第8話「孤独のアイドル」(1)
1
土曜日の早朝、モコは誰にも告げずに寮を出た。
手続きは済ませた。荷物ももう送ってしまった。
表門で待ち構えていた潤に見つかりさえしなければ、あとは電車に乗るだけだった。
「今からでも考え直せない? なにも、辞めることなんて……」
「嫌よ。今更どのツラ下げて残れっての」
「でも……」
朝の海岸通りを二人が往く。以前は、めぐるも入れた三人でよく走った道だ。
「結局ね……。あたしはここまでだったの。才能とか、そういうことじゃなくてさ」
「え……?」
「あれだけ頑張って、苦しい思いしてさ。それでも、あれだけの差があった。つまり、アイツのいる場所まで行くには、もっと頑張らないといけないって事でしょ?」
「う、うん……」
「しかも、それで終わりじゃない。まだまだ先がある。そう考えたらさ。あ、嫌だなって思っちゃったのよ。これ以上頑張りたくないなって。笑っちゃうでしょ?」
「それは……」
潤は、どう答えれば良いかわからなかった。どこかで、同じ様なことを考えている自分がいて、それがたまらなく苦しかった。
「だから、結局ここまで……って、そういうこと。あたしは、そこまでアイドルが好きじゃなかったし、楽しむこともできなかった。苦しいだけなのにやり続けるほど、狂うことも出来なかった」
「でも、勝つことだけが……アイドルの全てじゃないよ」
「かもね。……でも、あたしは勝ちたかった。ただそれだけ。だからもう、いいの」
「モコちゃん……」
「いいの」
舞台を降りた少女の瞳は、しかしこれまでになく安らかで、優しかった。
「あんたは、いいアイドルになりなさいよ」
「うん……」
潤の涙を、そっと拭う。
モコの涙は、もう涸れ果てていた。
この日、ひとつの夢が終わった。
2
リーグも後半戦に入り、これまで温存されてきたカードが、いよいよ解禁され始めた。
その目玉の一つが、エンプロ内での潰し合いである。
「ワシはずっと、この日が来るのを待っちょりました」
感慨にふけりながら、万里がステージに立つ。その視線の先には、目指すべき頂点、最強の敵――氷室エルの姿がある。
「覚えちょりますか。四年前、ワシ等が出会った時のことを」
「さあ? どうだったかしらね」
「……あの頃のワシは、ただのバカな悪ガキじゃった。ケンカじゃ負け無し、何でも力で思い通りになると思っとりました」
目を閉じ、遠い日々に思いを馳せる。
「エルさんには感謝しちょります。あの日、エルさんに叩きのめされんかったら……。ワシは今でも、あの路地裏で燻っちょるまんまじゃった」
「別に、お礼を言われる様な事はしていないわ。私はただ、野良犬を躾けただけ」
「ははっ……。おかげでアイドルの道を知って、ここまで来れましたわ。エルさんを目指して、カベにぶち当たるたび、乗り越えてきました」
そして迎えた待望のステージ。エルを前にして、万里のボルテージは最大まで高まっていた。
「そう、つまり……あなたはアイドルの酸いも甘いも知り尽くしているのね。羨ましいわ」
「羨ましい……?」
「私は負けたことがないから。それは、アイドルのほんの一面しか知らないということでしょ?」
冷たい目だ。挑発の意も含んでいるだろう。だが、それ以上にこれは本音なのだ。万里はそう理解した。
共に行動するようになってからというもの、万里はエルという人間が少しずつわかってきた。
最初から最強だった。最強であり続けてしまった。対等な相手もおらず、如何なるステージに心躍ることもない。もはや絶望すら、はるか昔に過ぎ去ったのだろう。孤高にして、孤独。ただ一人で、氷の時代を生きるアイドル。
万里には予感があった。このままでは、アイドルの歴史は終わる。この人が終わらせてしまう。
そうなる前に、誰かが救いの手を差し伸べなければならない。
「……少なくとも、退屈はさせやしませんわ」
「だと、嬉しいのだけれど」
穏やかなやり取りとは裏腹に、ステージの空気がひりつく。開幕の時間だ。
「マジェスティックオーロラコーデ」
「バンカラバスタードコーデ!!」
旧世紀の軍装を連想させるドレスを纏い、万里が気合を入れる。
「これがワシの覚悟じゃあ! 《パニッシャー》!!」
早々に、万里はアイドルエフェクトを発動させた。
オーラが成した形は、木刀――いや、木刀と呼ぶにはあまりに太く、長く、無骨であった。刀身には『破肉車』と荒々しく彫られている。
万里はそれを、肩慣らしとばかりに片手で軽々と振り回す。尋常ではない風圧が、エルにまで届いた。
そして歌とともに、万里は正面からエルに突っ込んでいった。
「他のやり方なんぞ知らん! ワシはいつでも……正面突破じゃ!!」
万里が大きく木刀を振りかぶる。そのわずかの間に、エルは何層もの氷の壁を展開した。
「だぁぁぁらっしゃあああ!!」
振り下ろされた木刀により、氷の壁が砕け散り、宙を舞う。万里はすかさず二撃目を振り上げるが……そこに、エルの姿はない。
「犬というより……牛ね」
既に死角に潜り込んでいたエルが、横蹴りを入れる。
「ぐっ……」
エルはあえて、氷の壁を砕け散りやすいように構成していた。目くらましと、見た目の美しさを演出するのを兼ねての策である。
一方、重い一撃を食らったはずの万里であったが、しかしその表情は不敵であった。
「なるほど、それが新兵器ってわけ」
「へへ……。さすがに、何の用意もなしに挑むほどバカじゃねえってことで」
「正直、そのくらいバカだと思っていたわ。ごめんなさい」
万里は咄嗟に、もう一本の木刀を出してガードしていた。こちらは一本目とは打って変わり、細く短い小太刀のような形状だ。
「そんで、ワシの《パニッシャー》の能力……。刀身に受けた衝撃の分だけ、威力が上がってく!」
「知ってるわ。でも、なるほど……。大刀の隙を埋めるための、防御の刀ってワケね」
「それだけじゃあ思っちょると……!」
エルの予測とは裏腹に、万里は二本の木刀を振り回し、攻撃に転じた。
エルは氷の壁を使い上手くいなしていくが、徐々に斬撃の速度が上がっていく。
「必殺! 竜巻斬りじゃあ!!」
万里は勢いよく回転し、その勢いを利用して連続で斬りつけた。
「なるほど、牙は折れてないみたいね。安心したわ」
「余裕ぶっていられるんも、今のうちじゃあっ!」
これまで氷の壁を砕いた分だけ威力は増している。これが直撃すれば、いかなエルといえど無事では済まないだろう。
「ま……。当たれば、ね」
エルは最小限の動きで斬撃を掻い潜ると、無造作に万里の両手首を掴んで止めた。
「んなっ!?」
万里は、筋力には自信があった。しかし、まるで振りほどけない。
冷気は感じられない。つまりアイドルエフェクトではない。単純に、エルの腕力が強いのだ。
(どうする!? 頭突きで……、いや、アイドルは顔が命……)
一瞬、判断が遅れた。その間に、エルの強烈なローキックが決まる。
「ッ……!!」
「まあ、床を凍らせてスッテンコロリンって手もあったんだけれどね。それは流石にしょっぱすぎると思って」
必死に叫びをこらえる万里に対し、エルは淡々と容赦のない蹴りを打ち続ける。一つ一つの重い蹴りに、オーラがバンバン弾けていく。
万里も反撃を試みようとするが、脚が上がらない。
痛みで麻痺したのか? ――否。
既に万里の両足は氷漬けとなり、床に固定されていた。
何度打たれても諦めずに立ち上がり、最後には根性で勝つ。それが万里の持ち味であった。だが今は、倒れることすら許されない。
「まだ始まったばかりだし、このままサビ一杯までサンドバッグでもいいんだけど、どうする? それともまだ、何かやり残したこと、ある?」
並のアイドルであれば心が折れる一言だ。エルの場合、別にそれを意図しているわけでもないというのが、さらにタチが悪い。
「あんま……。ナメんといてつかぁさい……!」
万里はアイドルエフェクトを解除し、両腕に力を込めると、無理矢理エルの手を振りほどいた。その手首には、爪痕が痛々しく残る。
「ふんっ!」
自由になった手に再び木刀を取ると、両足を束縛していた氷を叩き割る。脱出成功だ。
だが、受けたダメージは大きい。既に息が上がっている。
「そうそう。あなたのその、泥臭くて諦めの悪い所は好きよ。何か、予想外のことが起こりそうな気がしてくる」
「へっ。ほんじゃあ、期待に応えんとな……」
再び両手に木刀を構えると、万里はゆっくりと動き出した。傷は深くとも、戦意は些かも衰えていない。
エルの胸が、わずかに高鳴る。
(そう。そんなになっても、まだやれるのね。あなた達は、そんなにもアイドルが好きなの。楽しくて、たまらないのね)
だったら――
教えて。
教えて。
私にも、アイドルを教えて――
結局、そこから先、エルが期待していたような「何か」は起こることはなかった。万里は何度でも立ち上がったが、そんな事はエルとて承知の上で、何の驚きもなかった。
区切りのいい所で氷漬けにしてとどめ。それで終わりである。
「やっぱり、待たずに行動して良かったわ。後半戦、他の子に期待しましょう」
精気を失った目で、エルが呟く。
その声は、誰に届くこともなかった。
○エンパイア・プロダクション 氷室エル
●エンパイア・プロダクション 逢坂万里(EXIA)
(FH:氷天華)
(FS:Nobody knows now)
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