第7話「アイドルはつらいよ」(4)

 既に昼休みは終わり、研修生は皆レッスンの真っ最中だ。懐かしい光景を眺めながら、めぐるは職員室へと向かった。


「おっ、来たね七月」

「ご無沙汰してます、先生」

「なんだいなんだい、改まっちゃって、らしくもない」

「そうですかね、ははは……」

「身体はもう、大丈夫なのかい?」

「はい、お役に立てるかどうかはわかりませんけど」

「あはは。まあ、リハビリというか、軽い調整のつもりで相手してやってくれ」

「はい」


 恩師との挨拶もそこそこに、めぐるは早速仕事の準備に入った。

 エンプロのアイドルが養成所を訪れるのは、そう珍しいことではない。研修生を観客に見立ててステージのトレーニングをしたり、また特別コーチとして研修生に現役の技術を教えたりもしている。今回、めぐるは後者の名目で母校を訪れていた。


「と、いうわけで。今日は七月が特別コーチとして来てくれた。お前ら、プロの厳しさをしっかり教えてもらえー」


 レッスン場に拍手と歓声が沸き起こる。

 圧倒的な実力で早々にプロデビューしていっためぐるは、研修生たちの誇りであり、憧れの的であった。めぐるが不振と感じているリーグ戦績も、彼女たちにしてみれば、プロの厚い壁にぶつかりながらも大健闘している、という風に映っていた。


「先輩、身体の方はもういいんですか?」

「地下アイドルって、危ない人が多いって本当?」

「プロの現場はやっぱり厳しいんですか?」

「一番ヤバいと思った相手って誰?」


 養成所時代、めぐるは人当たりがよく、皆との距離も近かった。そのため普段はそれなりに自制する研修生たちも、これはチャンスとばかりに駆け寄ってきて、めぐるを質問攻めにした。

 コーチが咄嗟に制止する。


「こらー、お前ら散れ散れー! そーゆーのはレッスンが終わってからにしろ! 桂葉ー! この場はお前が仕切れ!」

「はーい」


 研修生達の圧にタジタジになっていためぐるであったが、その声の主にふっと顔が緩んだ。


「久しぶりだね。めぐるちゃん」

「潤ちゃん……」


 苦楽を共にした、親友との再会であった。


「おかえりなさい」

「……うん、ただいま」


 プロデビューしてからというもの、めぐるは養成所の友人達と連絡をとっていなかった。本人達の前では軽口も叩いてみせたが、今も上を目指して頑張っている彼女達に、既にプロである自分が軽々しく連絡をするというのは、やはり気が引けるものであったのだ。

 ほんの数ヶ月前のことが、もう何年も昔のことのように感じられる。


(今なら、弱音を吐いても許されるのかな――?)


 そう思った矢先。もうひとり、忘れられない顔が前に進み出てきた。


「モコちゃ……」


 声をかけようとしためぐるであったが、その険しい表情を見て踏みとどまる。


「何しに戻ってきたの?」


 モコが発した一言に、めぐるはたじろいだ。


「何って……お仕事で」

「私達が、何も気づかないとでも思っているの?」

「え……?」

「ちょっと、モコちゃん。そのぐらいで……」

「潤は黙ってなさい!」


 語気を荒げると、モコはめぐるの鼻先まで顔を近づけた。


「潤は何も言わないけどね。私はそんな甘くないわよ」

「モコ……ちゃん?」

「さっさとステージに上りなさい。私がその性根、叩き直してあげるわ!」



        9


 載寧モコのアイドルエフェクト《カレイドスコープ》は、相手の視覚に作用し、遠近感や平衡感覚を狂わせる。

 めぐるが養成所にいた頃には、まだ身に付けていなかった能力である。


 めぐるがプロデビューした後、モコも負けじと今まで以上に特訓を重ね、研鑽を積んできた。先を行くライバルに一刻も早く追いつき、追い越したい、その一心であった。

 アイドルエフェクトに目覚めたのも、その頃である。

 能力開眼のメカニズムは未だ明らかになってはいないものの、モコはそれが自身の決意や覚悟に応えてのものだと信じていた。


 一方で、アイドルリーグで闘うめぐるの姿には、どうしようもなく歯がゆさを感じていた。

 自分が目指している、倒すべき相手は、こんなにも脆いものだったのか? あの日、自分が見た彼女の強さは、ただの錯覚だったのか――?


(このまま潰れてしまうくらいなら、いっそ私の手で……)




 大方の予想を覆し、ステージは一方的な展開を見せていた。

 モコの成長は目覚ましく、新たな戦闘スタイルとも相まって、もはやめぐるの知るモコとは別人であった。


 しかし――。


「ダメだよモコちゃん、視覚を狂わせるにしたって、振れ幅とタイミングを考えなきゃ。これじゃあ簡単に補正できちゃうよ」


 その言葉の通り、めぐるはモコの能力をものともせず、正確に攻撃を当てていく。


「それに……」


 モコは愕然とした。あろうことか、めぐるは目を閉じ、そのまま変わらず攻め続けてきたのだ。

 混乱した相手がたまらず目を閉じてしまう、ということはモコも想定していた。しかし、今目の前で起こっていることは、明らかにそれとは違う。


「ね? 目だけを潰したって、そんな素直なリズムじゃあ、全部歌が教えてくれる」


 突き、蹴り、そして衛星による横殴り。圧倒的な連打を受け、モコは膝をついた。


 モコは、その身をもって自分の考え違いを痛感していた。

 めぐるはファウとの一戦の敗北を引きずり、そのせいで本来の力が発揮できていない。そのため負けがこんで、さらに悪循環に陥っている――と。その認識はほぼ正しかったが、しかし、全てではなかった。

 確かに、めぐるのメンタルはあの日を境に日ごとに疲弊し、実際ステージに影響が出てもいた。しかしそれはそれとして、プロの世界で策を練り、練習し、実際に拳を交え……その濃密な経験は、めぐるを既に別次元の高みへと引き上げていたのだ。

 気合を入れる。目を覚まさせる。それが出来るのなら、或いはめぐるはもっと高みに行けるのかもしれない。

 

 だが、今のモコには、それに足る実力がなかった。


 息が苦しい。腕が上がらない。今にも意識が飛んでいきそうだった。

 そして、その限界の淵で、モコはもう一つの事実に気づいていた。


「あんた……。手ェ抜いてるでしょ! 何で本気でやらないの!」


 ほとんどの研修生達は気づいていない。教師陣とて意識しなければ見抜けないだろう。それほどまでに、力の差を見せつけられるステージであった。

 モコの怒りと悔しさが入り混じった声に、めぐるは意外そうな顔をした。


「え? だって……。あたし今日、コーチをしに来てるんだよ?」


 その一言で、モコの心の中の何かが砕け散った。

 最初から、対等などでは無かったのだ。

 モコは顔をくしゃくしゃに歪ませると、最後の力を振り絞った。


 めぐるはそれを冷静に見極めると、教科書通りのカウンターで一閃。モコの戦意を根本から断ち切った。

 そして崩れ落ちるに、とどめの一言を放った。


「ありがとう。今日はとっても楽しかったよ」


 残酷なほどに満面の笑みが、モコの脳裏に焼き付いて離れなかった。




 ――門を出て駅に向かう道すがら、めぐるは後ろから呼び止められた。


「潤ちゃん……」


 振り返ったその先。親友の目には涙が浮かんでいる。


「潤ちゃん、どうし……」

「あれはない……。あれはないよ、めぐるちゃん!」


 震える声には、憤りが滲んでいた。

 めぐるは、寂しげにうつむいた。


「……うん、そうだね。どうかしてるんだ、あたし」


 潤がハッとして、手を伸ばそうとする。

 しかし、できなかった。

 こんなにも近くにいるめぐるが、限りなく遠かった。


 めぐるが、再び背を向ける。


「モコちゃんには、謝ってたって伝えて。って、余計傷つけちゃうかな」

「めぐるちゃん……」


 お互い、話したいことはたくさんあった。けれど、今は何も伝えられない。


(どうして、こうなっちゃったんだろうね……)


 めぐるはもう、振り返らなかった。

 潤はただ、その背中を見送ることしかできなかった。



        10


 復帰後の第一戦、めぐるは辛くも勝利を収めた。

 劇的に何かが変わったわけではない。とりあえず、倒れる前の調子は取り戻している――そんな手応えは感じられるステージであった。


「プロデューサー。正直私は反対です。あんなことがあったばかりですし、何より、この組合せは無茶だ」


 役員室にて。リアに食ってかかっているのは、めぐるのトレーナーだ。


「そうは言ってもねえ。この企画自体はリーグ設立当初からあるわけだし。そりゃあ口を出すことは出来るけど、ウチの都合だけで何でもかんでも好きにはできないでしょ」

「それは……」


 リアが普段の行いを棚に上げて、白々しく正論をかざす。正論でも屁理屈でも、この女がこうと決めたら、もう誰にも止められない。


「しかしまあ、こうして比較してみると、雑誌のランキングってのも、そんなにバイアスかかってないんスねえ。面白いわー」

「……」


 つい先日、アイドルリーグの公式人気投票が開催された。その人気上位アイドルによりスペシャルマッチが組まれる、というのが特別企画の内容である。


「ま、普通は実現しない組合せだからこそ、やる意義もあるってもんでしょ。ねえ?」


 こうして、人気投票2位の七月めぐると、1位の氷室エルによるステージ公演が決まった。

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