剣の生成術士と記憶回廊(メモリーロード)

はまち

1章 紅眼の悪魔

Episode1 ~天空大陸~

 ぱたんっ。

 蓋を閉じた懐中時計をふところにしまう。

 カイ・フェルグラントは、等間隔に並ぶガス灯の一柱に背を預けた。


 ここは住宅が所狭しと立ち並ぶ路地。

 春も終盤に差し掛かる時期だというのに、未だに冷たい息吹がカイの髪や服をなびかせる。


 見てくれはどこにでも居そうな若僧だ。

 目元にかかる前髪は暗い茶色。その合間から覗く双眸そうぼうは、薄灰色に染まっていた。


 しかし、その瞳には光というか、生気が灯っていなかった。

 だからか清楚で硬派な印象をうける制服に身を包んでいるが、じっと虚空を眺める少年に、近づこうとする者はいなかった。


 少年の眼前で、距離をおいた人々が流れていく中。


「カイーーっ!」

 

 すると、そんな彼を呼ぶ声が上がった。

 正面のいっそう立派な家から飛び出してきた少女が、忙しない様子で駆け寄ってくる。


 誰もが近づくのをためらうであろう空間に、いともたやすく介入してきたのは、カイとは雲泥の差といえるくらい、明るく可憐な少女だった。


 カイと似ている制服を着ているが、薄手の上着にプリーツスカートなど、着ている者の清楚さを引き立たせている。

 男性メンズ用よりも、デザインは良いと言わざるを得ないだろう。


 柔らかそうな艶髪は、爽やかな海を想起させる瑠璃色るりいろ。頭のてっぺんからは可愛らしいアホ毛が立っている。

 澄み渡る大きな瞳は、一切のけがれを感じさせぬ真朱がたたえられ。

 庇護欲をわきたてる幼さを残しながらも、節々に大人びた気品も感じさせる……柔和にゅうわな少女だ。


 カイは、そんな彼女を見慣れたように一瞥し、ため息まじりに肩をすくめる。

 

「遅いぞ、ノア」

「ごめんねっ、思ったより時間かかって……」

 

 『ノア』と呼ばれた少女は、砕けた口調で応じた。

 カイはこのノアと眼の前の一軒家に住まわせてもらっている。


 朝が超絶弱い彼女を起こすのは、いつもカイの役目であり、結果的に十分ちこくしたとはいえ、短い時間でこの格好にまで仕上げてきたのだから、かなり頑張ったほうだろう。

 

「あんまり時間がないんだ。さっさと行くぞ」


 さきほど八時半を示す鐘の音が聞こえたので、あと二十分で到着しなくてはならない。

 カイがノアを尻目に歩きだそうとした――その時。


 不意にカイは立ち止まった。

 さっきノアを尻目に見た時、何か異質なものが見えたのだ。


 振り返ってノアを見る。その首元から、銀糸で吊るされたペンダントが下げられていた。

 今までひとつ屋根の下で過ごしてきたカイでも、初めて見る代物であった。しかし、心当たりはある。


 魔成石ルーン──特殊な魔石に魔術的加工を施した代物で、何にでも使える万能道具。

 大変高価であり、帝都の市場でも出回るのは稀だとか。


 ――合ってる合ってないにせよ、学生の身分であるはずのノアが、到底もてる代物ではないはずだが……

 

「? えっ、え、わ、ひゃあ──っ⁉」

 

 じっと見つめられ、流石に何処を凝視されているか悟ったらしい。

 手がかすむほど素早く、ノアはペンダントを無理やり制服の中に押し込んだ。

 制服のシワなど気にしまいとする挙動は、明らかな焦りが滲んでいる。

 

「み、見た……?」

「……いや?」


 上目遣いで見つめているノアをよそに、そっと彼女から視線をそらす。

 二人に異様な沈黙が流れる。

 ペンダントの事に言及すべきか、カイが迷っていると。

 誰でもないノアの弁解が、沈黙を破った。


「こ、これは違うの! えと、あの、あわ、あわわわわ……」 

「…………」


 哀れとしか言いようがない慌てっぷりに、カイは沈黙するしかない。

 あからさまな反応と、いつまでも言葉を詰まらせるさまは、もはや図星であると自白している様なもので……。


 もう黙っていた方が、これ以上墓穴を掘らずに済むんじゃないか。

 カイが本気で止めようか逡巡しゅんじゅんしていると――不穏な予感が芽生えた。


 無理に言い訳をしようとする(全く出来ていないが)という事は、あのペンダントに対して何か後ろめたい事があるのではないか、と。

 カイは一瞬だけ、最悪の結論に到達してしまいそうになるが、すぐに否と切り捨てる。


 常に自分より他人を気遣い、誰にでも優しく振る舞う。そんな献身的な性格こそ、ノア・エルメルという人間の本質なのだ。


 それはカイ自身がよく理解している。 

 ──俺が信じてやらねば、誰がノアを信じるんだ。

 ただ一人、彼女をのは自分だけなのだ。


 ノアが悪行に手を染めるなんて、冗談でもありえない。

 それを分かっていながら尚も疑うのは──俺のに反する。

 

「…………」


 二秒にわたる思考を終えて、カイは目を開く。

 そしていまだに慌てふためく青髪の少女に背を向けると、カイは何事もなかったかのように言った。

 

「とにかく、さっさと行くぞ。遅れちまうだろ」

「えっ? あ、そう……だね……」


 いまさら羞恥心が湧いてきたのか。

 ノアはすっかり押し黙って、うつむきながらトボトボと傍らに並んできた。


 耳まで真っ赤になったその顔を、カイはあまり見てやらないようにしながら、路地を歩いて行くのであった。

 

 

 

 虚空の蒼穹そうきゅうを背に浮かぶ、不均衡ふきんこうに分裂した天空大陸。

 裂かれた大陸のうち、巨大な大陸に国土を構える《ウーラノス帝国》は、その広大な面積がゆえ──四つのエリアに分けられている。


 中でもカイ達が住む《グラーテ》は、東エリアの市街地で、屈指の人工と面積を誇る。

 十字に伸びる大街路と、入り組んだ路地、横断する美しいワーテル川で構成されている。



 カイ達は自宅のある路地を抜けて、大街路に入ろうとしていた。

 眼前に広がる往来の荒波に、カイは嘆息の一つも吐きたい気分だった。


 天空大陸のほぼ中心部に設置されているという立地から、他所よそエリアとの中継貿易が盛んに行われているグラーテ。

 とくに早朝から昼過ぎまでは、多くの商人や旅行客、住民が集う大街路は異様にごった返すのである。


 ため息を吐き、カイは隣にいるノアに手を伸ばす。

 

「ノア」

「うん」

 

 一言。二人が交わす最低限の会話は、それで十分だ。

 ノアはカイの言いたい事を見透かすように、差し伸べられた手をぎゅっと握った。


「離すなよ。今日は一段と激しいからな、飲み込まれたら終わりだ」

「……うんっ」


 差し出した手をいっそう強く握るノア。

 彼女に笑みを返して、カイは再び目の前の往来に目を向けた。


 人間二人が入れそうな隙間を見出し、そこに入り込む。そして、カイは小さい手を握りながら、行き交う人々の間を縫うようにして進んでいく。

 ――我ながらなれたものだ。

 カイが自画自賛する。もはや、通学時の恒例行事である。


 そうして三分ほど掛けて、やっと多少なりとも開放感のある空間にたどり着いた。

 ここは噴水広場。グラーテの十字の大街路はここを中心に伸びている。


 額ににじむ汗を拭い、二人が更に北へ歩を進めると、やがて人通りが大分減ってきた。

 周りにはカイと同じ様な制服姿の学生が、ぽつぽつと歩いているばかりである。


 ……さて。

 それはそれとして。道行く人達から注がれる視線に耐えきれず、カイは遠慮がちに告げた。

 

「……そろそろ離してくれないか?」

「えっ⁉ あ、ごめん⁉」

 

 無意識で手を繋いでいたのか、ノアがぱっと手を離す。

 物惜しそうに自分の手を見つめる彼女を横目に、カイは目的地に向かって歩くのであった。


 緩やかな上り坂のいただきに屹立きつりつする、壮麗たる巨大な建造物に向かって――。



 頑丈そうな鉄柵てっさくに囲まれた広大な敷地。

 その中心には、円錐の屋根が特徴的な、全貌ぜんぼうが純白に染め上げられた校舎があり、天日を反射して神々しく輝いていた。


 広大なグラー手の街並みとて、これ以上に荘厳そうごんたる建物は存在しない。


 《グラーテ魔術学園》――名のごとく魔術の類い、主に攻撃呪文ソルセリーを教えている魔術学校だ。

 ウーラノス帝国でも、四つしかない魔術学校の一つであり、カイ達が日々通っている学び舎である。

 他の魔術学校とは違い、この学園の歴史は百をゆうに超す。


 だが、さかのぼること三年前――。

 突如、ウーラノス帝国を襲った最悪の《厄災》。

 その被害をことごとく受けてしまい、学園に造設されているほとんどの施設が改装を余儀なくされたという。


 よって、カイ達二年次生はそれが完了した直後……つまり、約二年半前からこの学園に通っているのだ。


「──何で校舎をじっと見てるの?」


 声を掛けられると、ノアがカイを覗くように見つめていた。

 はてん、と可愛らしく小首を傾げる。その拍子に、頭のアホ毛が跳ねた。


 ――刹那。ふと、カイの脳裏にが浮かんだ。

 そこにはの姿。その表情にはうっすらと――。


 紅の花弁が舞い散るのを幻視した所で、カイはハッと我に返った。

 そんな様子を見て、ノアが本気で心配そうに眉をひそめる。


「……大丈夫? なんか一瞬意識とんでたけど」


 苦笑するノアの顔は、いつもと何ら変わらない。

 そう。ずっと……変わっていない。

 朱い瞳に映る自分の顔は、力強い眼差しに引き締まった表情をしていて。


 そんな――彼女の瞳に映る自分の姿に、カイは目を背けた。


「すまん。少しぼーっとしてた」


「もう、ちゃんとしてよ? あんまり上ばっか見てたら転んじゃうんだから」

 

「……ははっ、何もない場所で転ぶノアに言われちゃお終いだな」

 

「そ、それは……偶々たまたま! 私言うほどドジじゃないもんっ!」

 

「はいはい。ほら、喚いている暇があったら、行くぞ」


 やれやれと先に行くカイ。

 ぷくっと頬を膨らませながら付いてくるノアを尻目に、一瞬だけ眼を伏せて。

 ――心の奥底で、こんな何気ない日常を深く噛みしめるのだった。

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