Episode16 ~空挺軍 アデル・レーヴェン~
アデルは確かに言った。
自分が《空挺軍》副司令官であり、更に聖堂教会の教皇である、と。
それ即ち、空挺軍第二権限を所有し、聖堂教会を統べる長であるという事だ。
その場に居る全員が我が眼と耳を疑わざるをえなかっただろう。
何故なら、アデルが述べることが事実ならば──
──まず、空挺軍が出撃すること事態が
街の
それでも事態の収束が困難な場合、王宮の女王陛下が出撃命令を下し初めて、空挺軍がその場へと赴くものなのだ。
いわば空挺軍はウーラノス帝国の切り札。
余程の正念場で切る
そもそも、カイ達は出撃要請を出してもいない。
もし、学園の誰かがあらゆる魔術的伝達法を用いて、迅速に王宮へ要請を送ったとしても、いくら何でも速すぎる。
空挺軍がこの場に居るには、事前に不審者の計画を察知し、数日前に中央
それでも尚、眼前に空挺軍がいるという信じがたい現実に、不審者が焦燥に駆られたように歯嚙みをする。
(何故だ……ッ⁉︎ 街の警邏隊も央帝警備庁からの派遣も──全部すっ飛ばして空挺軍を出撃させるだと……ッ⁉ そんなアホな……ッ⁉)
そう。ありえない。一体何のためにこんな郊外の森林を選んだのか。
何処から情報が漏れた? 最初からこちらの計画が筒抜けだったのか?
様々な疑問が頭をよぎるが、不審者にとって注視すべきはそこではない。
──まさか、寄りにも寄ってこいつが来るとは……。
不審者がアデルを忌々しい化物を見るような眼差しで睨みつける。
珍しくその血に濡れた瞳孔が微かに震えていた。
「何故、空挺軍がこんな所に居る……?」
思わず失笑混じりに問い掛ける不審者。
最早、先程までの威容は皆無であった。
「なに、偶然悪魔の気配がすると想って来てみたら、君が居ただけの事ですよ。こうやって対面したからには覚悟してもらいますよ。
……私は悪魔には容赦しない。それは君の重々承知ですよね?」
「分かっているさ……今だけは、貴様に相まみえたくなかった……ッ!」
対峙する二人の間の気温が、まるで氷点下まで引き下がったように凍てついた。
緊迫とした不穏な空気感が周囲に
──先程の意味ありげな会話からして、二人は顔見知りなのだろうか。決して穏やかな関係ではなさそうだが。
などと、カイが益体もないことを頭の片隅で考えていた瞬間。
もう雑談は終わりだと言わんばかりに、アデルが臨戦態勢を移行し、形相と声色を一変させて呪文を唱えた。
「《聖光──パラディション・レイ》──ッ!」
即座にアデルの
迅速で正確な魔術展開だ。工程に一切の無駄がない。
だが──。
「「
余りにあっさりと為して見せたそれに、カイとアンリと視線が釘付けになる。
カイに関しては、とうに傷のことなど眼中にないようであった。
数ある起動法の中で最高峰の難解度を誇り、習得法や変語パターンは個人によって異なるため、秘められた才能と経験が物を言う業だ。
それだけでも超一流の魔術士でも不可能なくらい高位なのに、このアデルという男は──更に術式を組み換え
純白を纏って
魔術陣を展開しただけだというのに、周囲の大気を揺るがし、飲み込まんとするそれは、更に白光を強烈に
轟ッ! 凄まじい閃光が射出された。
側にいるだけでも消滅してしまいそうな超威力の魔術だが、その進行はあくまで静寂──流れ星のように尾を引いて音もなく進み行く。
「チィ──ッ⁉」
その絶大な能力がゆえ、『鈍足』なのが唯一の聖系
一瞬にしてカイ達を飲み込んだ。
しかし、肝心の不審者は寸前で高く跳躍してそれを回避していた。
いや、跳躍どころではない。
聖系魔術の白に塗りつぶされた世界から解放され、カイが頭上を見上げる。
──翼だ。
高く飛び上がった不審者は、その背中に見るも
恐らくあれも《黒い影》を凝縮させて形成したのだろう。翼の暗黒の中には不気味な模様が禍々しく揺らめいているのが見える。
その姿は……正しく
「なっ、なに……あれ……」
竦み上がりか細い声を漏らすアンリを尻目に、アデルは一切の焦燥も見せず淡々と口を開く。
「あれは、
恐らく、あの黒い影もその力で体現している物でしょう」
──曰く、
更に通常の
だが、
──つまり、半永久的に行使しまくれる魔術。
常に複雑で難解な呪文を必要とし、魔術法則に囚われ、マナの制限もある魔術士にとっては、正に夢のような力だ。
「……ですが、
私が知りうる限り最大の所有数は二個……恐らく、彼も
何故そんなに詳しいのか、と思わざるを得ないほど解説を捲し立てるアデル。
すると、不審者──もとい悪魔が痺れを切らしたように、声高に叫んだ。
「いらん解説はそこまでだッ!
《影よ──連なる細槍となりて我が敵を穿て》──ッ!」
ズオオオ……。突如、下された命令に応じるかのように悪魔の周囲に次々と細長く鋭利な結晶を形成されていく。
そして悪魔が腕を横に薙ぐように振ると、それが合図のように。
数十本に渡る結晶が一切にアデルを捉え──一切に曲射した。
流星群の如く容赦なく飛来する結晶群。その切っ先が冷たく光る。
見るだけで分かる。かなりの
つまり、施術の仕様がない絶命。即死だ。
その無残極まりない惨状を想像し、アンリが身を震わせる──が。
「こんなもの、
有ろう事か。アデルは自らの斬り裂かんと迫りくる結晶群に微動だにせず、軽快な物腰でその場に膝を付き、地面にそっと手を触れる──
ぶわっ! アデルの礼装の裾を僅かに揺らして地面一帯にアンリをも飲み込む巨大な魔術陣が瞬時に展開された。
「《聖陣──オーバー・レイ》」
突如、洞窟内に目も眩む純白の柱が上がった。
正確には、魔術陣の端をそうように光線が立ち上り、円柱の壁となって二人を包み込んでいるのだ。
そして──連なる結晶群が壮絶な衝撃と共に、猛然と幾度も純白の柱の衝突する。その度に柱が微かに揺れ、衝突した箇所から衝撃の波紋が広がる。
だが、それだけだ。
威力と衝撃に反して結晶群は余りに呆気なく、溶けるように消滅していく。
──闇性と光性は、互いに弱点同士だ。闇が光を飲み込むこともあれば、光が闇に飲まれることもある。
故に、この二属性の勝敗は術者の単純な技量と力量によって左右される。
アデルのほとんど
「なっ──ッ⁉」
余りに無力に次々と消滅していく結晶群に、さしずめ悪魔も目を剥かずにはいられなかった。
悪魔は大きく見限っていたのだ。アデルの驚異的な魔術と、彼我の実力差を。
岩をも軽く穿つほど、超絶な威力を誇る結晶群は、アデルによる光の壁によって全て消滅──無に還された。
それと同時に展開された魔術陣が消え去ると共に純白の柱も消滅する。無論、中にいたアンリとアデルは全くの無傷である。
「これで分かったでしょう。今の貴方は決して私には勝てない。
それとも今からでも地に降りますか? まぁ十中八九、私が速いでしょうけど。
──貴方に勝機はありません」
粛々と言い放つアデルの声色は鋭く厳しい。丁寧な口調も、今だけは余計に威風を感じさせた。
アデルの言う通り勝機がないと悟ったのか、悪魔が拳を震わせながら、忌々しそうに不敵な笑みを浮かべる純白の貴公子を睨みつける。
「グッ……! 《影よ──その虚無の貌身にて群れよ》──ッ!」
──再び影に命令を下した。
瞬間。悪魔を中心とした荒れ狂う竜巻が出現し、爆ぜるように広がると、洞窟内を余すことなく漆黒の影が満たされる。
カイ達の視界が光なき暗黒へ塗りつぶされ、完全に視覚を遮断されてしまった。
「なっ⁉ けほっ、こほっ⁉ こ、今度は何ッ⁉」
煙となった影を飲み込んでしまったのか、困惑しながら咳き込むアンリと。
「クソ、逃げるつもりかよッ⁉」
逃すまいと決死に立ち上がろうとするが、身体は応えてはくれず、再び無残に倒れてしまうカイ。
そんな動揺を隠しきれない二人に対し、石像の如く動じない者が一人。
彼ほどの力があれば、この霧を一瞬で晴らすことも可能だろう。
だが何故か、アデルは仁王立ちに佇み自然と霧が晴れるのを待つのみであった。
…………。
……。
やがて、視界を埋め尽くす黒い霧が晴れると、やはり悪魔の姿は
「……どうやら、逃げられたようですね」
恐らく、はなから逃がすつもりだったのだろう。
白々しく嘆息を吐いて、アデルがやっと動き始める。
そうして洞窟内の最奥──倒れ伏すカイの傍らに膝を付くと、貫かれた傷口を見やる。
「これは酷い……《聖癒──キュア・ラディウス》……」
アデルが傷口にえ手をかざして唱えると、眩い
流石は聖堂教会を統べる教皇といった所か。
街の医術師も腰を抜かすような迅速で繊細な施術に、後から追ってきたアンリも目を剥いて見やっていた。
カイが全身にやんわりと広がる温かい感覚に浸っている間に、施術は終わったらしい。
何事もなかったように身体を起こして、目を白黒させながら身体中を見渡していると。
「あ、あの……教皇様。助けてくれてありがとうございます。この御礼はいつか必ず……」
それを尻目に、アンリが緊張に強張った表情で膝を付き、深々とアデルへ敬礼していた。
その様に、改めて眼前にいる人物が只者ではないとひしひしと感じられる。
「いえ、頭を上げてください。私も仕事で来ましたから、お気になさらず。それに民間に救いの手を差し伸べるのは聖堂教会の人間として当然のことです」
アデルはその細顔に満面な笑みを浮かべて、紳士的に対応するのであった。
感無量とばかりに
──ん、あれ?
そんなアデルに対し、カイは不意に嫌な感情を覚えた。
微かだが、胸中に嫌悪感に似た何かが渦巻いている様な感覚。
無論、アデルとは会ったことなど一度もない。これが初対面なはずである。
それに命の恩人でもあるのだ……嫌悪感など覚えるはずがないのに。
頭ではそう分かってはいるものの、一向に異様な感情は収まる気配はない。
なのに何なのか、この胸を焦がすような感じは。
カイがその答えを導き出そうと──。
「ノア────ッ‼」
突然、悲鳴にも似た甲高い叫び声が耳をつんざき、カイはびくりと我に返った。
見ればどうやら、邪悪な鎖から開放されたノアが、涙ぐみながら飛び出したアンリによって固い
すると、開かれた
「……カイ……? アンリも……あれ、貴方は──」
ノアの言葉が愛ある抱擁によって途切れる。
本当ならば、状況に追いつけずに目を丸くしているノアに、色々と説明した方が良いのだろうが……。
「ノア……ッ! 良かった……っ、本当に良かった……ッ‼」
「アンリ……苦しい、苦しいよ……」
彼女なりに相当責任を感じていたのだろう。目尻から溢れる大粒の涙が親友への想いを物語っていた。
一方、ノアが苦しそうに、だが満更でもなさそうに顔を歪めるが、アンリは抱擁を緩める気は更々無いらしい。
──まぁ、もう少しだけ見ているのもいいだろう。
微笑ましい二人を眺めつつ、カイとアデルはほくそ笑むのだった。
程なくして。
アンリによる抱擁が解かれ、事情を説明し終わると、ノアがアデルの前に立って律儀に頭を下げる。
……因みに、ノアのあられもない格好は、色々と見るに堪えない姿だったので、カイが上着を羽織らせていた。
「助けてくれて、ありがとうございました。アデルさん」
「俺からも、礼を言わせてくれ。……正直、アンタが来なけりゃ俺は死んでいた」
「そっ、それで……何故教皇様はこんな所にいらっしゃったのでしょうか?」
カイと接する時とは違う、優等生の顔を被ったアンリが緊迫した様子で問いかける。
普段とのギャップに呆れ気味に肩をすくめるカイと、その様子を苦笑いしながら傍観するノア。
しかし次の瞬間、思いもよらぬことをアデルが言った。
「実は伝言を頼まれていましてね。
カイ・フェルグラントとノア・エルメル。……貴方達の記憶に関して」
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