Episode2 ~グラーテ魔術学園~
グラーテ魔術学園の校舎は大きく分けて三つ。本校舎、東校舎、西校舎。
西校舎は特別教室や資料館、食堂、購買など……生徒が利用する公共施設が完備されている。
一方、東校舎は魔巧貯蔵庫や秘蔵書庫、禁呪保管部屋といった基本生徒が許可なく立ち入りが出来ない。
そして校舎の中心部──最大の規模を誇る本校者は、全生徒二学年の教室がある。
カイ達は四階に続く階段を上り切ると、すぐの回廊を左に曲がった。
磨き抜かれた大理石で構成された白き廊下。
等間隔に立てかけられた
その最奥にはカイ達が在籍する二年次生三組の教室がある。
一つしか無い教室の扉に手をかけ、カイが横にスライドする様に開け放つ。がやがやと喧しい教室に一歩──足を踏み入れた。
「──っ!」
瞬間。凍てつく悪寒が背筋に走る。
考えるより先に脊髄反射で身体が動いていた。
爆ぜる勢いで前方に飛び出し右に旋回。足底を大理石の床に滑らせながら着地する。
一切の姿勢の乱れを感じさせぬ不動の体感と、卓越された体重移動。
腰を落とし右手が微かに左腰に伸びているその態勢は、さながら剣士の鞘走り寸前を彷彿とさせた。
鋭利な眼光で睨むのは、謎の暗殺者……などであるはずがなく。
おもむろに教室に入ってきたのは、先程の悪寒の元凶とは思えないくらい女神の如く慈悲深い微笑みを貼り付けた赤毛の少女だった。
──一体いつの間に背に立たれたのか。そもそも後ろにはノアが並んでいたはず。
「あら、おはようございます。カイさん♪」
カイの焦燥など気にも留めず、少女はさも今気付きましたと言わんばかりにあっけらかんと挨拶を告げた。
一瞬だけ慈悲が枯れたような双眸でカイを
「それでは行きましょうか。ノア」
扉の影から眉をひそめて覗き込んでいるノアの手を引いて、赤毛の少女は自慢の長髪をなびかせながらその場を去った。
氷点下まで冷え切った空間が暖かく緩和し、カイはホッと胸をなでおろす。
離れていく二人を尻目に立ち上がると、今までの鬱憤を吐き出すかの如く深いため息が漏れた。
「いい加減、何なんだよあいつは……」
アン・リーネット。最もこの学園でアンという名で呼ぶ者は少ない。
皆アンリという通称で呼ぶ。本人もそれを得心しているらしい。
異性を惹く豊満なプロポーションを誇り、彫刻の様に整った相貌をしている。
何処をとってもその容姿は秀麗の一言に尽きるが、尚且つ触れがたい危険性を秘めている。
例えるならば、まさに薔薇のような少女だ。
総合成績は常にトップを陣取り、生徒達からの人望も厚い。
絵に書いたような才色兼備っぷりを発揮する彼女は、カイにとって決して届くはずもない高嶺の花。
そもそも住む世界が違う人種なのだが……。
「おい、あいつまたアンリに挨拶されたぞ……!」
「俺も一回でもいいからアンリに話しかけられたいぜ。くっそ羨ましい……ッ!」
なのにどうしたことか、最近アンリと接する機会が増えてしまった。
それを見た女子陣があること無い事有らぬ噂を流し、不運にも男子陣からの嫉妬の視線を、日々集める始末。
「はぁ……」
口から思わずため息が出る。
──そりゃ、傍から見れば羨ましいことこの上ないのだろう。
事実、最初に話しかけられた時は少なからず胸を踊らせたものだ。
……彼女の隠された本性を知るまでは。
数ヶ月前。アンリに否応なく手を引かれ、人気がない階段下のスペースに連れてこられたカイは、学園のマドンナに話しかけられた興奮よりも、まず彼女の変わりように絶句した。
真逆。そう表現して差し支えないだろう。
気高く慈悲深い『女神』などと慕われるアンリは所詮、表の顔の虚像に過ぎない。
本当の彼女は慈悲の欠片もなく、何処までも自信過剰で意地っ張りなのだ。中々に良い性格をしている。
カイは必死に彼女の変貌を何とか飲み込もうとした。
しかし、次の瞬間。アンリは畳み掛けるように、聞き捨てならない言葉を言い放ったのだ。
「今のアンタの側にノアを置くわけにはいかない。代わりにあたしがノアと一緒にいる」と。
途端、耐え難い頭痛と共に視界がぐにゃりと歪んだ気がした。
余りに情報量が多すぎる。それでもカイはのしかかる疑問を一つ一つ懸命に整理しようとした。
その時──。
『まぁ、私が物申したいのは主にアンタのノアに対する態度なのだけれど』
さらりと呟いたその言葉は、アンリにとっては本題のついで程度のものだったのだろう。
だがそれはカイの思考を全て吹き飛ばすほど、甚大な破壊力を秘めていた。
──こいつ、気付いているのか。俺が必死に隠蔽してきたことを。
そう考えた途端、身を焦がす焦燥が頭の中を支配する。気付いた時には衝動的に身体が動いていた。
『なぜ、その事を知っている──ッ⁉』
胸ぐらを掴まんとする勢いで詰め寄り、怒声を浴びせてしまったのだ。だがアンリは一切の動揺を見せず、
暫く唖然と立ち尽くし、やがてカイは純白の壁にもたれかかった。
ハハッ……。
自分のものとは思えないくらい情けない嗤い声が漏れる。
自らに対する怒りを何ら関係もないアンリにぶつけてしまった。
その後悔と罪悪感が、カイの胸を深く踏みつけた……。
そこから先はよく覚えていない。
恐らく、余りに情けなさ過ぎて自分自身が記憶するのを拒絶しているのだろう。
だが確かに分かるのは、あれからというものアンリは宣言通り自分から極力ノアを遠ざけている事だ。
強引な方法と相まって最初こそ理不尽に憤りを覚えたものだが、今となってはそんなに気にしていない。
親友と呼べる友達がいなかったノアに一人でも親しい存在ができるのは、カイとしても喜ばしい。
それに──その方が色々と好都合だった。
ざわ……胸中にいけない胸騒ぎを感じ、カイはすぐさま思考を切り替えた。
いつの間に血が滲み出そうなほど握りしめていた右拳を解くと、深呼吸と共に心を平穏に努める。
──いけない、この事は余り学園で考えないようにしなければ。
失態とばかりに嘆息と共にカイは瞼を上げた。
教室の両端に敷設された緩やかな階段を上る最中、ふと物思う。
……思えば、人気者というのは案外自分が思っている以上に大変なのかもしれない。
あんなとんでもない素顔を裏に隠しておきながら、常に周りに笑顔を振りまき、誰にでも暖かく接し、挙句の果てに『女神』などという愛称で崇められる。
そんな生活、さぞかし息苦しいことだろう。カイならば一日も持つまい。
アンリも自らの印象を保つために日々苦悩しているのかも知れない。
そのストレスがあの本性を生んでしまったのならば、普段との真逆っぷりも頷ける。
まぁ、それで彼女の本性が受け入れられるかは、また別の話だが。
──そう考えると案外、似た者同士なのかもなぁ……俺達。
若干アンリに同情しながら、カイは教室の一角の席に腰を下ろした。
因みに正面から見て最上段の右端がカイの席、その隣がノアの席、アンリはまたその隣の席である。
入学してから今まで、席順は一度として変わらない。
当初は決して接しまいと思っていたが、カイ自身──まさかこんな面倒くさい関係になるとは思いもしなかった。
これはどんな運命の嫌がらせなのだろうか。
そんな益体もないことを思いながら、カイは隣で会話に花を咲かせている二人の少女の声を聞き流して、頬杖をついて左の大窓に目を向ける。
人々の活気に満ち溢れたグラーテの街並みを見渡しながら、カイは静かに始業を待つのだった。
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