Episode15 ~怒りの闘志~
……その時、カイの中の何かが音を立てて瓦解した。
冷静にならなければならない理性より、胸中から燃え盛る憤怒の方が勝ってしまった。
煮えたぎる灼熱の如き怒りが、カイの思考を紅く侵食する。
見せつける様に奥歯を噛み締め、拳を血が滲みそうなほど握りしめる。
そんな怒りに震えるカイに、何か良くない予感を悟ったアンリが咄嗟に声を掛けようとするが──時すでに遅し。
「き、さま……ッ! 《クリエイション──ウル・エンハンス》──ッ‼」
カイは怒りに飲まれるがまま地を蹴り飛ばすと共に、一心不乱に呪文を叫んでいた。
すると、何処からともなく現れたマナ粒子がカイの両手足に吸収され──仄かな暖かさを感じ取ると、足を踏み込んで更に疾駆を加速させる。
元々は生成術の補助魔術として近時期に開発された
カイが一陣の突風のように疾走していく。
そして僅か三秒を数えないうちに不審者に接近し、その背中を捉えた。
ガッ! 左足を地面に埋め込む勢いで踏み込み、その助力が全身の
瞬発的に生み出される爆発せし一閃。
不審者が今更気付いて何しようが、全てが遅い。
既に剣を振り抜いたカイの方が、あらゆる疾さで勝っている。
烈火の如く、下段から斜め上段へ弧を描くように振り上げられた薄青色の長剣が、不審者の首を跳ね飛ばさんと──
ギンッ!
しなかった。
金属音が唸り、刀身が何かに阻まれたのだ。
それと同時にカイの荒ぶる疾駆が停止し、血が登っていた頭が瞬時に冷却する。
──何やってんだ俺はッ⁉
自らに叱責を浴びせながら、脊髄反射で大きく跳び下がる。
その刹那。カイの視界を猛烈な白刃が灼いた。
はらり、と。前髪を少し斬り裂いたそれは、先程長剣を阻んだ金属質な手応えそのもの──禍々しい
馬鹿な──カイは目先の光景に我が眼を疑った。
不審者は変わらず、ノアの方に目を向けている。
そもそも剣を抜刀する素振りも見せなかった。その隙も与えていない。
なのに、その細剣は確かにカイの一撃を防いだのだ──ひとりでに揺れ浮く剣となって。
靴底を滑らせるように着地して、カイは再び浮遊する細剣を見据える。
……あの細剣は何かが違う。
形もそうだが、色も影人形が携えていたものとは比べ物にならないほど、色濃い闇を纏っている。
そもそも、剣がひとりでに浮遊している時点で異様極まりないのだが。
あの剣に気をつけろ、と。カイの中で
すると、やっとおもむろに踵を返した不審者が、その血に濡れた瞳でカイを冷たく睨みつける。
「チッ……ウザいんだよ……事後処理が面倒だから死体は作りたく無かったんだがな。
もういい。心底機嫌が悪い俺に無謀に突っ込んできたのが運の尽きだ。
──ここで死んでもらう。人間」
不審者が宙を揺らめく細剣の柄を握り、振り払う。
問答無用。完全臨戦態勢へと移行した紅眼の悪魔に……カイは以外にも内心胸をなでおろしていた。
──不審者をどう倒すか。カイはずっとそれを思索していた。
まず最初に思い浮かぶのはアンリが行使してみせた聖性
何故なら、アンリが唱えた呪文が四節だったからだ。
汎用魔術の基本術式は、どれも一括して二節──マナ放出術を含めると三節で構成されている。
それを四節で起動したということは、あの呪文にはアンリの何かしらの
故に模倣しようとも、元の術式を知りもしないカイでは起動することは困難……不可能に近い。
──そう。正直に言うならば、不審者にどう有効打を与えるか……それが行き詰まりだったのだ。
だが、有ろう事か不審者は自ら細剣を手に取り、カイとの白兵戦を選んだ。
ならば何も心配いらない──白兵戦は生成術が最も得意とし、いわばカイの独壇場なのだから。
「何処からでも来るがいい。一撃で決めてやる」
尚且つ敵は、咄嗟の防御が最も遅れるであろう大上段に剣を構えてきた。
何か裏があるんじゃないかってくらい有利な状況。
だが、
これを逃せば、不審者は二度と油断を見せなくなるだろう。
そもそも不審者がその気になって
こうやって同じ
──互いが実力を見定め合う最初の一合いが不審者が大きく隙を見せる瞬間であり、カイが有効打を叩き込める唯一の隙。
つまり、この一合で勝敗が決するといっても過言ではない。
ならば──己が最高の一撃で打ち倒すのみだ──ッ!
その刹那。カイが爆ぜるように疾走すると共に高く跳躍した。
空中で身体を畳んで、前傾姿勢で不審者を見上げて──足底の虚空に台を生成すると、それを思い切り蹴飛ばして滑空。
生成術を用いた、目にも留まらぬ電光石火の如く早業によって、次の瞬間、カイは不審者の背後に着地していた。
生成物を足台とする三角跳び。
常人ならば絶対に予測することも、対処することもままならない初見殺しの荒業。
生成術士のカイでしか為し得ない所業。
不審者がそれに気づく頃には、カイが身を
殺った──ッ!
カイは心中で確信した。
大振りに薙いだ渾身の一撃が、吸い込まれるように不審者の背中へ迫る。
尾を引くように白刃が迫り、迫り、迫り──。
ぞわっ。意識の片隅から鋭敏に殺気を感じ取り、カイは咄嗟に腕を前に引いて防御へと移行した。同時に思い切り身をひねる。
すかさず、予測どおり担い手から離れた細剣が正面から切り込んでくる。
だが、その剣筋には既にカイの長剣が構えられている。
迫りくる細剣と青白い刀身が、轟音と共に衝突した。
──ように思えた。
ひゅぱっ! 次の瞬間、何故か剣を盾としたはずのカイの身体から血の華が咲いていた。
「なっ──⁉」
がくり、と。自らの血溜まりの上に膝を付いて、カイが驚愕とする。
咄嗟に身をひねったお陰で致命傷は免れたが、それでも傷は決して浅くはない。
だが今はそんな身体の心配よりも、一つの疑問が脳内で渦巻いていた。
──確かに、敵の細剣は見えていたはず。
敵の軌道を予測し、その間に刀身を割り込ませた……本来ならば、
だが右手には弾かれた衝撃はない。何かが通り過ぎた感触も感じなかった。
なら何故、自分の身体はこうもあっさり斬られている?
「ごほ……ッ! がは……ッ⁉」
何かもが分からず、困惑に飲まれたまま吐血するカイ。
不意に頭上に感じる凍てつく殺気。
まるで考える隙を与えぬように、再び不審者が細剣を大上段に構え──無造作に振りかぶった。
「クッ──⁉」
膝を付いてしまっているカイに逃げ場などない。
その場しのぎで、絞り出した余力で自らの長剣を細剣に打ち付けて身を守ろうとするが──。
「無駄だ」
──細剣は、まるで阻む長剣など無かったかのように鮮やかな
鮮血が多量に舞い散る。灼熱が
「……あああああああああああああああァァァァ──ッ⁉︎」
途端──カイは無残にも絶叫しながら力なく地面に倒れ伏していた。
痛い、痛い、痛い、痛い──ッ⁉
鋭い熱が全身を
肉が、脳が、精神が、想像を絶する激痛に一瞬で飲まれた。
──ま、ず……い……。
突然だが、生成術で生成した物体は、術者の精神力によって形成が保たれている。
屈強な精神を持つ者ほど生成物はより強固となる。無論、その逆も然りだ。
精神力とは、人間の中にある深層心理。理性に囚われず、感情のままに本性を表すものだ。
故に──些細なことで簡単に塗りつぶされてしまう。
……そう。例えば……痛みとか。
カイが気付いた時にはもう遅かった。
一度途切れてしまった深層心理の意識は、簡単に塗り替えるものではない。
無慈悲にも先端から消滅していく己の愛剣が、カイの戦意喪失を明白に証明していた。
……武器を失った。もう完璧な長剣を生成できるマナも残っていない。
即ち──カイの完敗──その先にあるのは、必然なる死。
やっと細剣の正体を掴んだったいうのに……カイが歯噛みする。
不審者に斬りつけられる寸前、確かに見たのだ。
──物体をすり抜ける剣。
不審者の細剣を称するならば、正にそれだ。
刀身が衝突するその一瞬だけ、細剣は煙のように気体化してすりぬけ、再び瞬時に固形化することで、肉体だけを斬り裂いていたのだ。
最早、それでは最早カイの剣など無力。意味をなさない。
攻撃されようが防御されようが、不審者は剣を無造作に振るだけでカイを八つ裂きに出来てしまうのだから。
……思えば、元より勝敗は決していた。
不審者はカイとの白兵戦を選んだわけではない。
そもそも、まともに戦闘する気すら
不審者はただカイを一方的に虐殺することだけを考え、細剣を握ったのだ。
勝てるわけが──なかった。
最初から彼我の実力差は圧倒的だったのだ。
カイが逆立ちしてもとても届かないくらいに。
──何でそれを埋められると錯覚してしまった?
──何故自らの腕を慢心してしまった?
どれだけの努力を積んでいようと、雑魚が背伸びした程度にしかならなかった。
所詮は無能の生成術士でしかない自分が……勝てるわけがないのだ。
「クソが……! ふざけんなよ……ッ‼ なんだよ物体をすり抜けられる剣って……そんなのアリか……ッ⁉」
地べたに這いながら吐き捨てるカイの言葉は、最早、負け犬の遠吠えでしかなく。
何処までも滑稽な有様であった。
「フン。……やっと貴様にも分かったか。まぁ今更気付いた所でだがな。
今度こそ息を断ってやろう──死ね、人間」
地に伏せるカイを何処までも冷酷に斬り捨てるように見下しながら、不審者は
死の宣告。死神の鎌が今まさに自分の上にある。
──死が目前に迫っている。カイは見なくてもそんな予感を感じた。
(……すまん、ノア……やっぱ、約束は守れそうにねぇや……)
どうせこのまま放置しても、いずれ多量出血で死ぬ。
生きる道は完全に途絶えた。それが自然死だろうが、今ここで首を跳ねられようが、結果は変わらない。
運命がひっくり返らない限り、俺は死ぬ。
……しかし、唯一解せない事がある一つだけある。
どれだけ足掻こうが、どうせ死ぬ。
恐らく、何処までも残酷な死を迎えるだろう。それは変わらない。
──でも、それでも。
俺には絶対に果たさねばならない使命がある。
このまま死ぬくらいなら。最期までその誓いのままに死に逝こう……。
ふっ、と。カイは何処か自虐的に、決然と笑う。
無論、勝てる術なんてない。勝てるとも思わない。
だが、負けないのなら、まだ手はある。
──こんな俺でも、一矢報いることくらいなら出来る──ッ‼
「──あああああああああああああああああァァァァ──ッ‼」
刹那。カイは余す力を限界を越えて振り絞り、咆哮しながらズタボロの身体を起き上がらせた。
瞬時に──カイの右手に生成された不完全な短剣が、迫りくる細剣に吸い込まれるように接近する。
「だから無駄だと──」
呆れるほどの愚行。余りに無意味で空虚な最後のあがきだ。
性懲りもなく突撃してくる人間に、不審者は
「《──ウル・エンハンス》──ッ!」
瞬間。カイが吐血と共に叫んだ。
軽くなった身体で血に濡れた地面を蹴り飛ばし、ただの煙と化した細剣を払いのけて、カイが不審者へと肉薄する。
当然、細剣はカイの背後で像を揺らめかせたままだ。
「なっ──⁉」
その時、初めて不審者の顔が焦燥に染まる。
そう。細剣が気体化するということは、その一瞬だけ自らの武器を一時的に失うようなものだ。
つまり、完全な無防備。有無を言わせず攻撃に徹しれるその行動こそが、最大の隙だったのである。
その僅かな一瞬を──カイに突かれたのだ。
「クッ──!」
咄嗟に、不審者が固形化した細剣を逆手にして、カイの背中を貫かんとするが──。
同時にカイの左手がかすみ動き、細剣を携えた不審者の右手を、弾き飛ばしていた。
そのアドバンテージは余りにも大きかった。
再び不審者が、細剣を構え直せるほどの悠長な時間などない。
実質的に、その行動だけで唯一の武器である細剣を、無力化されたのであると──不審者は悟らざるを得なかっただろう。
──その間、僅か一瞬にも等しい攻防。
入念に計算し尽くしたカイの捨て身の一手。
あまりに予想外。あまりに規格外。
これには不審者も戦慄を覚えずには居られなかった。
「クッ──⁉」
とうとう万策尽きたように、不審者が後方へ飛び退こうとする。
が、カイも
「逃がすかあああああああああああああああアアアアア──ッ‼」
その切っ先が、吸い込まれるように不審者の心臓を穿たんとする──!
────。
……一つ。洞窟内に何かを刺し穿つような鈍い音が上がった。
一瞬にも似た、永久にも思える静寂の末。
……勝敗は──決していた。
…………何と、カイの身体は突如地面から突起してきた黒い槍によって、深々と貫かれていたのだ。
カイは全く状況が飲み込まえず、自分の身に何が起こったのかすら暫く分からなかった。
だが、これだけは分かる──同士討ちは失敗に終わったのだと。
……最期の足掻きも虚しく、結果カイにとって残酷な結果だけが残ってしまったのだ。
「ガハッ……!」
何も飲み込めず、だが何もかも諦めた様子でカイは目を剥いて鮮血を吐くしかない。
その眼前で、不審者が脂汗を垂らしながら安堵の息を吐いた。
「ふぅ……さっきのは危なかった……俺も保険がなきゃ一緒に死んでいた」
「ほ、けん……だと⁉」
身を射抜く槍から解放され、ばしゃりと再び血溜まりに倒れ伏すカイが、絞り出したような声で問いかける。
「本当に追い詰められた時の保険だ。
最も使う気は
何時から仕掛けていた──とは聞かない。
恐らく、最初からだろう。
カイ達が此処に来る前から
実際に──不審者は最初から一歩もその場を動いていなかった。
……最初から何もかも、不審者の方が一枚上手だったという事である。
「……このままにしておいてもすぐ死にそうだが、また何を仕出かすか分かったもんじゃないからな。念の為だ。確実に首を跳ねる」
カイの首筋に冷たき細剣が突き付けられる。
途端。全身に血の気が引くような感覚が走った。
果たしてそれは、体内の血が尽きることの暗示なのか、それとも単純な死の恐怖からなのか。
どちらにしろ、結局何も出来ずに死ぬしか無い無残な運命に、耐え難い悔しさを残しながら……。
最後にこの世で一番大切な人へ謝罪をして。
おもむろに瞼を閉じながら、カイはその時を待とうとした──瞬間。
「なッ──⁉」
不審者が先程よりも切羽詰まった声を上げる。
それもそのはず──不審者の右胸には、音もなく飛来した純白の光線が貫いた細い穴が空けられていた。
しかも身体を貫いたにも関わらず、血が出ていない。
純白の光線も含めて、恐らくは聖系の
様々な疑問がよぎる中、カイが何とか首を動かして、恐る恐る背後に目を向けた瞬間であった。
「……失敬。久しぶりにこんな遠距離から撃ったものだから、心臓を外してしまったよ」
──周りを凍てつかせる威圧感を持ちながらも柔和な声色が、洞窟内に響き渡る。
そして、不審者の右胸を貫通した張本人が姿を露わにした。
『──ッ⁉』
その全貌を目の当たりにし、その場にいる全員が息を呑んだ。
いきなりの乱入者は、肩で風を切って唖然とするアンリの傍らに立ち止まる。
淡い金色に染まる髪、宝玉の如く煌めく
そして身を包む豪勢で気品溢れる礼装──その全てが、見る者に只ならぬ印象を刻み込むようだ。
あらゆる穢れを払う白き貴公子……そんな印象であった。
更に純白と黄金色に配色された服装の上には、魔術的加工が施されているであろうコートを羽織っており、その隙間からは、天使の羽が中心のクリスタルを優しく包み込むような紋章が垣間見えていた。
……それは、魔術士ならば誰もが絶対に知っているであろう紋章。
「──ああ、自己紹介が遅れてしまいました。
私は《空挺軍》副司令官
……以後お見知りおきを」
言いながら、右手を軽く胸に添えて優雅に一礼をするアデル。
──そう。あれは、カルエラ帝国
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