第9話「アイドル死すべし」(4)

        8


 地下アンダーグラウンドといえど、人の営みがある以上、昼夜は存在する。たとえ機械制御のまやかしだとしても、人々はそれに従いサイクルを繰り返している。

 しかしはその底の底、昼も夜も白も黒もない、何かのタガが外れてしまった所に棲みついていた。

 薄暗い部屋の中、いくつかのモニターだけが淡い光を発している。


「あれは、まだなぞに興じておるのか」


 モニターを覗き込んだ老人が、不機嫌そうに吐き捨てた。


「気性の優しい子でしたからね。《虫籠》 の中ではすぐ潰れるだけと思い、早い内から放し飼いにしていましたが……。これはこれで、興味深いサンプルになりました」


 データ整理をしていた男が答える。男は振り返らず作業を続けたまま、後ろの老人に資料の束を渡した。

 老人は資料を一瞥すると、


「フン。しぶとさだけは評価してやってもいいが、それ以外は相変わらずか」

「お言葉ですが先生。適応能力という点に着目すれば、なかなか目をみはるものがあるかと」

「所詮は擬態もどきよ。地下アイドルと呼ぶのもおこがましい」

「しかし事実として、今や地上の正式リーグ参加アイドルですからね。もはや、誰であろうとおいそれと手は出せませんよ」

「我々ですら……か。まあいい。元々捨て置くつもりだったしな。地上の連中の目眩ましにでもなってくれれば万々歳だ」

「そういえば、東雲の連中も最近はちょっかいをかけて来ませんね。何かあったんでしょうか?」

「何だ知らんのか? 呆れた奴だな」

「すみません、最近はレポートの方にかかりっきりで」

「東雲の娘っ子がな。何を思ったか、よりにもよってあの魔女に《NINJA》 へのアクセス権を渡しおったらしい。おかげで奴ら大わらわよ。愉快愉快」

「魔女……ハヴァンリヒですか? それはまた……」


 若い研究員が眉をひそめる。敵対組織とはいえ、同情を禁じ得ないといった表情だ。


「おかげでこちらはのんびりと育成を進められるというわけだ。くっくっく」

「そう、上手く行けばよいのですがね」


 老人の笑いを遮るように、白衣の女が部屋に入ってきた。


「おお、銅島くん。《壺》 の方はどうかね?」

「順調です。《蟻》 と《百足》 が突出しすぎている感はありますが、修正は容易でしょう」

「よしよし。ならば予定通り、《檻》 の連中とぶつけてみるか。エサに終わるか、それとも……。結果が楽しみだわい」

「浮かれるのは結構ですが先生。我々の計画は今後もアイドルリーグが存続していくことを前提としています。このままでは……」


 銅島と呼ばれた女の発言に、若い研究員が手を止めて振り返る。


「え、何か起こってるんですか?」

「君は本当に何も知らないのね、銀条君」

「すみません。不勉強なもので」


 銅島は、呆れながら端末を操作した。スクリーンに、一人のアイドルのデータが映し出される。


「あ、めぐるちゃんじゃないですか。僕ファンなんですよ」

「そのめぐるちゃんのせいで、地上のアイドルが終わるかもしれないって話よ」

「終わる? どういうことです?」

「彼女のスタイルが、アイドルの有り様そのものを変えてしまいかねないってこと」

「なるほど?」


 絶対わかっていない――銅島はそう思いつつも、一から説明するのも面倒なので口をつぐんだ。


「まあ、その辺りはあまり深く考えずともよかろう。どうせブームも長くは続かん」

「いやいやいや、まだまだ伝説はここからですって」

「君は本当に、人生楽しそうでいいわね」

「いやはや、それほどでも」

「褒められとらんぞ」


 更けることも明けることもない夜。ただ、淡々と時計の針が刻まれていく。

 ここは研究所ラボと呼ばれた、生物科学の吹き溜まり。本当の、地下アイドルが創られる場所。



        9


「がっっ……」


 ギリコの全身に、激しい衝撃が駆け巡る。

 その痛みは、以前ファウに喰らった寸勁の比ではない。備えているとはいえ、たった一撃で意識が飛びそうになる。


(ヤバいな……。覚悟してたとはいえ、これはマジでヤバい……)


 危機感にヒリつくのと同時に、ギリコはまたある思いに囚われた。


(こんな状態を維持したまま、この子はステージにいるんだな……)


 眼の前のアイドル――七月めぐるは、しかしその様な素振りは一切見せず、冷静に立ち回っていた。


「これで倒れない……か」


 予想以上のタフネスを警戒したのか、めぐるは一旦距離を取った。


(おいおい、正気かよ……)


 全身の痛みと呼吸困難に晒されれば、一刻も早く勝負を決めてしまいたいというのが人情だ。なればこそ、そこに付け入る隙があるはずだ。ギリコもそう考えていた。


 しかし、めぐるは既に正気ではなかった。

 痛みも苦しみも、思考から綺麗に切り離すを、めぐるは身に付けていた。そうでなければ戦い続ける事など出来なかった。


 歌が響く。歓喜と悦楽に満ち溢れた、この世全ての幸福が詰め込まれたような歌が。

 ほとんどの観客達は、ただ、その流れに身を任せて熱狂していた。誰もが待ちに待った、望んでいた光景だった。

 ギリコはそれが、この上なく悲しかった。


(さてどうする? どーするよ、柩山ギリコ……!!)


 ギリコは瀬戸際に立たされている。

 アイドルエフェクト……蜘蛛の糸は完全に無効化される。搦め手は使えない。

 信念を曲げず攻撃を避けないのも、もはや完全に自殺行為だ。

 では、どうするのか。さなぎが試していたように、ヒット・アンド・アウェイを徹底して、攻撃を組み直すか?


(……無いわな)


 もとより逃げの選択肢はない。柩山ギリコは、そういうアイドルなのだ。

 耐えて、捕まえて、決める。糸を使えない今となっては、むしろより純粋に、自分の原点に立ち返るだけだ。


「来いやぁぁぁ!!!」


 腕を大きく広げ、ギリコが吠える。

 それと同時に、既にめぐるは間合いに入り込んでいた。


「ッ!!」


 めぐるの下段蹴りが、ギリコの大腿を刈り取る。

 能力によりオーラを無理矢理剥がされると同時に、防壁を失った素肌へ衝撃が走る。

 反撃に転じる間もなく、今度は後ろ回し蹴りが肩口にえぐり込む。

 一撃一撃が気絶ものの代物である。だがギリコは、それを耐えていた。めぐるの様に痛みを切り離したわけではない。ただの執念だ。ここまで来れば、もはや理屈ではない。

 とどめの一撃を入れるべく、めぐるが懐に潜り込んできた。ガードをカチ上げると同時に、モーション無し――無拍子の正拳が突き刺さる。


(ここだ!!)


 ギリコは無理矢理めぐるに覆いかぶさると、一気に抱え上げた。密着した状態では《エクリプス》によるオーラ抹消がダイレクトに響く。実際、ギリコの意識は完全に朦朧としていた。

 しかしこの状態からでは、どの道めぐるはステージに叩きつけられる。もはやギリコにも制御できない。もしかしたら、めぐるはうまく受け身を取れないかもしれない。それでも、ここでめぐるを止めなければならないのだ。ギリコは心を鬼にして、跳んだ。


 めぐるは、力の代償として常に無防備な体を晒している。たとえ攻撃を喰らわなくとも、ステージに上がっているだけで、凄まじいダメージが蓄積されていくのだ。そこへ一撃でも大技が入れば、もはや精神力でごまかせるレベルではない。


 ギリコが思った以上に、技は綺麗に入った。めぐるはピクリとも動かない。目は見開いたまま、虚空を見つめている。その瞳孔は、わずかに広がっていた。

 息も絶え絶えに、ギリコが立ち上がった。


(ごめんな。でも……)


 深く息を吐き、呼吸を整えると同時に、懺悔のように一瞬だけ目を閉じる。


 その瞬間であった。めぐるの眼球がギョロリと動き――

 ギリコが目を開けた時、そこにめぐるの姿はなかった。


「え……?」


 考える暇など無かった。

 真横からの延髄斬りが一閃。

 わずか一瞬で、立ち位置は完全に逆転していた。


 ギリコは突っ伏したまま、めぐるを見上げる。立ち上がらなければ――。脳が全力で指令を出すが、身体は一切応答しない。


「死んだふり……かよ」

「フリというか、実際ちょっと死んでましたけどね。緊張の糸を切るには、あれくらいしないとダメだと思って」

「……なん、だって……?」


 精神力によるタフネスは、往々にして厄介なものである。それを崩すためには、「終わった」と確信させるのが効果的だ。

 めぐるはギリコのステージビデオを何度も繰り返し見て、そのヴィジョンを固めていった。そしてこのステージの中で修正を繰り返し、最も効果的な形で実行したのだ。


 それがもたらすのは、このステージの勝利だけではない。今後ぶつかる相手の、「隙を突いて一撃を決める」というプランをも崩してしまったのだ。おかげで上位ランクのアイドル達は、また一から対策を練らなければならなくなった。


 しかし。だとしても、である。


(だからって、わざとやられるなんて、そんなこと――。一歩間違えたら――)


 沸き上がる歓声に、めぐるは笑顔で手を振る。

 その胸には、たった一つの確固たる真理を抱いていた。




 身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ――

 ――アイドルとは、死ぬことと見つけたり。




○エンパイア・プロダクション 七月めぐる


●Heart Under Grave 柩山ギリコ


 (FH:延髄斬り)

 (FS:空に眠る)



        10


 雨の日が続いていた。

 エリア内の環境調整のため――。説明を聞けばそういうものだと受け取るしかないのだが、ファウはどことなく釈然としない気持ちを抱えていた。


 もともと、雨はそれほど好きではなかった。

 もちろんそれが必要であることなど言われるまでもなく理解していた。が、それ以上に、雨の日の狩りにいい思い出が無かった。

 猪や熊を追い詰めていたはずが、気がつけばもっと大型の恐ろしい怪物の罠に嵌っていた――などということはザラであった。親鳥であるヴァジューカの助けが無ければ、何度命を落としていたことか。


 嫌な思い出を反芻しながらトレーニング前のストレッチを行っていると、一人の少女が練習場に入ってきた。

 少女がレインコートを脱ぐと、燃えるような赤い髪と赤い瞳が目に止まる。どこかで見たような気もするが、思い出せない。

 少女はファウの姿を見つけると、一直線に近づいてきた。


「あなたが、ファウ・リィ・リンクスですね?」

「ン。そうだが……」

「私はライ・ルー・ロン。ご覧の通り、アイドルです」

「アイドル……? あ、」


 言われてみて、やっとファウは思い出した。確かに、アイドルリーグのステージで何度か見かけている。

 しかし、それが今更何の用だろうか? ファウが訝しんでいると、


「単刀直入に言います。お願いがあって来ました」

「お願い?」

「七月めぐるを、倒して欲しいのです」

「は……?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る