第9話「アイドル死すべし」(3)

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「またグッズが増えてる……」


 ギリコの主催するインディーズ団体、《Heart Under Grave》。その事務所は、古今東西のアイドルグッズで溢れていた。

 掃除担当の新人アイドル達がため息を漏らす。


「アイドル好きだってのはわかるけどさ。自宅に置いとけないもんかな?」

「いや、自宅はもっと酷いらしいよ」

「マジか」


「てか、ギリコさん毎週毎週アイドルのイベント行ってるよね」

「むしろ、毎日行ってるフシもあるよね」

「思ったんだけどさ……。そのお金、どっから出てるのかな?」


 全員がハッとする。

 イベントも当然タダではない。グッズも毎回買い込んでいるし、交通費とて馬鹿にならないだろう。

 最近ではアイドルリーグの賞金や宣伝効果もあるとはいえ、メインの地下アイドル興行といえば、ほぼ自転車操業に近いものであった。たとえ収入を全部つぎ込んだとして、果たしてそれで足りるものだろうか?


「ひょっとして、大富豪のお嬢様だったりとか?」

「それはない」

「強力なパトロンが付いてるとか」

「それってヒモってこと!?」

「あんまり想像したくない絵面だね……」

「大京橋さんトコで用心棒してるってウワサ、まさか本当だったのかな……?」

「あ、それ一番ありそう……」



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「桐山さん、この支払い処理なんですが……」

「あ、大丈夫です。こちらでやっておきます」


「桐山さん、部長まだ会議中ですかね? 羅漢工業さんからお電話来てるんですけど」

「契約の件ですよね。私が対応しますので回して下さい」


「桐山さん、お願いしてたシステムなんだけど、納期早めてもらうことって……」

「最終チェックをそちらでやっていただけるなら、今日中にはお渡しできますけど」


 オフィスの一角で、ひとりの事務員が黙々とタスクをこなしていく。圧倒的スピードと正確さ。まるで精密機械だ。


「困ったことがあったらとりあえずあの人に投げろって、アレ冗談じゃなかったんですね……」

「通常業務の枠を完全に逸脱してるもんな……。給料も通常の二倍近く出てるらしい」

「いっそ、もっと高待遇のポジションにしてもらった方がいいんじゃ?」

「まあ、俺もそう思うんだけどな。けど……」


 終業のチャイムが鳴った。噂をされていた事務員の動きがピタリと止まる。


「それでは、お先に失礼します」


 机の上を片付けると、そそくさとオフィスを出ていってしまった。


「どうしても定時に上がりたいんだと」

「なるほど」




 桐山霧子――またの名を、アイドル、柩山ギリコ。

 若い後輩達は色々と勘ぐっていたが、何のことはない。平日昼間は会社で働き、夜と休日にアイドル興行をしている――ただ、それだけのことであった。


 ギリコは地下で生まれた。気がつけば、一人で生きていた。親もなく、明日への希望も持てない。そんな少女の心を慰めていたのはただ一つ、アイドルの存在であった。

 モニターの向こうできらびやかに戦うアイドルたち。そんな彼女たちを「好きだ」と思う気持ちと、自らもアイドルになりたいという衝動。それは歳を重ねるごとに、次第に膨れ上がっていった。


 やがてギリコは、多くのアイドル志望者と同様、エンプロをはじめ、多くの大手事務所の門を叩く事となる。

 結果は惨敗。箸にも棒にも掛からなかった。周りの仲間は色々と慰めてくれたが、ギリコはただただ自分の実力不足を痛感していた。エンプロは当時から黒い噂が絶えなかったが、だからこそ、才能の片鱗でも見えれば地下出身だろうとなんだろうと取り込もうとするはず。そういった所を、ギリコは正しく理解していた。

 ギリコは腐ることなく、その後の人生設計を真剣に考え、実行していった。

 ひとつは一流企業に正社員として入社すること。フリーターをしながら夢だけに打ち込むと言えば聞こえはいいが、生活費のためにアルバイトで時間を浪費してしまっては本末転倒だ。アイドル活動に打ち込める時間を確保しつつ、さらに数多くの推しアイドルに貢ぐための資金を安定して捻出する。その為の、当然の帰結だった。

 そしてもうひとつが、自分の地下アイドル団体を立ち上げ、地道に実力をつけていくこと。地上の中小事務所に拾ってもらう道もないわけではなかった。が、エンプロの排他性を考えれば、まだ地下の方が可能性を感じられた。


 やがてアイドルリーグの開催が発表され――現在に至る。


(まあ、オーバーワークっちゃあ、オーバーワークなんだけどね……)


 アイドルが好きなだけなら、いっそファン活動一本に絞っても良かったはずだ。アイドルになった理由……「アイドルとお近づきになりたいから」というのは、まあ本心ではあったが、それだけで続けられたかと言えば、ノーである。ギリコもまた、根っからのアイドルなのだ。


 だからこそ、七月めぐるが今何を思い、どういう状態でいるのか……ギリコにはハッキリと理解できていた。


(もっと勝ちたい。輝きたい。アイドルを好きでいたい。わかるよ。わかるんだけど……)


 ファンの応援がめぐるの重荷になっていたことは、薄々感じてはいた。だからこそ。乗り越えて、勝ってもらうためにも、より応援に力を入れた。アイドル界では、単純に人気は強さに直結するのだ。勝ちさえすれば、全てが噛み合うはず――。


 事がそう単純でなかったことに気づいたのは、全てが変わってしまった後だった。

 確かにめぐるは強くなった。圧倒的な力で快勝する日々が続いた。しかしそのために彼女が選んだのは、己を殺し、ファンに対して心を閉ざす事だった。


 アイドルやファンの中にも、その事に気づいた者がいないわけでもなかった。しかし、全てはステージの中で起きていること。確証など、どこにも無い。しかも、その推論が正しかったとして、そんな状態で果たして戦えるのか? ましてや歴戦のアイドル相手に、勝てるものなのか? 全く理屈に合わない。事実として、めぐるは勝ち続けているのだ。




 いつもの様に――そう、いつもの様に、ギリコは列に並んでいた。

 めぐるの養成所時代から何度も足を運んだ、ファンミーティングの握手会である。


「あ、キリちゃんさんだ。いつも応援ありがとうございます」


 顔や素性は隠していたが、その異様な風貌から、ギリコは一ファンとして完全に認知されていた。

 めぐるの笑顔が、いつになく眩しい。全てが噛み合ったのだ。或いは、心からの笑顔なのかもしれない。

 けれど今、その笑顔は本当に、自分たちに向けられたものなのだろうか?

 言い様のない寂しさと哀しさの中、ギリコにはそれを確かめる術はなかった。


「あの、これ……。ハチミツとか、生搾りジュースです……」

「わ、これ本場のやつですか? ありがとうございます」

「はい、その……」


 サングラスの奥に、涙が滲む。


「本当に、無理だけはしないで……。体に気をつけてください……」


 寂しさもあった。哀しさもあった。だがそれ以上に、ギリコはめぐるが身を削ってステージに立っているのが辛かった。

 アイドルである限り、傷つくのは当然だ。ギリコにも、その覚悟はある。だが今のめぐるは、もはやその域にはいない。このままいけばどうなるか、想像に難くない。


 今この場で、ギリコはただの一ファンでしかない。応援し、心配することしか出来ない。いや、親しい人間といえど、めぐるを止めることなどできないだろう。

 めぐるを止められるのは、同じアイドルだけだ。


 ギリコは今、アイドルを続けていて良かったと、心から思えた。

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