第8話「孤独のアイドル」(4)

        8


 舞台は新東京国際競技場。今宵最後の宴の幕が、今まさに上がろうとしていた。

 ステージの上に立つのは、まるで正反対の二人の少女。

 一人は勝利に飢え、もう一人は勝利に飽いている。

 交わりそうで交わることのない、ねじ曲がった平行線。


「リーグ戦じゃないと言っても、公式のステージには違いないから。私はいつも通りにやるわ。あなたも余計なことは考えず、全力で来なさい」

「元から、そのつもりです」


 めぐるは、トレーナーに自分の気持ちを正直に話した。その上で、勝つための道筋を共に模索した。

 それは、限りなく細い道。ほぼ確実に、半ばで途切れているであろう道。それでもめぐるは、前に進むことを決めた。


「ひとつ、聞いてもいいですか」

「何?」

「エルさんは、そんなに退屈そうなのに……どうして、アイドルを続けてるんですか?」

「退屈? そう見える?」

「見えます」

「そう……」


 しばしの沈黙の後、エルは口を開いた。


「待っていたのね。何かが変わるのを」

「待って……いた?」

「そう。アイドルって、もっと楽しくて、キラキラしたものがあるって、そう信じていたの。でも、結局何も変わらなかった。やっぱりダメなのよ。自分で変えようとしなきゃ」


 めぐるは、エルの言わんとする事を理解した。

 自分が変われば世界が変わる――。その、真逆の発想だ。

 世界を揺り動かそうというのだ。自分の退屈を紛らわせるために。

 そしてそれは、既に実行に移されている。


「そのためのアイドルリーグ……ですか」

「そう、そして……」


 神の傍にあって、燻っていた者達。

 地の底より、這い出でし者達。

 そして、星から来た者。


「あなたにも、期待しているのよ? って、前にも言ったかしら」

「……」


 相変わらず、エルは

 しかし、めぐるはもう、その程度のことで心揺れたりはしなかった。




 ――幕が、上がった。


「《サテライト・ラバー》!!」


 めぐるが能力を発動させる。

 出現した衛星は、これまでの半分以下の大きさだ。


「そうね……。色々やってみせなさい」


 これまでの統計上、エルが初手から全力で攻めてくることはまず無い。

 これはトップアイドルとして、相手の攻撃を敢えて受ける――ということではなく、単純に能力によるカウンターを警戒してのことであった。

 相手の打ってくるであろう、あらゆる手を想定し、現実とすり合わせ、完全に優位に立てる状況を作り上げていく。一見雑に戦っているような物言いの裏では、常に最新最善のステージプランが練られているのだ。

 それを突き崩すためには――


(常に、想定を超え続けるしか……ない!!)


 めぐるは衛星を鷲掴みにすると、空中で思い切り振りかぶり、エルに向かって投げつけた。


「へえ……」


 エルは、最小限の動きでそれをかわす。

 途中で衛星の軌道が変わったが、それすら織り込み済みだ。


「まだまだっ!」


 衛星と入れ替わるように、めぐるは突撃した。

 エルの《アイスエイジ》に捕まれば、めぐるの能力では脱出はまず不可能。その時点で終わりだ。触れられるのは勿論、近くに留まることすら危うい。

 かといって遠距離から狙い撃つのも、衛星の「周回軌道を描く」という特性上難しい。

 となれば、付かず離れず、衛星との連携で攻め続けるのが最善手だ。


(大技を撃つ隙を与えなければ……!)


 息もつかせぬ乱撃である。あわや腕や脚を掴まれそうになるも、間髪入れずに衛星をかすめさせて逃れる。


「なるほど、ね」


 衛星が過ぎ去った直後、エルは周囲に何本も氷の柱を形成した。

 衛星との連携が最善手ということは、当然エルもその展開を想定している。

 めぐるもまた、そのことを承知していた。


(やっぱり来た……。これは衛星で砕けたとしても、スピードと威力は格段に落ちる!)


 めぐるは構わず、思い切り氷柱に衛星をぶつけた。

 そしてすぐさま能力を解除すると、続けて自分の近くに再度衛星を出現させた。


「守りを固めるつもり? それじゃあ、後が無いわよ?」

「クッ……」


 めぐるは衛星の回転を急加速させ、同時に蹴り飛ばした。それは上下左右に大きくブレながら、エルに向かって飛んでいく。


(おそらく、さっきより大きく変化してくるタイプ……。予防線を張っておくか)


 エルは、その攻撃を冷静に分析すると、盾状に氷を展開した。

 それを見て、めぐるの目が輝く。


(来たっ! 《バニシングモーター》!!)


 突如、エルの目の前から衛星が消失した。


(能力を解除した……? いや……)


「!」


 次の瞬間、エルの背中に衛星が直撃した。

 エルの身体が前のめりに吹っ飛ぶ。


「よしっ!!」


 《バニシングモーター》は、《サテライト・ラバー》の応用技である。

 自己の能力を試していく内に、めぐるは衛星の大きさをある程度調節出来ることに気づいた。そこで、軌道を大きくブレさせると同時に極限まで縮小、あたかも消えたかのように見せる技の着想を得たのだ。

 これならば、新たに衛星を形成するのに比べ、遥かに高い威力で相手にぶつけることができる。

 無防備な所にアイドルエフェクトの直撃を喰らえば、いくらエルと言えどもダメージを負ったはず。この調子で畳み掛ければ――


「あれ……?」


 そこまで思った所で、嫌なビジョンがフラッシュバックする。

 それは、同じ様に相手を追い詰めていたはずの……。ファウとのステージである。


(まさか……)


 エルが、ゆっくりと立ち上がってくる。


「今のは……。ちょっとびっくりしたかな」


 やはり、ほとんどダメージはない。


(ウソでしょ……!?)


 トップアイドルと言えど、アイドルエフェクトの直撃を喰らってこの程度ということはありえない。

 エルは咄嗟に氷の鎧を発現させ、威力を軽減させたのである。


(ありえない! 完全に死角からの攻撃だったし、歌からタイミングが伺えるようにもやってない!)


 めぐるが驚くのも無理からぬことであった。

 散々研究しつくされたかに思われているエルであったが、その実、いまだ多くの奥の手を隠し持っていた。

 その一つが、冷気の結界だ。

 エルは常に、周囲に冷気を漂わせている。皆、それを氷結技のための布石と考えているが、それだけではない。微細な風圧と温度差を肌で感じとることにより、想定外の奇襲に備えているのだ。


 エルがおもむろに、ゆらりとにじり寄る。

 相手の攻め手を全て潰し、心を折り、圧倒的パワーでねじ伏せる。

 これまでに何度も見てきた、エルの必勝パターンが脳裏をよぎる。


(違う! 私は勝つ! 勝つんだ!)


 折れそうな心を無理矢理叩き直し、めぐるはエルに正対した。

 まだ手はいくつもある。冷静に、クレバーに、敵の想定を超える。

 勝利。ただそれだけを考え、めぐるは拳を突き出した。




 いくつもの歌が流れ、そして散っていった。

 全ての手札は出し尽くした。

 しかし、どれも通用することはなかった。

 地に伏すめぐる。それをつまらなそうに見下ろすエル。


(違う……まだ負けてない……)


 そう、確かにまだ終わってはいない。観客の声援は一層激しく、オーラはとめどなくめぐるに注がれている。衛星もまた、めぐるの上でぐるぐると回っている。

 しかし、めぐるは動けない。


(なんで……。なんで、こんなに苦しいの……)


 それは幻か、はたまたステージが起こす不可思議な奇跡であったのだろうか? オーラに乗って、ファンたちの心が流れ込んでくる。


「もういい、もういいよ。めぐるちゃんは十分頑張ったよ」


(何がいいの? どれだけ頑張っても、勝てなきゃしょうがないじゃない)


「これ以上やったら、めぐるちゃんが壊れちゃうよ!」


(壊れる……? 違う。とっくに壊れてるんだ。あの人も、あたしも……)


「ありがとう。勝利以上の、素晴らしいものを見せてもらったよ」


(綺麗事はいらない。あたしは勝ちたいんだ……!!)


 重い。ファンの声が。優しさが。甘さが。めぐるの身体を縛っている。

 思えばいつもそうだった。ファンに応えるために。ファンの笑顔のために。ファンの心が、アイドルの力になるから。そう考えてステージに立つたび、その重さに押しつぶされそうになっていた。


(ただ一言、ただ一言でいいのに。「死んでも勝て」って、言ってほしかった……)


 アイドルは人気も実力の内。ファンがいなければ、アイドルは成り立たない。しかし――


(こんなに苦しいなら。こんなに重いのなら――)


「――あたしは、アイドルでなくてもいい」


 めぐるは、立ち上がった。


「あたしは、ファンを捨てる」


 そう呟いた瞬間、衛星にヒビが入る。そして全体が錆びついたかと思えば、ボロボロと崩れ落ちていった。


「!?」


 エルは得体の知れない不気味さを感じ、警戒レベルを最大まで引き上げた。

 距離を取り、氷柱、氷壁を配置。周囲の床面を凍結させると同時に、冷気の結界を最大まで展開し、神経を張り巡らせる。さらに念を押して、氷塊の自動発生防御モードも起動した。

 一見過剰とも思える反応だが、めぐるの衛星が見せた異様からすれば、エルにとっては当然の対応であった。

 加えて、先程まであれほどめぐるの身体から溢れていたオーラが、今はほとんど見られない。本来なら、立っていられるのも不思議な程だ。


 繊細で、儚いイントロが鳴り響く。

 エルは注意深くめぐるを観察する。

 自分の両手を見つめ、手を握っては開いて……。かと思えば、その場で軽くジャンプを始めた。

 自分の状態を確認しているのだろうか?


(であれば、早々にケリを付けたほうが良さそうね)


 エルは防御態勢を取りながら、精神を急襲モードへとシフトした。次にめぐるが動いた時、全力で制圧する。

 その気配に反応したのか、めぐるはじっとエルの方を見つめ――

 そして、無造作に……あまりに無造作に、歩きだした。


「――フリーズ」


 ひょうあられを多量に含んだ冷気が、ブリザードのごとく、めぐるに襲いかかる。近年稀に見る大技だ。

 しかし、それも本当の狙いは目くらましだ。エルはめぐるの位置を正確に把握し、恐るべき速さで駆け寄った。

 そして、めぐるの腕をがしっと掴む。


(これで、終わり――)


 氷の棺がめぐるの全身を覆い、完全に身体の自由を奪う。




 ――そのはずだった。


(凍らない……?)


 能力は確かに発動させた。なのに、氷は発生していない。

 エルはあらゆる可能性を想定し、そして、最悪の結論に至った。


(まさか……!)


 一旦距離をとろうとしたが、それは叶わなかった。今度は逆に、自分の腕を掴まれていたのだ。

 めぐるの身体から、暗い、モヤモヤしたものが滲み出している。オーラとは違う。もっと禍々しいものだ。


(この感覚……やっぱり、アイドルエフェクトを掻き消す能力!!)


 エルは瞬時に思考を切り替え、能力を使わない殴り合いへとシフトした。

 もしもエルの想像通りだとすれば、この先の段階がある。早々に離れなければならない。

 エルの焦りが、顔に現れる。


「へえ……。そんな顔、するんだ」


 めぐるが、ボソッと呟いた。


「!!!!」


 エルの全身に、鋭い痛みが走る。

 掴まれた腕を起点に、エルの全身のオーラが一気に剥がされたのだ。


「っあ……!!」


 想定はしていた。覚悟もしていた。だが、それでもまだ動けるかは、別の問題だ。

 これだけの舞台とエルほどの人気であれば、オーラはすぐに補充されるであろう。

 しかしそれを待ってやるほどの甘さを、めぐるはとうに捨てていた。

 完全に無防備になったエルの身体に、ありったけの打撃が降り注ぐ。


「かはっ……」


 激痛。久しく味わっていなかった痛み――

 エルの動きが、完全に止まった。

 がら空きのボディに向けて、鋭い突きが決まっていく。


「っと。アイドルは、顔が命……」


 めぐるは、うっかり顔に当てそうになった拳を寸止めした。

 それが決まるまでもなく、そよ風のような風圧で、エルは倒れた。


 あまりの展開に、その場にいた誰もが、状況を理解できずにいた。

 沈黙の舞台にただ一人、すべてを捨てた勝利者が、あどけない笑顔を浮かべていた。




●エンパイア・プロダクション 氷室エル


○エンパイア・プロダクション 七月めぐる


 (FH:正中線三段突き)


 (FS:君が旅立つその時に)



        9


 配信で観戦していた者達も、皆にわかには信じられずにいた。

 神が、負けた――。


 さっきまで大騒ぎで応援していたギリコも、既に言葉を失っていた。

 静寂を、ファウの声が破る。


「コーチ」

「何……?」

「あれは、何だ? あれも、アイドルなのか?」


 アキラが難しい顔をする。

 そして、しばし悩んだ後、重々しく口を開いた。


「……そうだ。あれも、アイドルだ」

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