第7話「アイドルはつらいよ」(3)

        6


 決戦の場は因縁の地、ニューアキバ神宮ドームとなった。


 ステージを目前にし、ファウは控室でコンセントレーションを高めていた。

 深く息を吐き、ゆっくりと目を開ける。


「調子はどう?」

「ん、問題ない」

「お客さんの入りは上々だよ。8:2くらいでであちらさんが優勢っぽいけど。ま、あん時のデビュー戦に比べたら大分マシでしょ」

「ああ」


 ひとつ間違えれば余計なプレッシャーにもなりかねない情報だが、アキラはあえてそのまま伝えた。ファウも、その信頼を理解している。ただ事実を事実として受け止めた。


「それと、ギリコちゃんから応援のメッセージが来てたわ。めっちゃ来たかったけど、倍率高すぎてチケット取れなくてごめん、って」

「そっか」

「まったく、あの子は自分もリーグ参戦してるって自覚あるのかね?」

「だなー」


 肩の力はいい具合に抜けている。心身ともにこれ以上ないコンディションだ。

 今夜の二人は、負ける可能性など微塵も考えられなかった。




 一方で、めぐるの控室はピリピリした空気に満ちていた。


「あ、あのさ。お菓子いらない? ちょっとは気分落ち着くかもよ?」


 ミミがぎこちない顔で話しかける。

 普段は後輩に対してこの様な気を遣うことなどまずないのだが、それだけ、めぐるの纏う空気には鬼気迫るものがあった。


「ありがとうございます、頂きます」


 感情の無い声で一礼し、受け取ったチョコを平らげると、めぐるは再び何かブツブツ言いながらイメージトレーニングに没頭した。


(こわっ!! えっ、何、この子ってこんなんだっけ? あたしもう同じ部屋にいたくないんですけど!?)


 ミミは視線でトレーナーに助けを求めるが、相手は首を横にふるばかりである。今は何を言っても無駄だということであろうか。


「大丈夫、対策は考えた、練習も積んできた、あたしはやれる……」


 めぐるの目に、怪しい光が宿る。今夜は人でも殺しそうな勢いだ。


「七月さん、そろそろ……」

「……はい」


 スタッフの呼ぶ声に、めぐるは立ち上がった。

 テンションを保ったまま、ゆっくりと歩き出す。

 頭の中では、色々なことがリフレインしていた。プロデューサーに言われたこと、氷室エルの後ろ姿、前回のファウとのステージ――


 ドアの前まで来た所で、ふと、めぐるは立ち止まった。

 歓声が聞こえてくる。先程より大きく、はっきりとした声だ。

 それは、どんどん大きくなり――


 ――視界が、ぐにゃりと歪んだ。


 めぐるは、何が起こったかわからずにいた。気がつけばその場にくずおれ、床に手をついていた。


(あれ……。立ちくらみ……かな……)


 そう思った次の瞬間、めぐるを激しい頭痛が襲った。

 同時に、何かに揺られているような感覚。焦点も定まらない。

 耐えきれず、頭を抱えてうずくまる。周りのスタッフも、異常事態に気づいて駆け寄ってきた。

 その声も、だんだんと遠くなっていく。




 やがて、吐瀉物にまみれ痙攣を繰り返しながら、めぐるは意識を失った。



        7


 結局その日のステージは、めぐるの急病による不戦敗、という形で決着がついた。

 ファンからは後日仕切り直しの要望が多数出たが、運営側はリーグ戦進行における都合を理由に突っぱねた。


「ま、ステージを前にしての心因性のビョーキだっていうんなら、すぐ再戦ってのも酷な話だろうしね。運営があえて泥を被ったって形か」


 ネットをチェックしながら、さなぎが言った。

 今後のことも考えてか、めぐるの病状について、本当の所は世間一般には伏せられていた。EXIAの面々に事情が説明されたのも、現場にミミがいたため、という以上の理由はない。

 ミミはあの日以来、件の光景がすっかりトラウマになってしまったらしく、常に何かに怯えている様であった。


「あたしじゃない、あたしのせいじゃない、あたしは悪くない……」

「んなこたぁわかってるっての。誰もそんな事言ってないだろう?」


(てか、こいつもちゃんと病院行った方が良くないか……?)


 さなぎが眉間にシワを寄せる。


「しっかし、その子も退院したばっかじゃろーに。いきなり次の仕事っちゅうのも、十分酷くないか?」

「いやそこはホラ、楽しかった頃の記憶で上書きする……って治療法もあるらしいしね」

「そうなんか? そこら辺の事はよくわからんが、難儀じゃのぉ……」


 万里は腕組みをして唸った。

 プロデューサーは何かと気を遣ってみせているが、それも何か後ろめたいことがあって、その裏返しなのではないだろうか? ふと、そんな考えが頭をよぎる。

 めぐるの事を聞いて、どうにも他人事とも思えなかった。明日は我が身かもしれないのだ。


 一方、そんな話題はどこ吹く風と言わんばかりに、サリエは端末の画面を凝視して何やら呟いていた。


「ああ、だめだ。まだ出ない。また石買わないと。課金、課金……」

「お前はすぐに病院に行け!!」



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 ――きっかけは、特に覚えていない。

 小さい頃から、人並みにアイドルが好きで、人並みにアイドルに憧れて。

 アイドルになろうと決めた時も、なんとなく、軽い気持ちだった。

 家族の反対にあうこともなかった。エンプロの養成所にもあっさり合格して、「これで将来はトップアイドルだ」などと楽観的に喜ぶ両親を見て、逆に不安になったくらいだ。

 養成所の練習は厳しかったけど、それほど苦ではなかった。一緒に頑張る友達が、仲間が、ライバルがいて、毎日が充実していた。

 そう。ただ、楽しかった。アイドルは、楽しいものだと思っていた。


(あの頃のあたしは……。まだ、本当のアイドルじゃなかったんだよね……)


 電車に揺られながら、めぐるは浅い眠りから覚めた。

 窓の外には、よく見知った風景が広がっている。


 電車を降りて駅から出ると、それはもう目の前にあった。

 めぐるの母校。エンパイア・プロダクション鎌倉養成所である。


「帰ってきちゃったな……」


 照りつける日差しに目を細めながら、しみじみと呟いた。

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