第8話「孤独のアイドル」(3)
6
およそ十年ほど昔。
ロンドン領とヨーロッパ同盟との間に生じた軋轢が、大小様々な問題を噴出させていた頃。
とあるロンドン領の宇宙ステーションにて、爆破テロが発生した。
幸い死者は出なかったものの、一人の少女が閉鎖ブロックに閉じ込められた。
少女は当時八歳。宇宙勤務の母親と久しぶりに会うため、父親に連れられてステーションを訪れていた。
好奇心旺盛だった少女は、よく家族の目を盗んでは探検に興じていた。知らない街、森、山……。宇宙ステーションとて、例外ではなかった。
その好奇心が、仇となった。
トイレに行くと言って両親の元を離れ、そのままいつもの様に姿をくらませた。人の目を避けるように、どんどん奥の通路へと入っていった。
遠くで、何かが爆発する音が聞こえた。
少女は慌てて両親のいる所へ戻ろうとしたが、下りてきた隔壁に遮られてしまった。
鳴り響くアラームと緊急放送。聡明だった少女は事態を早々に飲み込んだが、この状況で通信できる手段を持ち合わせてはおらず、ただ助けを待つしかなかった。
やがて、少女は異変に気づく。
――暑い。
周りの温度が、少しずつ上っていたのだ。原因は、爆発による空調制御の異状である。
息が苦しい。汗が止まらない。
これが危険な状態であることは、すぐに理解した。
恐怖でパニックに陥りそうになるのを必死に抑え、冷静であるように自分に言い聞かせた。
リュックの中にはドリンクボトルに入れたジュース、そしてスナック菓子が一袋とチョコレートが一枚。これが最後の生命線だ。残量を正確に計算しながら、焦らず少しずつ口にした。呼吸は最小限にし、あとはただ、ひたすらじっとして救助を待った。
数時間が経過した。喉が激しく渇いていたが、何とか意識は保っていた。
シャツの汗を絞り、飲み干した。最初は抵抗があったが、背に腹は変えられない。すぐに慣れた。
さらに数時間が経った。あるいは、数日経ったのかもしれない。
もう助けなど来ないのではないか。とうに自分の事など死んだものと思われたか、あるいは、助けに来るはずの人達がそもそも生きてはいないのではないか――。
そんな考えが何度も頭をよぎり、その度に否定してきた。
意思はしっかり持て。感情は殺せ。
強く、強く言い聞かせ、もう何度目になるのか、自分の尿を啜った。
「……」
汗だくの下着とパジャマの不快さに、エルは目を覚ました。
時計に目をやると、ちょうど朝の六時であった。
エルは舌打ちして起き上がると、着ていたものとシーツをまとめて洗濯機に投げ入れ、そのまま冷たいシャワーを浴びた。
こんな日は、いつもあの時のことを思い出してしまう。
結論から言えば、助けは来た。
救助隊員たちは、これだけの極限状況において、エルがまだ生きていたことに驚いた。しかしそれ以上に彼らを驚かせたのは、瀕死のはずの少女が平然と立ち上がり、冷静に受け答えをしてみせた事だった。
事件のショックによるものか、エルの感情は希薄になっていた。両親はこの上なく心配し、しばらくは二人共付きっきりで面倒を見ることにした。やがてその甲斐もあってか、エルは少しずつ笑顔を取り戻していき、両親も胸をなでおろした。
時は流れ、エルは街でスカウトされ、アイドルの道を目指すこととなった。両親は当然のごとく心配したが、本人が決めたことならば――と、最後は快く送り出した。
故郷を離れ、寮に入ったその夜。エルは一人安堵していた。
これでもう、両親の前で無理に笑顔を作らなくても済む、と。
7
「うわああああ、またチケット取れなかったよぉぉぉ……」
年甲斐もなく、ギリコが泣きわめく。
「ズルいよ……。何で優先購入権とかあるんだよ……。いや分かるけど、分かるけどさぁ……」
ギリコが言っているのは、先日のファウ・めぐる戦が行われなかったことに対する補填である。当日の観覧者には埋め合わせとして各種の優遇措置が取られていた。
「いや、それは分かったけどさ。なんでわざわざウチの練習場来るの、キミたち?」
地団駄を踏んでいる突然の来客を、アキラが冷ややかな目で見下ろす。
ギリコの後ろでは、ギリコの団体の若手達がバツが悪そうに頭を下げている。
「だって、ライブビューイングですら瞬殺だったんですよ?」
「おう」
「となればせめて、ウチの設備をババンと使った自家製ライブビューイングで一緒に盛り上がろうと」
「何か表にでっけえトラック停まってんなと思ったら!」
興行でなければ問題ない、と社長のOKも出たため、早速機器が運び込まれ、セットされていった。映写機やスピーカーのセットはかなり本格的であり、それらを初めて見るファウは興味津々であった。
アキラも呆れるのを通り越して感心するレベルの環境が、着々と作り上げられていく。
「いや、まあどうせウチらも配信は見る予定だったから、いいんだけどね……」
作業が一段落したようで、ギリコが神妙な面持ちで話を振ってきた。
「ときにアキラさん。今回の対決、どう見ます?」
「どうっつってもなー。わかんないな」
「ほう?」
「あ、わかんないってのは、どっちに転ぶかっていうより、何が起こるかわかんないってことな。お祭りムードってこともあるし、本人たちがどういうスタンスで臨むかにもよるでしょ?」
「まあ、確かに」
「七月ちゃんはまだ復帰して間もないし、モチベーションがどんなもんか……。そこら辺は、アンタの方が詳しいんじゃないの?」
「そうですね。いちファンとしての見解は……」
(あ、やっぱライバルとしてじゃないんだ……)
「デビュー前だったら、それこそ練習の成果を見せるとか、精一杯やるとか、そういう意気込みだったんでしょうけど。今は、かなり入れ込んでる状態が続いてますしね……。事務所の意向はともかく、あの子は結構ガチでやる気だと思いますよ」
「なるほどね……」
アキラが抱いていた印象も、ほぼ同様であった。
アイドルに対する熱と、実力、そして人気のアンバランス。それによる不安定なメンタル。先日ファウと行った研究では、その「危うさ」がいっそう浮き彫りになっていた。
「そのやる気がいい方に作用すれば、結構いい勝負になるんじゃ……?」
「まー、氷室エルが空気読んで、終始舐めプに徹すりゃあね」
「それは……」
無理だ。たとえ事務所の意向が働いたとしても、そこまでやりはしない。
「だからさ。結果云々はともかくとして、何かしらビックリさせてくれるような事はやってくれるんじゃないかって。そーゆーこと」
「うーん。あたしはもうちょっと期待したいところですけどね……。デビュー前から追ってきてますし」
おそらく結果は変わらない。誰もがそう思っている。
(でも、もしかしたら――?)
そう思わずにはいられない何かが、ステージにはあるのだ。
長い夜が、始まる――
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