彼女は幽霊
それから
影もできない曇天の下、時折強く吹く生暖かい風に顔をしかめながら、下校の道を辿った。
「ただいまあ」
玄関の戸を開け家の奥に声を投げてみるが返答はない。両親も妹――
陽は靴を脱ぎ捨て、真っ直ぐ二階の自室に向かった。
「あ、おかえりなさあい」
被り物の少女が居た。
「――え? えっと、部室にいた、……えっ? なんで?」
突然のことに狼狽える陽をよそに、少女はベッドに寝転がりくつろいでいる。
「えへへぇ、びっくりした?」
絶句する。この状況に思考が追いつかない。びっくりを通り越して真っ白に塗り固められた頭の中は、ぐちゃぐちゃの豆腐でも詰められているようだった。
陽は鯉のように口をぱくぱくさせ、ようやく一言、
「ア、ア、あの、ドチラサマですか? 美鳥の友達?」
制服姿の少女は、さも当然のように陽の枕に頭を乗せ、足をぱたぱた動かしながら応える。
「うーん、ちょおっと違うかな。美鳥ちゃんは友達っていうか、むしろ妹?」
なにいってんだコイツ、と思う。
「美鳥の部活の先輩とか」
「ぶっぶー」
「友達の友達みたいな」
「違うなあ」
「泥棒さん?」
「違います、ってかこの格好見ろよ」
「じゃあ部室荒らし」
「それも違う!」
「逆転の発想で押し売りとか」
「なにが逆転なのかわかんないし、そもそも何を売るのよ」
「うーん、身体とか?」
「売りません! 陽ちゃんのスケベ! ばか!」
馬鹿呼ばわりされた。
「じゃあ何なんだよ。まさかあれか、僕のストーカーか何か?」
「あ、それ惜しいね。当たらずとも遠からず」
少女は立ち上がり、陽に接近する。
だがその歩みはどこか奇妙だった。
歩幅と体の動きがあっていないようなちぐはぐさ。波に揺られる浮き輪ようでもあり、眩暈の中に流れる景色のようでもある。動きだけではない。その姿も細部まで認識してはいるが、しかし意識的に見ようとすると、逆に焦点がぼやけてしまう。
脳味噌よりも眼球が違和を覚え、陽は目蓋を瞬かせる。
何かが、ズレている。
「私ね、幽霊なんだ」
「は? ゆーれい?」
余りにも突飛なその言葉に、陽は間抜け面を作ることしかできない。確かに現実離れした状況ではあるが、彼女の足はちゃんと二本ある。
「そ、幽霊」
少女は後ろに手を回し、少しはにかんだ様子で肯う。
「幽霊って」
と陽は鼻で笑って、
「一体何処のどなたの幽れ――」
凍りついた。
幽霊。
此岸に彷徨える死者の魂。
もし陽の前に現れるならば、それは一体誰の幽霊なのか。
「そう、あなたは知ってるはずだよ。私が誰の幽霊なのか」
少女の輪郭が揺らぐ。まるで逃げ水のように、そこに無いはずのモノが在るような感覚。
急速に膨らむ不安に駆られた陽は、無意識的に少女の肩を押し返そうと腕を突き出し、
「ふ、ふざけるのもいいかげんに――」
制服が黒い霧のようにその手を飲み込んだ。
「うああっ」
恐怖に腰が砕けた。
膝に力が入らない。まるで床が氷になってしまったように足が滑る。体中の血管がぞわぞわと収縮し、酸欠に陥った頭がくらくらする。呼吸のしかたを忘れた横隔膜は壊れたポンプのように喘ぎ、陽は大気に溺れる魚になる。
少女はそんな陽の反応に表情を曇らせ、後ろに引いて距離を開けた。
それから深呼吸を一つし、まるで初めての告白をする中学生が、明後日の方向へ飛んでいきそうな言葉にどうにか首輪をつけようとするように懸命な様子で、言葉を紡いだ。
「わたしは『
それは
不幸にも交通事故で早逝した、
隣の県の大学に通う二十歳で、
高校の先輩かつ編集部OGで、
陽が幼い頃からの知り合いで、
「あなたの『彼女』の幽霊です」
陽が亡くした恋人の名だった。
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