編集部の日常
オオカミ、またはハイエナ。
編集部にあまり友好的でない態度をとる者の間では、編集部部員を皮肉たっぷりにそう揶揄することがある。しかし当の部員たちはその呼び名を蔑称だとは思っておらず、むしろ肯定的に捉えていたりもする。
たとえば新入生や学外に向けた部活紹介。各部の退屈な紹介文の中に『文芸部』もまた同じく平板な文体で『アットホームな雰囲気』だの『明るく活動的な部活』だの『個人の感性を生かしてスキルアップ』だのと詐欺めいた真っ黒い紹介文をしれっと載せるあたりがまさに羊の皮を被ったオオカミであるし、さらに実際の活動内容を見てみれば『学内のあらゆるリクエストに答える』と表面上は気前がよいが、ことにあたっては相応の対価をしっかり求めるがめつさを持ち、何処かでオイシイ話が持ち上がれば便所の中であろうと嗅ぎつけて首を突っ込むハイエナのような習性を備えている。
故に影で囁かれる批判に対し「まあ事実だし」と開き直りの態度を部員たちは決め込むのだが、そのような編集部の気質を作り上げたそもそもの要因はなにかと考察するならば、編集部のモットーにその一端を求めることができるだろう。
『Vita Sine Litteris Mors Est(文学のない人生は死である)』
専ら公式な場において『文芸部』らしさをアピールするために用いられるモットーであるが、それとは別に、『編集部』としての非公式なモットーが存在する。
『噛みつけ 歯型を残せ』
発案者不明のこの文言は、創部間もない頃から部内でのモットーとして唱和されてきた。意味としては「何事にも積極的に挑戦し、しっかりと思い出を残そう」程度のものなのだが、いかんせん語調が好戦的だ。それはまるで教育期間中の新兵に浴びせる罵倒のように、繰り返し唱えるうちにある種の陶酔を抱くようになる。何事にも鼻が利き、舌鋒は裂肉歯の如く鋭く、暗闇の中では眼が光り、踵をつぶした上履きからチャカチャカと爪音さえ聴こえる気になる。
故に、編集部部員はオオカミやハイエナという言葉を表面上は嫌いながらも、心の何処かでは嬉しく思っている。なぜなら彼らにとってそれは他者からの承認にほかならないのだから。
そしてそんな歯型のコレクションである活動記録を紐解くのが、
記録には編集部として行った活動の内容と、それ関わった部員による手短な所感が記されている。陽の目的はもちろん、ゆーこの残した歯型だ。
とはいえ、そこに記される過去は多少都合よく加工された、言ってしまえば『虚構』である。
なんたってハイエナどものやることだ。それ相応の浅ましさと、グレーとブラックを嬉々として反復横跳びするような悪ふざけが多分に含まれているわけだが、当然そんなことは公式な記録に残せるはずがない。バレンタインデーに教室棟の配電盤が一斉に飛んだ原因や、文化祭でディベート部が最優秀企画賞をぶっちぎりで勝ち取った理由など、余人には知られぬほうが良い物事はいろいろあるのだ。
そんなとりすました文章であっても、書き手の意図というものは確かに存在する。違和感を与える小さな矛盾や、含み笑いが透けて見えるアイロニカルな言い回しの向こう側に、陽はゆーこの消息を探ってゆく。
そういう現実逃避だった。
「部長ぉ!」
部室にやって来るなり陽に詰め寄った
「
飢えた野犬の如き剣幕に気圧された陽は、上体を若干引き気味にして答える。
「いや、あの、それに関してはもうちょっと外堀を埋めてから今度の定例会議でなんとか」
鯉食とは学校の裏手にある
「そんな調子で間に合うんですか? グダグダしてるとウチの取り分を確保する余裕だってなくなるんですからね。元はといえば部長が引っ張ってきたネタなんですからね。しくじったら私と一緒に土下座周りですからね」
そう言って寒河江は乱暴に引いたパイプ椅子にドカンと尻を落とした。他の部員たちの手が止まり「またか」というような一瞥をくれた後、各々の作業に戻った。
よっぽど屈辱的な扱いをうけたのか、独り言のように生徒会の体質を批判し始めた寒河江は自分で自分の言葉に憤慨して、眉間の皺をさらに深める。普段は闊達で気持ちのいい性格の寒河江だが、ひとたび天秤が負に傾くとなかなか元に戻らない。
どうやって鎮めよう、と悩む陽の隣で雨だれのように響いていたタイプ音が、不意に止んだ。
「副部長」
いましたけど。と寒河江が答える。夢子は席を立って言う。
「私が行って直接話を付けてくるから、企画書よこしなさい」
「え、でも、今日の生徒会は一段と意地が悪い感じだし、私も私で捨て台詞みたいなもの吐いてきちゃったから、日を改めて私がまた――」
「いいから、よこしなさい」
戸惑いを見せる寒河江から書類を奪った夢子を、陽は静止する。
「ちょっとまて夢子。僕の方でも地均しはやってるし、次の会議で通るようにするよ。それにこの企画のリーダーは副部長だ」
「そ、そうですよ」寒河江が同調する。「責任者は私ですし、ほら、一応面子ってもんが」
「尻尾巻いて帰ってきた挙句ぐだぐだ陰口叩いてる人の面子なんか、犬の餌にもならないよ」
部室の空気が凍りついた。陽は抗議する。
「おい、そんな言い方はないだろ。つーかお前だって今やるべきことがあるんだし、どうしてもってんなら、修正入れてから僕が寒河江に付いて行ってもう一度――」
「今日の仕事はあらかた片付きました。
陽の科白を強い語気で押しのけた夢子は、皆が成り行きを見守る中で一人、我関せずといった様子で作業を続ける二年女子を呼んだ。加茂は「なんでしょう」と涼しい顔で返事をした。
「次号の台割、出来上がってるよね」
「はい、大体は」
「それ部長にチェックしてもらってレイアウト決めちゃって。部長、すごく暇そうだから」
加茂が頷くのを確認すると「じゃあ部長、頼みます」吐き捨てるように言い、夢子は颯爽と部室を後にした。
再び喧騒が戻るのに数秒かかった。
陽はどっと息を吐き出し、ほらみろ、と非難するような顔で、
「お前がぐずぐずうるさいから」
自制力を取り戻した寒河江は、ややしどろもどろになりながら抗弁する。
「ぶ、部長だって仕事しないで記録ばっか読んでるじゃないですか、公私混同ですよ」
子供じみた罪のなすりつけ合いを始めた二人の間に、呆れ顔の加茂が割って入った。
「副部長が悪い」
えー。という寒河江のいじけた声に陽は、ほらな、と勝ち誇ったように頷く。
「部長はもっと悪い」
えー。という陽のいじけた声に加茂は溜息をこぼし、夢子が座っていた席に腰を下ろす。
「
「そうねえ」と同意して寒河江は表情を曇らせる。「もうそろそろ二ヶ月なのに、未だに立ち直れてない感じ。こう言っちゃ失礼だけど、ある意味
「そうかあ?」と陽は疑問の声を上げた。「そういや、僕がクタバッてた時ってどんな様子だったの」
「凄かったですよ。深海魚みたいな顔色で頬もゲッソリ、目は虚ろで焦点が合ってない感じで、今にも倒れちゃいそうでしたもん。ご飯とかほとんど食べてなかったんじゃないですかね。もう気力と使命感だけで何とか身体を動かしてるみたいで、精神的にオカシクなる一歩手前って雰囲気でしたね、あれは」
寒河江の言葉に「フムウ」と頷いて、
「じゃあ良くなってるんじゃないの。確かに、少し引きずってる様子はあるけど、ぶっ倒れそうってのとは程遠い」
メシもちゃんと食ってるし。と付け加えた陽の隣で、長い溜息が渦巻いた。
「だから余計に悪いんですよ。回復したというより、回復したと思い込んでいるみたいで……なんだか心配です。さっきだって、つつじがウザイ感じになると河姆渡さんはいつも真っ先になだめるのに……」
加茂が言うと、近くの席で作業をしていた男子部員がからかうように「でもさっきの寒河江は流石にウザすぎだし、キレられて当然っしょ」と口を挟んだ。
「うるさいよヨネ。あんたは黙って仕事しな」寒河江は男子部員を睨みつけた。
加茂は話を続ける。
「この前
「ちげーよ企画の相談してたんだよ」男子部員はもごもごと弁解を口にして、「でも、言われてみればあれはいつもの河姆渡先輩っぽくなかったッスねえ」
話を聴いていた他の部員からも次々と声が上がる。以前よりも暗くなった。いつも何かを考えこんでるような。上の空。打っても響かない。かと思えば些細な事で怒ったり。怒るというよりは敵意にも近い。感情の振れ方が極端になった。あれ以来笑った顔を見ていない。基本優しいといえば優しいんだけど、どこか投げやりな感じ。ちょっと冷たい。そういえば本を読まなくなっている気がする。確かに確かに。先輩とはしばらく本の話してない。
打合せに来ていた他の部の人間までもが一緒になり、部室は蛙鳴蝉噪に満たされた。
「はいはいはい、そこまで、そこまで」
陽は木槌を振るう裁判官のように拳をガンガン机に打ち付け、
「今は部活の時間であって世間話の時間じゃねーぞー。手を動かせ手をー」
部長の諫言に部員らは釈然としないような顔を残しながらも、とりあえずその場はそれで収まった。
「申し訳ないです。私が迂闊なことを言ったせいで」
「加茂が謝ることじゃない。話に乗った僕も悪いんだし……。ほら、それ見せてよ」
促されて加茂は手に持ったままの書類に改めて気づき、小さく謝りながら陽に手渡した。
陽は気持ちを切り替えて台割を眺める。
特集、単発、連載、広告――テンプレートにそった構成。
写真やイラストが大きくとられ、抑揚のある見出しと目に心地よいフォントによって的確に情報を絞って行くのが加茂の構成の特徴だ。
今号の特集は『図書委員と文芸部による夏の推薦図書特集。毎年恒例の比較的お行儀の良い企画。その後の単発企画や連載も夏休み前だけあって控えめで無難。夏休み期間中は読者も少ないし、各所に配った部誌を後で見てもらうかたちになるから時事性の強い特集や企画は適さないというのはわかるけど、正直なとこダルいものばっかり。加茂ちゃんのレイアウトも安定感はあるけどそろそろ飽きるし。全体的にツマンナイんだよね。鋭さがない。甘噛みにもなんないわ。イチからやり直し。単発はボツにして連載もテキトーに切って一年にやらせよう』
「うーん、確かに……。夏休み後に見てもらうにはこれじゃ地味すぎるし、いっそ特集だけ残して全ボツにしましょうか」
うっかり、というにはあまりにも粗忽だった。
「ぜ、全ボツって!」
思わず腰を浮かせた寒河江が前のめりに陽へ迫る。
「今週で学校終わりですよ? 他の部も教職員もまばらになるし、今から単発も連載もやり直しはさすがにキビシイですって。いいじゃないですかいつも通りで」
この場にいる全員の視線が一点に集束する。もはや引っ込みがつかない状況だった。
「いつも通りだぁ?」意を決して語尾を捻り上げた。「いつからそんな腑抜けになったんだ編集部は。そんな軽い気構えじゃ豆腐にだって歯型がつかねえぞ。たとえ明日が入稿日でも面白い企画があればねじ込んでやるってのがウチのやり方だろうが。やる気が無いなら帰って寝てろ」まくし立てた勢いで席を立ち、ドアノブに手を掛ける。「生徒会室の様子見てくる」
「ちょ、隹先輩! それは私が行って――」
陽は人差し指を竹槍のように突きつけ、
「夏休み期間中は一年メインで行く。コラボの件は僕と夢子が預かるから、副部長は単発と連載の統括に回ってくれ。加茂はレイアウトの基本から教えてやって。わかったな」
「わかりました」加茂は落ち着き払った声で答えた。
「ウム」陽はひとつ頷いて、「じゃあ僕は生徒会に噛みついてくるから」
逃げるように部室を後にした。
立て付けの悪い扉が強く閉じられ、戸惑いのざわめきが波のように部室を飲み込む。
いったいなにが起こったんだ、と眉間にシワを寄せる寒河江と視線を合わせた加茂は肩をすくめて、
「やっぱり、河姆渡さんも隹さんも変」
加茂はラップトップに目を落とす。表示されている書類は書きかけで、その隅っこでは主に放り出されたカーソルが、虚しく点滅を繰り返していた。
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