第7話「アイドルはつらいよ」(2)
4
白尾芸能の事務室にて、社長とアキラが話し込んでいる。つい先程、今後のスケジュールがリーグ運営より届いたばかりだ。
「七月めぐる君、か。ついに来たかって感じだね」
「というより、もうここでぶつけてくるしか無いんでしょう」
アキラはこの組合せから感じる運営の――というより、リアの意図に辟易していた。
「ファウ君は、デビューステージで一度勝ってるわけだよね? あれからだいぶ経験も積んできたし……。勝てない相手ってわけでもないと思うけど」
「それはそうです。相手はメディアも大きく取り上げてますし、情報は自然と耳に入ってくる……。その限りじゃ『伸びる』アイドルだとは思いますけど、ここでファウにぶつけるってのは……あまりに乱暴な『叩いて鍛える』やり方でしょう」
「ふむ……。これまでのエンプロなら、むしろリスクはとらない方法を選んでいたよね」
「それはそれで釈然としないモノがありましたけどね。でも、今回のリーグに纏わる色々……リアが絡んでるとなりゃ、腑に落ちますよ。アイツはこーゆー事も平気でやる」
と、いつの間にか相手のアイドルの心配している事に気づき、アキラは頭を振った。
大人の思惑に振り回されるアイドル。それに同情してしまうのは無理からぬ事であったが、アキラはそこを割り切り、自分のやるべき事をやろうと心に決めた。
「とにかく、油断はしませんよ。何が起こるかわからないのが、アイドルのステージですから」
「うん、そうだね。ファウ君の調子はどうだい?」
「すこぶる良好ですね。こないだなんて――」
「――ははっ、そうか。技の名前ねえ」
「あいつは優秀ですよ。アイドルとして必要な資質は、もうほとんど出来上がってる。時々、本当は自分の教えなんて必要なんじゃないかって思えてきます」
アキラは、ふと寂しげな顔を見せた。
「でも、アイドルはそんなに甘くない。それは君が一番よくわかってるだろう?」
「ええ、まあ……」
「それにどんなに強くたって、まだ子供だからね。不安になる時もあれば、道を指し示してほしい時だってあるさ」
「あたしは現役時代、そういう思いはしてなかったですね。やっぱり恵まれてたってことなのかな」
「いやあ、君の場合は単に図太かったんじゃないかな」
「ひどっ!」
社長がけらけら笑って、お茶をすする。
「ま、ファウ君はああ見えて結構繊細だってハナシさ。人の心の機微にも敏感だ」
「そんなの、言われなくても……」
私の方がアイツをよくわかっている――。そう言いたげに、アキラは頬を赤らめた。
「とにかくあたしは、あいつがアイドルを楽しいと思ってくれるなら、思いっきり楽しませてやりたいんです。勝てるうちは勝たせてやりたいし、壁にぶつかったとしても、一緒に乗り越えていけるよう、支えていきたい」
「うん」
「けど……」
「うん?」
「ぜんっぜん壁にぶつからないんだよな~。あいつ……」
社長の笑い声が、フロア中に響き渡った。
5
深夜の公園を、トレーニングウェアの少女がひた走っている。
めぐるは走った。居ても立ってもいられず、とにかく走った。
止まってしまえば、また色々と考えてしまう。このままでは眠ることもできない。今はただ、走り続けるだけ――
「止まりなさい」
突然横から声をかけられ、めぐるはハッとした。
いつの間にか自分と並走している少女がいる。そして、その声には聞き覚えがあった。
「エルさん……!?」
「ああ、待って。クールダウンしながら行きましょう。あそこのベンチまで」
同じ事務所ではあるが、めぐるはエルと話したことはほとんど無かった。めぐるが養成所に入った頃、エルは既にプロとして活躍していたし、現在でもスケジュールの都合で顔を合わせる機会などまず無かったのである。
「こんな深夜に女の子一人でジョギングなんて、何を考えているの?」
「すみません、なかなか眠れなくて……。あの、エルさんは」
「私はただの日課よ。心配しなくても、常にSPの人が近くにいるわ」
「えっ……?」
「ほら、あそこと、あそこと……。あっちの木の陰にも」
エルが指をさして見せるが、めぐるには何もわからない。
この人は自分をからかっているのだろうか――? そんな顔をしていると、
「で、何か悩み事があるんでしょう? 私でよければ聞くけど」
「え、いや、その……」
雲の上の存在であるエルからの、突然の申し出。何と切り出したら良いか、めぐるはしどろもどろになっていた。
それを見かねてか、エルがため息をついて続ける。
「実を言うとね。プロデューサーからあなたの悩みは聞いているの。機会があればフォローしてやってほしい、ともね」
「プロデューサーが……?」
それを聞いて、めぐるは腑に落ちた。氷室エルが自分のためにわざわざ時間を割いて話を聞いてくれるなど、そうでもなければあり得ないだろう。と同時に、プロデューサーにはそれなりに気を遣われているのだと思うと、少し嬉しくなった。
「まあ、最初に言っておくけど、あなたの役に立つことを私が教えられるとは思ってないわ」
「えっ」
「だって私、負けたことないもの」
(ですよねー……)
それは嫌味でもなんでもなく、純然たる事実であった。
氷室エルは負けたことがない。アイドルリーグだけではない。養成所時代から現在まで、公式非公式問わず、全てのステージで勝利を収めている。
かつては東雲叢雲の現在の師、シャルロット・ハヴァンリヒもまた無敗を誇っていたが、現在ではエルが無敗連勝記録を更新し続けている。
「たとえば、どうすれば強くなれるか、とか、どうすれば勝てるか、とかね。そんなものは、エンプロの優秀なトレーナー陣の方がよっぽど役に立つでしょ」
「それは……そうかもですけど」
「だいたい、あなたまだプロになったばかりでしょう? 何をそんなに焦っているの?」
ごく当たり前の疑問に、めぐるは目を伏せた。
「……あの子だって、プロになったばかりです」
そう、すべてはそこに帰結する。
「ファウ・リィ・リンクスのこと? アレは例外よ。年季が違う」
「アイドルとしての経験なら、あたしの方が……!」
「違うのよ。アレはエンターテイナーとして、そして闘う者としての基盤が既に出来上がっている」
「基盤……」
だとすれば、自分には基盤ができていないのか。今は何をやっても勝てないのか。また堂々巡りが始まる。
「ま、アレの話は置いといて。あなた、自分が不当に持ち上げられてるみたいに思ってるみたいだけど……。私は別に、そうは思ってないから」
「えっ……?」
エルの口から、意外な言葉が飛び出す。
「私だって、他のアイドルの研究はちゃんとやってるのよ。後輩だって例外じゃない。あなたのことも、養成所時代から見ていたわ」
「そう……なんですか……?」
「荒削りだけど、まっすぐで……。かなりいい線行ってると思うわ。あなたを次世代の中心に据えたいって、上の意向もよくわかる」
(え、そこまで……?)
事務所の評価はもちろん、あの氷室エルが自分の事を見ていてくれた――それだけでも、めぐるは今すぐ跳び上がりたい気持ちになった。
「あなたには期待しているわ。今は焦らず、何にでも挑戦するつもりでぶつかっていきなさい。そして――」
エルが立ち上がる。
「そうね、五年後か十年後……」
「え?」
「私がいなくなった後で、トップアイドルになりなさい」
エルが走り去った後、取り残されためぐるは、ただその場でうつむいていた。
うつむいたまま、どんな表情も作ることが出来なかった。
「期待している」というその言葉は、「何も期待していない」のと同義であった。
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