"Trick or Treat"なんて嘘ばかり

いお

第1話

 カボチャにコウモリ、配られる飴玉やビスケット。

 街の雰囲気は昨日までとはずいぶんと変わっていた。

 もはや風物詩、定番と言ってしまってもよいくらい日本でも馴染みのイベントが熱を帯びてきたせいだ。

「今週末のハロウィン本番を目前に、街は徐々に賑わい出してきました」

 街頭に立ったアナウンサーが伝えるのはイベントグッズを扱うショップの品揃えや行き交う人々の仮装姿。

 カメラが追うのはカボチャやドラキュラはもちろん、コウモリや狼男。なんでもありだ。

 このイベントが日本に馴染んだとはいっても、イベント本来の意味ではない。もはや主旨などはすっかり忘れられ、ただの仮装イベントと化していた。なぜか神輿を担いでいる人までいる。

 そんな意味のない、ただ浮かれるだけの祭典ゆえに人はみな無防備になる。

 鎌を持つ死神にはこぞって首が差し出され、手にした血糊をまき散らし自らの全身を染めていた。

 ただ騒ぎたい奴らが騒ぐだけのこんなイベントなんて、かつては嫌いだった。


 駅のトイレに入り、洋式トイレの蓋の上にリュックサックを置く。中から取り出した白い翼のついた漆黒のマントで全身を覆い、ドクロのフルフェイスマスクを被った。マントに内側には申し訳程度の小道具としてナイフを忍ばせる。

 トイレを出るとリュックサックをコインロッカーに詰め込んで街へと繰り出した。マスクのせいで視界は悪く、息苦しい。

 嫌でも飛び込んでくる明るく煌びやかなイルミネーションと喧噪。それらにかき消されるBGM。

 こちらの姿を見付け、スマホを片手に喜んで近付いてくる女たち。

 『翼の生えたマントを羽織ったドクロ』というコンセプト不明の恰好ながらそんなことはどうでもいいのだろう。嬉しそうな彼女らの要望には存分に応えてやる。

 彼女らは自在に自撮り棒を操り、手際よく写真を撮っていく。

 女の背後に回り込み、取り出したナイフを首筋に当ててやる。

 するとより一層嬌声が大きくなる。

 今このナイフを横に引いたらどうなるか、そんなことを考えた後に刃を仕舞う。

「ありがとうございました~」

 嬉しそうにそう言って去っていく彼女らに手を振って別れる。

 極端に狭い視界の中、首を回して周囲の様子を伺った後に再び歩き始めるが、それも長くは続かない。ひっきりなしにやってくる人の波に再び足止めを喰らう。

 学校帰りの女子高生や大学生、仕事帰りのOL。同じように仮装をした若者たち。酔っぱらったサラリーマンだろう中年。誰一人として警戒心を持たずに近付いてくる。

 自身がこのマント付きドクロに危害を加えられるかもしれないなんてことは微塵も考えていない。

 必要以上に浮かれる彼らの要望に応え、いくつもの写真に写ってやる。

 そうして何度も歩を止めながらもようやく大通りを抜け、ひと気の少ない路地までたどり着いた。

 一気に下がった照度を感じ、どこか遠くに聞こえる喧噪を耳にし、大きく息を吐く。マスクの中に温かい空気が充満する。

 取り出したナイフの刃先を確認し、そのままゆっくりと歩き出した。


 翌朝、テレビに映るニュースキャスターが殺人事件について伝えていた。

「昨夜、渋谷駅近くで殺人事件が発生しました。被害者は都内の企業に勤める二十三歳の女性で――」

 起きたばかりの目を擦りながらテレビ画面を眺める。

「死因は首筋を鋭い刃物によって切られたことによる失血死とみられています。昨日、一昨日の事件と同じく犯人はハロウィンの混乱に乗じて犯行したものと予想されており、警察は殺人事件として目撃者情報を集めながら捜査を続けています」

 キャスターによる一通りの状況説明が終わると、コメンテーターがハロウィンのバカ騒ぎに苦言を呈し、自己責任論を展開していた。

 実際にあの場に居合わせていた人間として言わせてもらえば、たしかあれだけ他人に対して無警戒なら自己責任と言われても仕方がないように思えた。あの状態はいくら警察官を動員しようとキリがないだろう。

 現に昨日持っていたあんなチャチなナイフでさえ、今なら殺せる、と何度も脳裏をよぎったくらいなのだから。

 テレビから視線を移し、ハンガーにかけられたマントとマスクを見る。この衣装は昨日何十枚撮影されただろう。ネット上に上げられただけでも十枚以上確認している。実際にはその何倍もの人物によって撮影されてた。

 多くの人の手に触れたことによりマントは皺が寄っていた。白い翼には所々が赤く染まっている。血糊がついたのかもしれない。

 マントに触れ、少しずつ皺を伸ばしていく。

 今夜もこれにお世話になる。

 ダイニングテーブルの上でマントをたたみ、リュックサックに詰め込む。同様にマスクとナイフも入れてしまう。

 ハロウィンから別の話題に移っていたテレビの電源をリモコンで切り、リュックを持って家を出た。

 稽古場に着くと軽装に着替えて自主練を始めた。

 今は駆け出しの俳優で、仕事も少ない。夜にやっている仮装は年明けに放送される連続ドラマに出てくるホラー役だそうだ。そのドラマを担当するプロデューサーから声を掛けられ、暇だったからすぐに承諾した。

 今の内から将来の視聴者の記憶に残させ、放送される時には「あ、あれあの時の!」というのがやりたいらしい。だからとにかく写真を撮られてネット上にアップされ、どんどん拡散されることが目的になっていた。

 が、これだけ情報が溢れている現代において人の記憶なんてすぐに薄れる。ハロウィンの時期にやっていたことを一体どれだけの人が年明けまで覚えていられるのかは疑問だ。

 そしてこの仮装姿がどれだけ拡散されようとも、自分がその連続ドラマの配役に抜擢されることもないだろう。だからこれは何の仕事に繋がらない、ただの臨時アルバイトだと割り切っていた。

 だが、そんなアルバイトにもいくつか副産物があったことは救いだった。

 これでも役者だけあって、自分の動きによって通行人という観客の反応が身近で実感できるのは良かった。普段は誰からも注目されていない俺という存在を多くの人が見てくれることは単純に嬉しかった。先には繋がらないかもしれないが、悪くないバイトだった。

 日が陰り始めたため、今日のスケジュールに沿って駅に向かい、衣装へ着替える。

 昨日に比べれば若干人通りは少ない駅だった。それでも反応は上々だ。

 仕事をこなし、帰りの電車の中でスマホをチェックする。すでにいくつもの写真がネット上に上がっていた。

 一体どれくらい拡散されればいいのか、具体的な数字は聞いていない。だが画像フォルダにはどんどん写真が溜まっていく。日に日に伸びていく数字には満足していた。

 まさか自分にこんな適性があるなんて、少しも思いもしなかった。


「千三百円です。……二百円のお返しです。ありがとうございました」

 コンビニにおける朝食需要のピークタイムが過ぎ、ようやくレジもひと段落ついたところで店長から肩を叩かれた。

「お疲れ。今日はもう上がっていいよ」

「了解です。お疲れ様でした」

 夜勤のバイトを終え、休憩室で着替えを済ます。点けっぱなしのテレビでは昨日と同じキャスターが昨日と同じような殺人事件を伝えていた。

 また同様の手口で人が一人が殺された、と。

 犯行はハロウィンの混乱ムードの中で行われ、犯人は誰にも気付かれないまま現を立ち去っている。これでもう四件目だった。

 こんなに物騒な事件が立て続けに起きているというのに、街中に繰り出す人は一向に減る様子がない。現に俺の写真は増え続けている。

 キャスターが夜の外出を控えるよう自衛策を呼びかけた後に、またコメンテーターの一人が口を開いた。

「犯行現場が毎日違うことが警戒心を薄れさせているのかもしれませんね。一度犯行が行われた場所の人通りは減っていますが、その分がそっくり他の地区に流れてしまっている。犯人もそうして流れた先で再び犯行を行ない、また移動する、という繰り返しのようにも思います」

 なるほど、それで人通りが減っていないように感じるのか、と思った。

 渋谷で起きれば渋谷から池袋に移動し、池袋で起きれば原宿へ、といった具合なのだろう。でもそれではただのいたちごっこだ。きっと再び渋谷に人が戻ってきたあたりで犯人もまた渋谷へ行けばいい。それではこの事件は終わらない。

 こんな状況になってしまえば尚更、毎晩仮装して街を出歩くなんてバイトをやる人間は多くないだろう。この仕事を依頼した人物はこちらの身を案じる連絡くらい、たとえ形だけでも寄越してもいいんじゃないかと思うが、そんなものは一切なかった。きっと勝手に動くマネキンくらいにしか思っていないのだろう。こちらもこちらで、きっと俺が動かなくなれば別の人間に依頼するだけだというくらいの考えなのだ。

 なのでその後も依頼通り仮装は続けた。

 人通りは徐々に減っているように思えるが、ハロウィンの狂騒が完全になくなるなんてことはなかった。自分が殺されるかもしれない、とは考えないのだろうか。それとも自分だけは大丈夫だ、という謎の自信があったりするのだろうか。わからないことだが、とにかく、大部分の人は事件のことなどまるで知らないかのようにハロウィンを満喫していた。

 月の下旬になっても事件が続き、殺人は行われていた。

 毎日使用している衣装の汚れが増し、事件にも変化が起きた。

 これまでは一日における被害者は一人だった。それが昨日は二人になり、それもそれぞれ別の場所での犯行だった。テレビの中のコメンテーターは模倣犯ではないか、という見解を示した。

 それを知った時、改めて自分も被害者になるかもしれない、と思い再びこのバイトを続けるかどうか悩んだ。しかし契約は月末までだ。これまで毎日続けてきた仕事で、残りはあと数日。まだ金は受け取っていない。ここでやめたらどうなるかわからない。もしかしたら報酬は一銭も払われない可能性だってある。

 一通り悩みはしたが、結局は今夜もまた街へ行くことにした。命と金を天秤にかけ、金が勝った結果だった。なんて安い命なんだろう。

 だが翌朝のニュースでは再び被害者は一人になっていた。模倣犯が捕まったのだ。

 これまで二十日間以上に渡って捕まっていない犯人の手口を知る者なんてもちろんいない。何を模倣すればいいのかもわからないまま犯行に及び、たまたま一度目がうまくいっただけだったようだ。

 このニュースを聞いて安堵したのは言うまでもない。


 そして来たる十月三十一日、ハロウィン本番はこれまでにない盛り上がりを見せた。

 モンスターなんて関係ない、芸能人やゲームのキャラクター等、ただのコスプレ会場と化した駅前の通りに今日も俺は立っていた。

 休む暇もない程に写真を撮られ、それらは即座にネットにアップされる。ライバルが多いのでどれだけの影響力があるかはわからないが、このひと月、毎日活動していたおかげか知名度は上がっていた。

 また、毎日行く場所は違っていたのでSNS上では『出会えるとラッキーなモンスター』という位置付けになっていたことも大きいだろう。ネットだけでなく、何度かテレビでも取り上げられた影響もあって俺の周りは大混乱だ。

 そして大いに世間を騒がしたこの日でさえ、これまで同様に犯行は行なわれ、翌朝には最後の被害者が報道された。


 一カ月間の仕事を終え、依頼主のいるスタジオを訪ねた。期間が終わったことを告げても特にこれといった労いの言葉もなかった。むしろこちらの頭から足の先まで眺めてた後に「君、誰だったっけ」といった反応だ。口には出さなくても態度でわかる。あれだけ危険な仕事だったにも関わらず中身の人間のことなんて一切興味を持っていなかった。

 事務的に渡された用紙にバイト代の振込先を記入し、借りていた衣装を返そうとしたが、その汚れ具合を見てすぐに「捨てておけ」と手振りだけで指示を出された。バイト代の振込みは一週間後らしい。

 スタジオを出て、駅とは反対方面へ歩いた。冷たい風が吹く中、河川敷で焚火をやっていたホームレスのグループを見つける。坂道を下り、近付いていく。物の燃える匂いに交じって浮浪者特有の異臭が鼻をついた。

 こちらの存在に気が付いた一人が視線を向ける。

「これ、燃やしてもいいですか」

 そう言うと髭の伸びた男は何も答えず、ただ炎を指さした。

 その通りに手にしたリュックごと炎の中へと投げ捨てた。赤い炎にいくつか異なる色が加わり、化学繊維の焼ける匂いがした。

 リュックの中から何度も着込んだマントが現れる。初めは白かった翼もすっかり赤く染まってしまっていた。意図して汚したものではないが、たしかにこんなものを返してもらっても困るだろう、と思った。始めから受取ってもらえるとは思っていなかったし、受け取られたとしても今度はこっちが困る番だったので良かったのだが。

 マントとマスクが大方燃え尽きるのを確認した後、川べりまで歩いていき、大きく振りかぶってナイフを投げ捨てる。これでこの一カ月間に渡る臨時アルバイトは本当に終わりを告げた。


 日が経つにつれてハロウィンの期間中に行われた連続殺人事件のことなど、世間からはすっかりと忘れ去られていた。

 模倣犯のものを含め、合計三十二名もの被害者が出たというのに、まったくもって今の情報過多な社会は恐ろしい。

 街は次のイベントに向けて徐々に変化していた。至る所に運び込まれるモミの木やイルミネーション、プレゼント需要に湧くショッピングモール。浮かれた表情で人々は歩き回っている。

 駅のトイレで新しく買ったリュックの中身を取り出す。

 あの時のバイト代で赤い上着と帽子、大きな白い布袋と口ひげを購入した。衣装を着て、布の袋の中には風船を膨らまして嵩を増してやる。小道具として持っていた黒縁の丸眼鏡もかけた。

 スマホを取り出し、十月に撮影した三十一個の写真ファイルを見返すと思わず笑みがこぼれた。

 個室を出て手洗い場の前で立ち止まる。鏡に映った姿は、そこそこに「それらしく」見えた。これなら不審がられることもないだろう。

 今回は誰からの依頼でもない。バイト代も出ない。

 しかしあんな経験を一度してしまったら、もうやめることなんて出来なかった。

 手にはナイフではなく、トナカイの手綱を模した革紐を持っている。

 今月も夜な夜な街へ繰り出すことに、躊躇いはなかった。

 今夜もきっと、いい写真が撮れるに違いない。

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"Trick or Treat"なんて嘘ばかり いお @medley

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