばそれさえも十分ありえないのだが、それよりも常軌を逸した事態が、生徒達の前で起こっていた。
正面の教壇には、男性講師が登壇している。
少し長めな薄い
白いシャツが垣間見える焦げ茶色のローブを羽織るその格好は、紛れもなくグラーテ魔術学園の講師専用の礼服だ。
しかし、だからこそと言うべきか。
……カイはそれほど学園に勤務する講師陣に面識があるわけではないが、少なくとも眼前でさも当たり前に佇む男性講師には、これっぽっちも見覚えがなかった。
そう。先程から周囲から挙がるざわめきの正体がまさにこれだ。
生徒達からすれば、いきなり講師の格好をした不審者が堂々と教室に入ってきた挙げ句、あっけらかんと登壇しているという──異様極まりないこの事態こそ、教室を支配する疑問の全容である。
見れば、生徒の各々の顔には動揺が色濃く浮かんでいた。
担任講師の変更、もしくは遅刻。どちらにしろ前代未聞の事態に、私語の一つや二つ漏れてしまっても仕方がないといえる。
すると、講師の格好をした不審者が張り詰めた声を教室に響かせた。
「……皆、動揺していると思うが、申し訳ない。
とある事情により先の講師に変わって臨時としてこのクラスに配属される事となった。
スィート・ゼイルだ。以後よろしく頼む」
低くも若さが滲む声色から発せられたのは、聞いた事のない名前だった。
やはり他所から来た講師なのだろう。
一層生徒達のざわめきが大きくなるのを、スィートは少し声量を上げてそれを制す。
「なるべく、授業に支障が出ないよう最善を尽くすつもりだが、各自質問や不満等があれば各々言ってくれて構わない。
……おっと、少し時間を食ってしまったか」
懐から取り出した懐中時計を一瞥すると、ばさりと
「それでは授業を始める」
「……ッ⁉」
その刹那。血の気が引いた様な怖気が全身を駆け上り、カイは掠れた喉声が自分から発せられたものだと気付くのに少し時間がかかった。
不意に右腕を持ち上げて、一瞥する。
微かながら指が小刻みに震えていた。やがて腕全体へ伝ってくる震えを左手でせき止めるように右手首を掴む。
ほんの一瞬──限りなく直感に近いので確信はできないが、紫髪の講師が振り返る寸前、睨まれたような気がしたのだ。
普段アンリから向けられる冷たい眼差しとは比べ物にならない……極寒なまでに鋭き眼光。
──いや、違う。これはもしかしたら、アンリのそれとは全くの別物かもしれない。
直接感じたことはないが、恐らくさつ……、
「さっきからどうしたの?」
「──っ⁉」
間一髪。カイは叫びだしそうになるのを、食い止めることに成功した。
口から心臓が飛び出るとはこの事か、とどうでも良い事を思いながら、馴染み深い声の主に視線を向ける。
案の定、心配そうに見つめてくるノアに、カイは心中で苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
カイ・フェルグラントとノア・エルメル。
姓こそ異なるが、二人はとある事情により長い間、家族として一つ屋根の下で過ごしてきた。
思えば約四年にも渡る付き合いだ。
その間に培った絆は伊達ではなく、例え些細な変化であっても、互いの心境を『何となく』で悟ってしまうのである。
言うなれば以心伝心。それほどの関係を築いてきたとカイ自身ですら自負している。
──一番厄介な奴に感づかれるとは……俺の考えすぎな可能性も十分にある。ノアを無駄に心配させるわけにはいかない。
一時
「ちょっと肌寒くてな……ははっ」
疑いの注意を何処かへそらす──。
暖かい陽光が差し込みはするが、季節的に少し肌寒さが残る教室内。
その環境を利用し、あたかも寒さで身を震わせたように見せかける。
ついでに自分から
どうだろうこの抜かりなさ。最適解ではなかろうか──と、カイは誰ともなく自画自賛する。
「そう? なら良いけど……」
その無垢で優しすぎる性格上、ノアは滅多に人を疑おうとしない。
カイとてそこに付け入るのは罪悪感に苛まれたが、致し方ないと自己解決する。
案の定、ノアは怪訝そうに眉をひそめたものの、授業中という事も幸いしたかそれ以上詮索することなく授業に戻った。
カイが心の内で謝罪しながらふぅ、と息を吐く。
途端、ずんと疲労感が全身に重くのしかかった。
このまま寝静まりたい気分だったが、この学園でそんな怠動を仕出かせば悪くて停学処分である。
とにかく
そんな淡い期待を胸にカイは正面のスィートに向き直ると、その声に耳を傾けるのであった。
──魔術。
かつて他種族との聖戦において、その超越的な威力を以て人類の戦線を五分にまで導いたといわれる。
正に人智を超えた秘術だといえよう。
魔術の歴史は数百年と旧く……元々敵種族が行使する奇妙な力を、自分たちも我が物にしようと研究を始めた。
結果、完成した『
それから次第に魔術という技術が人知れず確立されてから現在に至るまで、飛躍的な進歩を遂げてきたのだ──。
スィートが魔術の歴史に関する内容を淡々と板書していく。
一言に言えばこのスィート・ゼイルという男の授業は──洗練されていた。
無駄な発言や板書は一切なく、それ故の迅速さ。しかし伝えるべき要点を抜かりなく解説してのける腕は、只者じゃない。
もしかしたらこの学園に勤務する誰よりも教え方が上手いかもしれない──そんな思念を抱きながらも、生徒達は忙しなく羽ペンを滑らせる。
授業の内容は今までの魔術の基礎知識の補完。
既に歴史の部分を終え、魔術の起動に関する内容へ移行していた。
「──魔術は生命が保有するマナという光原子を消費して行使する。
消費したマナは自然回復するが、短時間で無理に消費しすぎると回復が追いつけなくなるから、気をつけろよ」
マナ。通称、生命の光源。
そう呼ばれてるのは決して伊達ではなく、保有するマナが尽きるという事は、魔術士に限らず生物にとっての『死』を意味するのだ。
正にハイリスク・ハイリターン。
技能などの要因も多少なりとも左右するが自らの命を削る量に比例して、より強力な魔術が起動できるというわけである。
「魔術を起動する工程として──体内からマナを取り出す→魔術陣を展開→呪文の詠唱→起動完了──と、この様な手順にそって行う。
どれか一つでも欠ければ魔術は起動されない。魔術陣と術式も等級に合ったものを用いなければ駄目だ。
端的に言えば、小規模で精密な儀式のようなものだな」
ここまで解説し終えた所で黒板が図や文字の羅列で埋まってしまう。
スィートは生徒達を一瞥して書き取っている者がいないか確認すると、素早く消して続けた。
「魔術の等級と同じ様にマナの保有法にも二種類ある。
君達のように体内にマナを保有する《内部保有》と、外側に保有する《外部保有》だ。
……といっても、後者は遥か昔に捨てられた保有法だが」
全ての生物には
それが魂──即ち心臓に近いほどマナの濃度が増し、濃度が上がれば必然的に魔術の性能も上昇する。
この
更に言うならば『体内マナが尽きると死ぬ』というマナの特性は内部保有にだけ適用されるものであり、外部保有には無関係だ。
恐らく、より強大な魔術を行使できるが故の代償なのだろう。
……ふと、疑問に思わないだろうか。
何故いくらマナを消費しても命に別状がなく、安全性が保証された外部保有は、遥か昔に捨てられたのか、と。
理由は至って単純である。
外部保有とはそもそも、ある特定の魔術を起動するための循環法なのだ。
故に行使できる魔術は少数に限られ、本来驚異的な威力を誇る
だが多々一つだけ、外部保有には唯一無二の特性が存在する。
──それは、《生成術》が行使できる事だ。
外部保有のマナ循環法でしか起動できない、とっくの昔に人類から見限られた魔術。
魔術士にとって生成術の解釈として二つある。
一つは、生成術は人類が最初に開発した魔術であり、魔術学の起点となったものである。
もう一つは、それ故に未完成で時代遅れの雑魚魔術であるという事だ。
遥か数百年前……人類が最初に開発した魔術とは、ただ取り出したマナを紡いで物体を形成するという、とても超越的とは言えない代物であった。
──例えば生成術で拳銃を造ってみるとしよう。
拳銃の形を模倣し形成できるが、火薬は形だけの贋作に過ぎない。無論、弾丸を打てるわけがない。
もうお分かりだろう──。
生成術の
強いて使いみちを上げるとすれば鋭利な刃を形成して剣を生成するくらいである。
当然そんな魔術は正真正銘の雑魚だ。使い物にならない。
ならば、と。
古の賢者達はまた新たな魔術の開発を始めた。
そうして魔術の威力を貪欲に求め続けた結果。
完成したのが──より汎用性が高く、多種多様な術式を起動できる内部保有であり、
それと共に、生成術の研究は打ち止めになった。
先程の謎に包まれた魔術というのも、それが原因である。
開発当初から見限られ、まともに研究を進められずその人材すら乏しいのだから、改良など進むはずがない。
だが、それも至極当然な事なのだ。
何故なら──。
生成術による近接戦闘と、
だからこそ旧くから雑魚だと罵られてきた弱者の生成術士は、いつの時代も蔑まれる存在であり……。
──そんな物を扱えてしまう俺は、紛れもない劣等生なんだろうな。
この学園でたった一人の
形容し難い胸騒ぎに襲われ、カイは授業が始まってから一時も離さなかった羽ペンを置いて、頬杖をついた。
正面で声を張り上げているスィートを気怠げに一瞥してから、視線を横流しする。
教室の横の大窓から見上げた空は、清々しいくらいに透き通る晴天が何処までも広がっている。
……そういえば、あの日見た空もこんな雲一つ無い快晴だった。
忘れるはずもない日。
全てを失い、全てが始まったあの日を──カイは静かに思い返す。
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